ディグビィの不測の事態を述べる前に、この頃のイングランドの政局についての知識を仕入れておく必要があります。出来るだけさらっと流すつもりですが、うまくいきますかどうですか。
「そんなの常識!!」と言う方は飛ばしてください。私にはかなり手強かったです。
ケルズの書(The Book of Kells)は、8世紀に制作された聖書の写本。
ケルト十字
ディグビィが生きていた頃の王はジェームズⅠ世 ( 1566-1625 )で、彼はスコットランド王として( 7/29/1567-3/27/1625在位 )、イングランド王・アイルランド王として( 7/25/1603-3/27/1625在位 )、スコットランドとイングランドの双方を治めていたのです。彼はスコットランド女王メアリーと2番目の夫であるダーンリー卿ヘンリー・ステュアート( 母はヘンリーⅧ世の姉の娘 )の間に生まれたのです。
そこで、 スコットランドとイングランドの宗教的バックグラウンドを把握する必要が生じました。まず、スコットランドから、
上の絵の如く、スコットランドにはケルトの影が色濃く残っています。あの有名な「ケルズの書」を作成したアイオナ修道院(Monastery of Iona;アイルランドの守護聖人の聖コルンバが563年にアイルランドから亡命して創建した。)があります。聖コルンバやその弟子たちはこの島からスコットランドや西ヨーロッパにケルト系修道院を広めキリスト教伝道を行ったのです。
イングランドでヘンリーⅧ世の離婚問題が取り沙汰されていた頃、スコットランドでは、ジョン・ノックス(John Knox、1510-11/24/1572 )によって指導された長老派教会(プロテスタント、カルヴァン派の教派。)がスコットランド人に受け入れられていました。