しても青いのは当たり前過ぎることで、では何度見はまあしてもいいけどな、どちらにしろあたしはこちらの芝生で生きていくことを考えなくてはね、本気で隣りの芝生では生きていけませんよ、むしろそんなことしようもんなら確実死ですから、羨望の何度見は行きたい力の現れととるのであれば、ますます見るだけに限りなさい、生きるのはこの芝生ですよ、これ以外など何一つないのですからね。
で、この芝生は何故生き難い気の始まるのか、もちろん隣りの芝生のせいもあろうが、何よりだらだら人芝生覗く隙間のある自分への関心の薄さではないか、もちろん余る程己は大好きだけれども、それを凌ぐ程の発想だとか感動だとか感覚がメーターにほぼ触れない感が、こんなBLOGを書かせるに至るダメさを演出している。
ダメダメ言ってて上がれたら人生楽ですが、言い飽きても尚生き続けようと動きだす頃が浮上期ですね、余りにもなんもなか思った頃にコロンっつって飴玉一つ出せりゃそりゃ何故か浮上できちゃうみたいな、あー、人生の幅は、およそさして変わらないような感、なんか切ない。
そんな感傷論をあっパッパと投出して現実問題、最近の私は至って勘定論です。
数字でバッサリだいぶ楽、取り立てばかりしています、バイトを風邪で休みおよそ逃した額は一万円くらい、インフレでは二万円くらいドがつく勿体ない有休消化これいつまでも苛々できそうな勿体なさ、あれで終わりなら我慢もできたものをとはい、自分の身体を真剣怨む。
自分のしたことで自分を埋めなくてはならない、言い訳やごめんなさいなどで人に乞うて貰うのは情けだけ、あたし埋まるはずはない、そこで走るのがお金どれだけ稼げてるか的な数字、頑張ったらあと一万いけた、のに体調不良にて減、ただでさえ同年代の稼ぎよか阿呆ほど低いというのに
そら見たことかあー全くだどこに逃げ込もうと視界には芝生が食い込んで来てしょうもない助言めいた言葉を落として何かした気にさせようとする「もっとお金を稼ぎなさいいい加減脛かじり脱却なさい」「思いは押し付けるものでなく発露するものでそれに値段などないのよ」
そんな言葉は要らないけれど疲れる程吐けば手放せるか、明日は風邪治ったからいいやんて言えるか
ほら今まさになんか寝れない感から突っ込む自分の隙間、発想が来ないと文句を言い、
早く眠たくなりなさい
早く
早く
で、この芝生は何故生き難い気の始まるのか、もちろん隣りの芝生のせいもあろうが、何よりだらだら人芝生覗く隙間のある自分への関心の薄さではないか、もちろん余る程己は大好きだけれども、それを凌ぐ程の発想だとか感動だとか感覚がメーターにほぼ触れない感が、こんなBLOGを書かせるに至るダメさを演出している。
ダメダメ言ってて上がれたら人生楽ですが、言い飽きても尚生き続けようと動きだす頃が浮上期ですね、余りにもなんもなか思った頃にコロンっつって飴玉一つ出せりゃそりゃ何故か浮上できちゃうみたいな、あー、人生の幅は、およそさして変わらないような感、なんか切ない。
そんな感傷論をあっパッパと投出して現実問題、最近の私は至って勘定論です。
数字でバッサリだいぶ楽、取り立てばかりしています、バイトを風邪で休みおよそ逃した額は一万円くらい、インフレでは二万円くらいドがつく勿体ない有休消化これいつまでも苛々できそうな勿体なさ、あれで終わりなら我慢もできたものをとはい、自分の身体を真剣怨む。
自分のしたことで自分を埋めなくてはならない、言い訳やごめんなさいなどで人に乞うて貰うのは情けだけ、あたし埋まるはずはない、そこで走るのがお金どれだけ稼げてるか的な数字、頑張ったらあと一万いけた、のに体調不良にて減、ただでさえ同年代の稼ぎよか阿呆ほど低いというのに
そら見たことかあー全くだどこに逃げ込もうと視界には芝生が食い込んで来てしょうもない助言めいた言葉を落として何かした気にさせようとする「もっとお金を稼ぎなさいいい加減脛かじり脱却なさい」「思いは押し付けるものでなく発露するものでそれに値段などないのよ」
そんな言葉は要らないけれど疲れる程吐けば手放せるか、明日は風邪治ったからいいやんて言えるか
ほら今まさになんか寝れない感から突っ込む自分の隙間、発想が来ないと文句を言い、
早く眠たくなりなさい
早く
早く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます