どこからお話を始めたら正確にお伝えできるでしょうか。少し迷っています。
やはり主人公の父君を御紹介するところからでしょうか。
父君サー・エバーアード・ディグビィ( Sir. Everard Digby;c. 1548 – 1/30/1606 )はあのジェームズ1世の暗殺未遂事件; “火薬陰謀事件(1605/11/5)” に関与した角で1606年セントポール教会の西端で処刑されます。エッチングには、これから首を吊るされる罪人達がそりにのせられて運ばれて行くところが描かれています。1、2、3、4、5人と、絞首の刑が行われている広場の方へと向かっています。1606年1月30日、ディグビー、ロバート・ウィンター、グラント、ベイツはセントポール教会の西端にて処刑、翌日にはガイ・フォークス、トマス・ウィンター、アンブローズ・ルークウッド、ロバート・キーズが協会前で吊され引き裂かれたのです。周りには幾人ともしれない多くの見物人たちが集まっています。(この絵は一月31日の模様を写したものです)
A 1606 etching by Claes Janszoon Visscher (1587 – 19 June 1652), depicting Fawkes's execution
父君はサーの称号が付いているので、貴族階級の最下層である男爵の下のジェントリ(郷士)ですが、「ジェントリ」を貴族に含まれない階層の者であると理解するとこれからのお話に誤解が生じるので、少し説明しておきましょう。
ジェントリは一言でいえば、地方貴族です。日本でいえば地頭のようなものでしょうか。イギリスの貴族はノルマン・コンクエストの際にイングランド各地に封じられたノルマン人ですが、ジェントリはそれ以前からの在地の有力者、地主です。1300-1400年にかけて、社会情勢が上向いた時期に、それぞれの地方の貴族の家臣として仕えたり、地方行政職を無給で引き受けたり、地方の行政機構の一翼を担ったりしたのです。端的に言えば、港の荷役作業の取り扱い許可、河に設けた関所の通行管理権、定期市の運営許諾権などなどの仕事を貴族から請け負い、貴族に代わって行うこともしたのです。秀でた者は、中央官職に就くこともありました。
絵の出所は不明ですが、これが親父のエバーアードです。なかなかのものでしょう! 1548年にレスターシャー(イギリスの中央部)で、決して裕福であるとは言えないが、ジェントリの家に生まれ、19歳の時にセント・ジョンズ・カレッジ ( ケンブリッジ大学 ) に入学、36歳でそこの教員になりました。
つづく