気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

聖徳太子の外交力

2016-04-15 13:33:17 | 日記

 「和をもって貴(とうと)しとなす」。7世紀の初めに制定された「十七条の憲法」の第一条の冒頭にある。聖徳太子が国家運営の基本を示した言葉として、あまりにも有名である。

 ▼ただし、続きがあった。「人皆党(たむら)有り。亦(また)達(さと)る者少(すくな)し」。人間はとかく徒党を組みたがり、物事の道理をわきまえた人物は少ない。当時、豪族たちは派閥抗争に明け暮れていた。太子はそんな政治のありさまを憂えていたようだ。

 ▼韓国の朴槿恵大統領が置かれた状況は、さらに危機的である。13日に行われた総選挙で、与党のセヌリ党は、過半数に達しないどころか、第一党の座さえも最大野党「共に民主党」に奪われた。

 ▼党の公認候補選びをめぐって、大統領に近い「親朴派」と距離を置く「非朴派」の内紛が続いたのが、最大の敗因である。経済の悪化になすすべもない、朴氏に対する国民の不満も高まっていた。厳しい就職状況に絶望した若者たちは、自国を「ヘル・コリア」(地獄韓国)と呼ぶほどだという。

 ▼「レームダック」(死に体)化は免れない大統領のもとで、韓国の迷走は続くだろう。左派系の野党は、慰安婦問題をめぐる日韓合意に批判的で、米国への反発も強い。中国と北朝鮮が、このチャンスを逃すはずがない。日米韓の連携を崩そうと、あらゆる手段に訴えてくる。

 ▼聖徳太子は、憲法を制定してまもなく、大陸の巨大帝国、隋に小野妹子を派遣する。「日出(いづ)る処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」。煬帝(ようだい)にあてた国書で、「対等な関係」を宣言する。煬帝は怒ったというが、朝鮮半島の高句麗と抗争中だった隋に、日本を攻める余裕などなかった。東アジアの国際情勢を読み切っていた太子の外交力を今こそ、見習いたい。

016.4.15 【産経抄】

 

<参考> 

http://www.sankei.com/west/news/160415/wst1604150002-n1.html