気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

今年の新社会人「ドローン型」?

2016-04-01 13:40:55 | 日記

 通勤の道すがら、簡素な祠(ほこら)に一本の木が寄り添うだけの小ぶりな神社がある。日頃足早に過ぎる人々が、きのうは歩を緩めていた。見事なものだ。当方もかりそめの花見客に加わった。きょうから新年度、まっさらなスーツに身を包んだ新社会人の目に春の便りは映っていようか。

 ▼変転する経済情勢に自律飛行で立ち回り、目的地(希望する就職先)に行き着く。今年の新社会人を「ドローン型」と呼ぶらしい。この先は、強い向かい風の日も反りの合わぬ操縦者との日々も味わうだろう。自由に飛び回れずとも腐ることなかれとエールを送る。

 ▼この季節に思い出す挿話がある。柔道男子で五輪を3連覇した野村忠宏さんは、中学1年の最初の試合で女子選手に投げ飛ばされている。プロ野球巨人の長嶋茂雄さんは中学、高校、大学、プロの初打席でいずれも三振したと、あるテレビ番組の対談で笑っていた。

 ▼当方は二十数年前、記者としての初めての原稿をデスクに突き返されている。「これの何がおもしろいんや」と。喜劇俳優のチャプリンは生涯の傑作を問われ「ネクストワン(次回作だ)」とうそぶいたという。若輩者にとって「ネクスト」は遠い向こう岸だった。

 ▼もの書きの端くれの慰みとして、引き合いに出された国民的スターのお二人は渋い顔だろう。凡俗の身にはしかし、つまずきを始発点とする共通項が鎮痛剤になる。一本負けや三振が何であろう。門出を迎えた「ドローン型」の若者たちも落下を恐れることなかれ。

 ▼「つまずく石も縁の端」という。無意味に思える失敗も、どこかで誰かが見ていてくれる。同じ転ぶなら、空に掲げた志を仰ぎ見て高転びに転ぶ方がよい。慰みの花もある。上を向いて歩くには、いい季節である。

2016.4.1 【産経抄】