先日、猫友達の方(って、言っていいのかな…)にお誘いいただいて、上野の森美術館で開催されている、龜甲展を観てきました。
古代文字はおろか、書に関してさえまったく無知な私。
解説までしていただいて、大変勉強になりました。
そうして、書の中に英文がデザイン的に組み込まれた作品が少なくなかったのですが、とくに、仏語で『星の王子さま』の一節が引用された書は、印象的でした。
L'essentiel est invisible pour les yeux.
大切なことは、目に見えないんだ。
星の王子さまが、砂漠で出会ったキツネに言われる言葉です。
ちょっと衝撃でした。『星の王子さま』は高校生の時に読みましたが、やはり女子高生だと、王子さまと薔薇のやり取りや、センチメンタルな美しさのある日没の章などに魅かれてしまうのですよね。
キツネは、当時は好きではありませんでした。と、いうか、怖かったのかな。私の中ではなんとなく、裁きを下すカミ(精霊)のような印象でした。
けれど思い返してみると、この物語の核はキツネとの会話にあるのではないかと、はじめて気づいたのです。
もっとも、当時の私のサン・テグジュペリ作品のベストは、『星の王子さま』ではありませんでした。元々、『夜間飛行』を先に読みましたし。
(たぶんその作品からイメージされたのではないかと思われる、“ヴォル・ド・ニュイ”という香水に憧れたのも、いかにも少女趣味ですが、懐かしいです)
当時の私が何度も読み、一番好きだったのは、『人間の土地』という本でした。
今から思えば不思議です。とても地味な本なのです。エッセイとも、ドキュメントとも、回顧録とも、そして物語とも言い難い内容で、ストーリーはあってなきがごとしです。
しかも読んでいると、作者が飛行家だったせいか、砂漠の土地を、そして地球を空から見下ろしているような気分になり、そうしてその目線で見る地球は何とも寂しいのでした。
そして、考えているうちに気づきました。二十歳前後だった私が、あの本に魅かれたのは、あれが“死”の物語だったからだと。そうして思えば、『夜間飛行』にしろ『星の王子さま』にしろ、すべて物語の底には、死が横たわっているのでした。
初めて死について考えたのが、私は6歳の時でした。そうして再び真剣に考えたのが、二十歳前のあの時期だったのでしょう。今、人生の半ば過ぎに立つ自分にはそれが分かったのだし、あと二十年たち、もっと死が身近になれば、別の感慨がわいてくることでしょう。
そうして、今の私には、“目に見えないもの”は、生と死のはざまにあるように思えたのでした。
書に向かいあって、ほんの少し、自分にはうかがい知れないそのものの影を感じたような不思議な時間でした。