気の向くままに

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ヘミングウェイの謎

2014-12-20 10:31:27 | 日記

キューバにて(1950年) ウイキペディアより

 

米国の文豪、アーネスト・ヘミングウェーが、キューバの沖合をヨットで航行中、手こぎボートに乗った老人が、巨大な魚と格闘しているのを目撃する。手助けを申し出ると、「あっちへ行け」と拒まれた。

 ▼ヘミングウェーは老人の様子をじっと見つめて、メモを取っていたという。1952年に発表された『老人と海』は翌年、ピュリツァー賞に輝き、2年後のノーベル賞につながっていく。

 ▼世界を旅してきたヘミングウェーだが、実は人生の後半生の22年間をキューバで過ごしている。『誰がために鐘は鳴る』など、ほとんどの作品もこの国で生まれた。にもかかわらず、キューバ時代のヘミングウェーについては、謎があまりにも多い。解明を阻んできたのはもちろん、米国とキューバの長年の敵対関係である。

 ▼フィデル・カストロ氏が率いる革命軍が勝利を収めたのは、59年だった。翌年に米国に帰国したヘミングウェーは61年、猟銃自殺を遂げる。同じ年に米国は、キューバと国交を断絶する。キューバに配備されたソ連製ミサイルをめぐる、62年の「キューバ危機」は、第三次世界大戦を引き起こす可能性さえあった。

 ▼にらみあいを続ける両国に、雪解けの機会がなかったわけではない。74年には、米国の民間テレビのキューバ入国が特別に認められた。当時のカストロ首相も愛読者だった、ヘミングウェーの特別番組の制作が、目的だったからだ。

 ▼そんな両国が、国交正常化に向けた交渉をようやく始めるという。社会主義体制下にあるキューバが、米国側が求めている人権状況の改善に果たして応じるのか。交渉は、予断を許さない。少なくとも、両国をともに愛したヘミングウェーは、進展を望んでいるはずだ。

【産経抄】 12月19日

 

◆ ヘミングウェーの名言 ウイキペディアより


あちこち旅をしてまわっても、

自分から逃げることはできない。

 


今はないものについて

考えるときではない。

今あるもので、

何ができるかを考えるときである。

 

 

とにかく、

新しい毎日なんだ。