気の向くままに

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余録:歌手の平原綾香さんは…

2015-09-14 14:36:50 | 日記

  
 歌手の平原綾香さんは、野球選手がコンダラという器具で体を鍛えていると思っていた。「巨人の星」の主題歌の一節「思い込んだら試練の道を」を、頭の中で「重いコンダラ……」と変換していたからだ

▲思い込みで有名なのは向田邦子さんの随筆「眠る盃」だ。「荒城の月」の「めぐる盃 かげさして」をなぜか「眠る盃」と歌ってしまう。子供のころ、父の宴席に残っていた盃の酒が「ゆったりと重くけだるく揺れる」のを知り、「酒も盃も眠っているように見えた」と、しっとりした落ちがついている

▲童謡「赤い靴」の「異人さんに連れられて」が「いい爺(じい)さん」に聞こえたり、唱歌「ふるさと」の「兎追いし」を「うさぎ美味(おい)し」と覚えていたり……。子供の柔らかな頭にメロディーと一緒に入ってくる歌詞の変換ミスは、パソコンとは違って独特の味わいがある

▲歌に限らない。児童文学作家の中川李枝子さんは「欲しがりません 勝つまでは」の戦時標語を「星が出ません 勝つまでは」と勘違いしていた(私の「戦後70年談話」)。戦争中の夜空はきっと真っ暗なイメージだったのだろう

▲こちらの歌はどうか。自民党歌「われら」(岩谷時子作詞)は「われらの国に/われらは生きて/われらは創る/われらの自由」で始まる。変換ミスは起こしそうにない。でも、この党は「われらの自由」を、自分たちが好き勝手に振る舞える自由と勘違いしてはいないだろうか、と心配になる

▲一色に染まらず、誰もが自由に意見を言える国へ。歌の本旨はそこにあるはずだ。国会の最終盤が近づく。自民党議員は虚心に党歌を聴いた方がいい。

毎日新聞 2015年09月13日 東京朝刊