吉原幸子詩集 (現代詩文庫 第 1期56) 価格:¥ 1,223(税込) 発売日:1973-09 |
土曜の夜はよく、『美の巨人たち』を観るのですが、今日はガラスのアートだったので、殊に楽しみにして観ました。
ガラス、子どもの頃から好きなのです。
小学生の時集めたガラス石(割れたガラスが、水に削られたり熱で溶けたりして滑らかになったもの)からはじまって、ビーズのアクセサリー作りは、小学校高学年と、数年前と、2回のマイブームがありました。
グラスのような実用性のあるものから、アクセサリーまで何でも好き。
自分にはガラスのアクセサリーが合っているのではないか、という思い込みもあったし。
ダイヤやルビーのようなハイジュエリーは、美しい人か、自分でそれを手に入れられる胆力のある人のみが似合うんじゃないか、と思っていたので。
けれど、画面で見ても藤田喬平のガラスの飾筥は静謐な迫力に満ちて、何を入れる、と問われて作者が、“夢を入れなさい”と言ったというのも頷ける、ちょっとやそっとのものは入れられない品格がありました。
そういえば、ガラスでも、バカラやラリックのアクセサリーは、宝石に負けない気品があるものなぁ、と思って、少し反省。
そうして、少女の頃、吉原幸子の、“すきとおったものがすき”という詩におおいに共感したことを思い出しました。
元々は、雨のしずくや草の上の露のような、透き通ったものに対する素朴な憧れだったのだ、とも、思い返したのでした。