二番手はUniversity of Ingolstadt の教授Nikolaus Wynmannで、エバーアードは、実は三番手なのです。とりあえずニコラウス・ウインマンの内容を見ておきましょう。
水泳は、中世において、鎧を付けたまま泳ぐことは騎士として身に付けておかねばならない七技能の一つでした。何も身に付けずに泳ぐことは近世ともなれば時代遅れなことでした。ドイツの言語学教授である、ニコラウス・ウインマンは1539年に “ ミズスマシ、泳法について;Colymbetes, sive de arte natandi dialogus et festivus et iucundus lectu” を出しました。溺死事故を減らすのが目的でした。平泳ぎを習得するための医学的なアプローチと牛の膀胱を使った浮き袋、葦を束ねた浮き、コルクで作ったベルトを紹介しています。しかし、内容は泳ぎを覚えさせるのが 真の目的ではなく、魂の救済を訴えるのが隠された意図でした。『地獄に閉じこめられた魂はステュクス川を渡って対岸に渡りつくのです。地獄に流れ込んでいるこの川を渡らなければ、この時泳ぎができなければどうやってこの川を渡るのだ。』
1861 ステュクス河。( Styx、ギリシャ神話で地下を流れているとされる大河、三途の川 )ギュスターヴ・ドレ画 ( Paul Gustave Louis Christophe Doré 、1/6/1832-1/23/1883 )
エバーアード・ディグビィの水泳の書は上の二つとは異なります。さすがは我が父君。少しお見せして次回のお楽しみということにしましょう。
裸で泳いでいるのは、この時代の通例。いかれているのではありません。女性も同様です。お楽しみに!