私の父は、この病気とわかったのが、2007年4月でした。
2005年の正月に年賀状の字が今までと違うと親戚から言われました。
その頃よく転んでいましたが、転ぶところを見ていないので、年だから?と思っていました。
2006年2月、運転していて出会い頭の事故をしました。
2006年8月、特定高齢者として介護予防教室に行き始めました。脳神経内科の開業医にかかり始める
2006年11月、要介護1、デイサービス開始
2006年12月、石段から転げ落ちて骨折、高齢で小柄の母一人での介護に限界。1日24回のトイレ、夜間寝ない
2007年2月、要介護3
2007年4月、大学病院脳神経内科にて、PSPの病名がつく
2007年5月、小規模多機能施設利用開始
2007年6月、要介護5
2007年8月、誤嚥性肺炎にて、救急病院入院。胃ろう造設。
2007年9月、療養型病院へ転院
坂道を転げ落ちるより早く、崖を落ちるかのような進み具合でした・・・
あっという間に父と話ができなくなりました。
2008年1月、腹部大動脈閉塞にて、大学病院で緊急手術(人工血管造設)巨大褥瘡できる
2008年2月、元の療養型病院へ再入院
2009年6月、数回の手術の後、巨大褥瘡完治。孫の結婚式に参列
その後、数回の外出で自宅に帰る
2011年現在 自力で目を開けることはほとんどない。経口摂取はなし。コミュニケーションは取れない。
手の拘縮が激しく、自分の腕で胸部を圧迫し、肺の血液循環が悪くなるので肺炎を起こしやすい状態
幸い、主治医が呼吸器が専門なので、適切な処置をしていただき、30~60分に1回の吸痰と、一日3~4回の口腔ケアで、肺炎を起こすことが少ないと思います。
父が入院してから、5年になります。
5年も経つのに、昨日父の元同僚や部下の方たちが、父のお見舞いに行ってくださいました。
入院してからこれで何度目かしら?
しかも、母を迎えに行ってくれて一緒に行ってくださいます。
普段は目が開かないのに、母が瞼をこじ開けて(笑)
すると、眼球が動いて、お見舞いに来てくださった方と目があったそうです。
入院して5年も経つのに、こうして父のこと忘れずにお見舞いに来てくださる・・・
家族にとって、こんなうれしいことはありません。
大きな励ましをもらった気分です。
母の声も張りがありました!
長い療養生活の中で、ものすごくうれしい出来事でした。
2005年の正月に年賀状の字が今までと違うと親戚から言われました。
その頃よく転んでいましたが、転ぶところを見ていないので、年だから?と思っていました。
2006年2月、運転していて出会い頭の事故をしました。
2006年8月、特定高齢者として介護予防教室に行き始めました。脳神経内科の開業医にかかり始める
2006年11月、要介護1、デイサービス開始
2006年12月、石段から転げ落ちて骨折、高齢で小柄の母一人での介護に限界。1日24回のトイレ、夜間寝ない
2007年2月、要介護3
2007年4月、大学病院脳神経内科にて、PSPの病名がつく
2007年5月、小規模多機能施設利用開始
2007年6月、要介護5
2007年8月、誤嚥性肺炎にて、救急病院入院。胃ろう造設。
2007年9月、療養型病院へ転院
坂道を転げ落ちるより早く、崖を落ちるかのような進み具合でした・・・
あっという間に父と話ができなくなりました。
2008年1月、腹部大動脈閉塞にて、大学病院で緊急手術(人工血管造設)巨大褥瘡できる
2008年2月、元の療養型病院へ再入院
2009年6月、数回の手術の後、巨大褥瘡完治。孫の結婚式に参列
その後、数回の外出で自宅に帰る
2011年現在 自力で目を開けることはほとんどない。経口摂取はなし。コミュニケーションは取れない。
手の拘縮が激しく、自分の腕で胸部を圧迫し、肺の血液循環が悪くなるので肺炎を起こしやすい状態
幸い、主治医が呼吸器が専門なので、適切な処置をしていただき、30~60分に1回の吸痰と、一日3~4回の口腔ケアで、肺炎を起こすことが少ないと思います。
父が入院してから、5年になります。
5年も経つのに、昨日父の元同僚や部下の方たちが、父のお見舞いに行ってくださいました。
入院してからこれで何度目かしら?
しかも、母を迎えに行ってくれて一緒に行ってくださいます。
普段は目が開かないのに、母が瞼をこじ開けて(笑)
すると、眼球が動いて、お見舞いに来てくださった方と目があったそうです。
入院して5年も経つのに、こうして父のこと忘れずにお見舞いに来てくださる・・・
家族にとって、こんなうれしいことはありません。
大きな励ましをもらった気分です。
母の声も張りがありました!
長い療養生活の中で、ものすごくうれしい出来事でした。