進行性核上性麻痺と闘った父とその家族の記録

進行性核上性麻痺と診断され6年2か月。89歳まで闘い抜いた父、それを支えた家族の記録。

個室に移りました。

2008-01-29 23:53:19 | Weblog
やっとで今日個室に移れました。

付き添う家族がやっとでほっとできました。

全身状態がしんどくなり、辛くて声が出る。
元の疾患(進行性核上性麻痺)のため、声の調節ができない。
はっきり言葉は言えない。

相部屋では、かなり気を使いました。
でもどうしようもない。

母は、昨夜父の口を手で覆っていたそうです。
それを聞いて、胸が詰まりました。
個室に移って一番ほっとしたのは、母。

母も高齢です。今夜は交代しています。
交代して帰る電車で、ついウトウトして、びっくりして目が覚め、
電車から飛び降りたそうです。
そうしたら、まだ、乗り過ごしてはなくて、途中だった。
でも電車は行ってしまった。。。

そこで次の電車を待って帰ったとか。

そういう私も、急ぐ帰り道、高速に乗るはずが気がつけば、
山道を走っている・・・

付き添う家族もしんどい。

でも、父の状態もちょっと落ち着き、
ずっとの付き添いでなくてもいいように言われました。
快方に向かっています。
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見ていて辛い

2008-01-29 08:24:22 | Weblog
次々と前に現れるハードル
だんだん高くなる?

見ていて辛いです。

元の疾患がなければまた違うんでしょうに…
意思表示ができなくて、
でも辛くて声が出て、
声の調整はできなくて。



なかなか個室に移れない

自宅から車で1時間。。。

父には言えない「がんばって」
だから、心の中で「がんばって!」
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急変

2008-01-25 00:30:39 | Weblog
あんなに元気になっていたのに。。。

急変でした。
足に血液がいかなくなり、転院して真夜中の緊急手術でした。

途中で術式も変更。
6時間に及ぶ手術でした。
でも、大正生まれはすごい!
それを乗り越えました。

ICUで父に会えたのは明け方の4時前でした。

意識が戻り、ICUから出てきて、いつもどおりの声が聞けました。

医学はすごいと思いました。
血の気のない父の両足に血液が通りました。
でも、10時間近くも血液のいかなかった足は、どす黒い色をしていました。

ところが、午後にはピンクに戻っていました。

体中、管だらけの父。

がんばれ!
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行けなくてゴメン

2008-01-14 16:38:15 | Weblog
せっかくの連休だったのに、行けなくてごめんなさい。
仕事があったことより、ちょっと風邪気味で…
うつすといけないので、やめておきました。

母や兄・娘は行ってくれたので。



おかげさまで、この生活落ち着きました。
さっきも母と話してきましたが、母が落ち着いてくれたことがよかった。。。

この先も、長期戦だ!
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リハビリってすごい

2008-01-08 21:36:21 | Weblog
今日病院に父を訪ねました。
ものすごく元気!
今日はよくしゃべることしゃべること。
しかもかなり聞き取れます。
それも単語ではなく文章が。

1歳半健診じゃないけど、2語文とかじゃなく、もっと長い文章で。

すべてが聞き取れたとはいかなかったけど、
本当に何でも分かっているんだなあと思いました。

色々いろいろ考えてるんだなと。
私たちのことを心配してるんだなと。

ここ1カ月くらいの回復?は驚きです。
父が毎日いかにリハビリを頑張っているか、
スタッフもいかに力を注いてくれているか。。。

ありがたいです。
そして、
「父さん!ガンバって!!前のようにもっと話ができるようになるし、何か食べれる様になるからね。」
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父の外泊が教えてくれたもの

2008-01-05 17:08:56 | Weblog
父にとってこの外泊、どうだったのか???
私たち家族の自己満足ではなかったのか?
いろいろ考えましたが、
自分の部屋で自分の布団で休めたこと
一番好きだった庭を眺めて過ごせたこと
家族と一緒に過ごせたこと
やっぱり父にとってもよかったと信じたいです。

家族はというと…
なんだかやり遂げた感が大きいです。

胃ろうの注入、初めてしました。

注入剤の準備(微温湯にとろみ剤を入れてから、栄養剤を混ぜる)
食後薬をお湯に溶かしておく。
別のコップにお湯の準備。

以前鼻腔の時は1回に2時間近くかかっていたから、満腹感はなかったと思います。
今は50~60mlずつを8~10回で直接入れます。
15分くらいで入るので満腹感を感じると思います。

でも、やっぱり口から入れてあげたい!
空の湯のみに手が出ます。
それを上手に口の運んで、お茶を飲んだ格好をしました。
本当に飲ませてあげたい。

昨日また病院へ行ってきました。

父が疲れを出していないかと。。。

ますます元気でした!

歯科衛生士さんが「頑張られましたね!口の中がとってもきれいでしたよ。歯の艶が違っていましたよ」と。
外泊1泊のケアをほめてくださいました。
一日に何度口腔ケアをしたでしょ?娘は父に付きっきりでした。
一日4回の注入前には必ず。
そして気になればまた。

口の中がきれいなら痰も少なくなる。その一心で。

実感しました。
私たちの口の中、自浄作用が如何ほどか???

自浄作用の無くなった父の口の中はあっという間にすごいことになる。
とにかく頻繁にケアをすれば、きれいなままで、口臭もまったくしない。

また、外泊が出来る時が作れますように・・・

介護の現実は、やはり厳しい。終わりが見えず、これが途切れることなく毎日続く。父の場合は、幸いいい病院に入れてもらえているからいいけど。
そんな中で、日々小さな喜びや小さな感謝を感じて毎日が過ぎていきます。

直面して初めて分かることかもしれません。。。

主人や娘と食事をしながら話しました。
どれだけ父が辛い思いをしながらいろんなことを私たちに教えてくれているか。
私にだけでなく、主人にも、娘たちにも。

そんな話をしました。
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父のいる正月

2008-01-03 18:17:41 | Weblog
待ちに待った父の外泊です。

神経難病(進行性格上性麻痺)のため、あっという間に身障1級、重症患者認定、要介護5になった父。

先月一時帰宅をし、その後、数回家族はレクチャーを受け今日に備えました。

今までどおりに一緒に正月を迎えたいという、家族の願いからでした。

病院は今回の外泊のために、携帯用吸引機、吸痰用グッズ、おむつ、口腔ケアグッズ、胃ろう注入用グッズ、薬などなど、すべて取り揃えていてくださいました。

家族そろって病院に迎えに行き、車椅子ではなく普通車の後部座席に両脇を私たちが支えての帰宅でした。
帰る途中、神社に初詣。(父は車の中でのお参り)

今回の帰宅に向けてさらにリハビリに励んでいたので、玄関の数段の石段もまた自分の足で上がりました。(両脇支えて)

帰宅して一番にしたことは、年賀状を見ること。
それぞれ確認し、チェックをしたり、何か書き込んだりしていました。(読めませんが・・・)

不安いっぱいの帰宅ですが、看護師の娘が吸痰をしてくれるので、安心でした。

胃ろうの注入は、私が準備。
胃ろう注入は、私でも大丈夫でした。

口腔ケアをしてから注入し、そのあとに私たちが食事をしましたが、
やっぱり口から食べたいよね。

大好きだった焼酎を木製舌圧子に浸して舌の上に。
またしっかり口が閉じました。
「ビール」と。
ビールも少しだけ舌の上に。

次帰るときは少しでも本当に口から食べれるようになっているといいなと思いました。

父にとってみると、自分の布団で眠るのは半年振りです。
介護用ベッドが入ってからは約1年ぶり。
元気だった頃と同じ部屋で同じ布団で休みました。

夜中は吸痰を30分~1時間に1回しないといけないくらい痰が出るんです。
これを病院では夜勤の看護師さんがして下さっています。

心配したとおり、なかなか夜はぐっすり眠ってくれないようで。
一緒に添い寝をしたり、手を握ったり、腕をマッサージしたら眠ってくれました。

娘はずっと母と私は交代での一夜でした。

今日は昔のアルバムをたくさん見ました。
私も久しぶりに見る写真。
娘は初めて見るものもあり、楽しかったです。

結局昼間は布団には横にならず、ほどんど自力であぐらをかいて座っていました。

時間が来て、また病院へ。

病院のベッドに横になると疲れたのか、眠ってしまいました。
父にとっての今回の帰宅はどうだったやら???
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