スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) 価格:¥ 777(税込) 発売日:2003-10 |
昨日私は仕事がお休みでしたので、一昨日同僚にメリーのストロベリーチョコを持って行きました。
それでふと、思い出したのですけれど、メリーカンパニーのメリーの綴りはMaryですよね。
以前先輩が「マリー」と言って、一緒にいた相手に「メリー」と言い直されて恥ずかしがっていましたが、私その時ふと、でも、Maryはメリーと読んでも、マリーでも、あるいはメアリーでも、間違いではないよな、と思ったのです。
(どっちが実際の発音に近い、というのはあるでしょうが、英語の発音をカタカナ表記するのは限界がありますから)
そしてそれで、連想したのがこの本です。印象的な女性登場人物に、Maryという人がいたから。
今は翻訳が変わっているようですが、私が読んだときは、田村隆一氏の訳でした。Maryは、メリィ、と表記していたように思います。
この作品、数人女性が登場するのですが、私の記憶だと、シシィ、とか、やたら小さいイがつく名前が多かったように思います。
最初は紛らわしくて、なぜ、この人だけでもマリーかメアリーにしなかったのかと思ったものです。
でも、考えてみれば詩人である田村氏が一文でもおろそかにするはずはなく、まして名前の表記は、そうでなくてはならない理由があるはずだと思いなおしました。
そうして、本が手元にないのであいまいですが、その女性は富豪夫人で、一見淑やかな美女なのですが、“その瞳には野生のきらめきがあった。”というような表現があったと思います。
私のイメージではメアリーは平凡な女性、マリー、はちょっとお嬢様を連想させます。そしてメリーは、ジョン・フォードの西部劇に出てくる酒場の女性のような、ちょっと伝法な感じ。
それが、メリィ、と小さなイがつくと、すこしセクシーなニュアンスというか、仄かな色っぽさを感じさせるように思います。
名前を口ずさんでいるうち、楚々として控え目でありながら、その目の中に野生のきらめきを持つ女は、やはりメリィでなければならない、という気がしました。
小さな違いですが、不思議です。そのことでその時の鮮烈な印象は、いまも胸にあるのです。
イギリスのコント番組「モンティ・パイソン」にこんなコントがありました。
あるテレビ局の対談番組…「今日はスタジオに、Raymond Luxury Yacht(レイモンド・ラグジュアリー・ヤッチト)氏をお呼びしました」というアナウンサーに「違う!私の名前は、そう書いてスロート・クブラー・マングローブと読むんだよ!」と答える人物…
イギリス英語のスペルと発音のあまりのギャップを、ネタにしたギャグらしい、です[E:coldsweats01]
洋泉社「モンティ・パイソン大全」によると、イギリス人も言語学者も、このギャップについて説明出来ない、のだとか。
詩人のモームの表記が“Maugham”である事や、イギリス北部の町“Keighly”を、現地の人は“キースリー”と発音する事を、誰も説明出来ない…当人の申告が正しい、としか言いようがない、のだそうで…
Maryが“メリー”か“メアリー”か“マリー”か“メリィ”かは…それこそ本人がどう呼ばれたいか次第、みたいな感じの部分もあるかもしれませんね[E:coldsweats01]
そのコントなら、私も笑えます。
でもなぜ、そんなに発音にギャップがあるのでしょうね?
言語学者が分からないものを分かるはずがありませんが、英語の発達の過程で、何ごとかあったのかなぁ?
そういえば、こんな言葉を聞いたことがあります。
《ドイツ語は書いたように話し、フランス語は書いたように話さない。そして、英語は書かないように話す》って[E:smile]
日本語も漢字の読みは思いがけないものがあったりしますけど。
それにしても、英語を流暢に話すのは今さら無理だし、発音もそこそこでイイ、と思っている志の低い私ですが、人の名前だけは、本人の望むように発音したいですよね[E:confident]