気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

12月28日

2014-12-28 15:47:52 | 日記

 

年の瀬の季語である「煤(すす)払い」は、平安期にはすでにあった風習とされる。江戸時代は12月13日がその日とされ、江戸の城内も町中も総出で、はたきとほうきを持った。大掃除が落着すれば、家の誰かをつかまえて胴上げする習慣まであったという。

 ▼察するに灰神楽が立つような一日だったろう。『江戸川柳飲食事典』(渡辺信一郎著、東京堂出版)によると、胴上げの後は鯨(くじら)汁に舌鼓を打ったというから文字通りの「打ち上げ」である。〈江戸中で五六匹喰(く)ふ十三日〉の句が年中行事としての重みを今に伝える。

 ▼清潔な場所を好む年神様にとって、しめ飾りは「清掃済み」の証文となる。きのうも小欄で触れたが、慰安婦報道で日本をおとしめた朝日新聞と、STAP細胞問題に揺れた理化学研究所が駆け込みで会見したのも年神様にいい顔をするための「煤払い」だったか。

 ▼ゆく年に置き去りにしたい重荷や過ちは誰にでもある。ただし、朝日の会見は折に触れ自己保身の色がにじんだ。頭を下げるしかない場面で、「重く受け止める」の常套句で逃げ切ろうとした。煤を払うどころか、わざわざ煤を吸い込むとは。世話が焼ける会社だ。

 ▼ゆく年に流してしまえない、悲しみと怒りもある。9月下旬に噴火した御嶽山(おんたけさん)の山頂付近では、取り残された登山客が雪解けを待っている。北朝鮮による拉致問題はまたもや年を越す。紙面を通して関係者の苦悩を伝えてきた報道の側が、先に煤払いとはいくまい。

▼歳末の季語には「煤逃げ」もある。大掃除に及び腰の旦那衆が、屋外に避難するさまをいう。〈煤逃げをするにネクタイ締めにけり〉森田公司。よくある年の瀬の情景を、奪われてしまった人々がいる。せめて年神様の加護を、と切に願おう。
 

【産経抄】

 

<memo> 久々の好天日だった。明日からは崩れてくる予報。好天でも荒天でも室内で過ごすこの季節だが、青空と太陽を見ると気がより上向く。