Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 228

2021年05月08日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

以下の記述は、植物学と考古学の出会い:人と植物(Botany meets archaeology: people and plants in the past )https://academic.oup.com/jxb/article/64/18/5805/606750

Wilhelmina Mary Feemster Jashemski (July 10, 1910 – December 24, 2007)からの引用です。

   

79年のベスビオ山噴火による降下火山灰の被害地区(黒色部分)。火砕流による被害地域よりもはるかに広い。Wikiから

 

次に述べるヴェッティの家は、西暦79年のベスビオ山の噴火で埋もれ、保存されたローマの町ポンペイにあるドムス(domus、共和党時代と帝国時代に上流階級と一部の裕福な解放奴隷が住んでいたタイプのタウンハウス)で、所有者は、2人の成功した解放奴隷、アウグスタリス(Augustalis)のAulus Vettius ConvivaとAulus Vettius Restitutusです。彼らの名前に因んでにちなんでヴェッティと名付けられました。

ヴェッティの家はポンペイの町の赤の場所にあります。 Map of Pompeii. House of the Vettii highlighted in red

このヴェッティの家(pre.79CE)のフレスコ画の中に、ローズウォーターの作成工程を描写したものが発見されました。キューピッドはウェッジプレスでオイルの抽出に携わっています(図右側)。

 

 

  

 

Fig. 97 A section of a long frieze depicting cupids at work. House of Vettii, Pompeii 62 CE. http://clagnut.com/sandbox/dynamic-layout/        

   

         

これはオリーブオイルを絞る様子です。くさびを打ち込んで(ウェッジプレス、Wedge press)オイルを絞っています。 for Romans to produce olive oil

http://www.sabor-artesano.com/gb/system-wedge-press.htm 

                                   

ジャシェムスキー(Wilhelmina Mary Feemster Jashemski、1910/7/10– 2007/12/24、ポンペイの古代遺跡のアメリカ人学者、古代都市の庭園と園芸に焦点を当てていました)はポンペイで、香水産業の為の花の生産場所を見つけ、市内の商業庭園を特定しました。町の中に、ウンゲンタリの名の付いた、M. Decidius FastusとPhoebusという碑文が2つ見つかりました。( 1979 )

 

        

ポンペイ. 小さなガラスの香水瓶、1972. 出典:メリーランド大学図書館、写真;WilhelminaおよびStanley A. Jashemski

http://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R2/2%2008%2006%20p4.htm 

 

ジャシェムスキーは、1972~1974にかけて行ったメリーランド大学の発掘調査で、ヘラクレスの庭(Garden of Hercules)※から、これまでに見つかったものとはまったく異なる庭園を発見しました。土壌の輪郭、植栽パターン、水やりの準備、古代の花粉、香水瓶が見つかったことで、ここが商業的なフラワーガーデンであり、香水や香油、そしておそらく花輪を作るのに使用されたことを示唆しました。

古代の作家は、カンパニアの花産業の重要性について語り、ポンペイの壁画は、花輪と香水の作り方を描いています。碑文は、unguentariiの活動を証明していますし、この庭は、市内で商業用の花をが育てていたことを物語っています。

 

※ ヘラクレスの庭の家(または調香師の家) ポンペイ、1953年、1971年、1987年に発掘。1988年に復元

https://www.pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R2/2%2008%2006%20p3.htm 

  

北向きの庭の食堂、200/12,. Summer triclinium in garden, looking north.

 

庭での発掘中の食堂から東に向かって犬小屋とララリウム(Lararium、守護神を祭る社)を見る、1972. Photo by Stanley A. Jashemski.

    

この像からここにヘラクレスの庭の名が付けられました、1972. Marble statuette of Hercules found near the lararium. Photo by Stanley A. Jashemski. 

                                    

パエストゥムに関する記述やポンペイで見つかった絵から、香水は青銅器時代の初期以来千年以上にわたって製造されていたという仮説が成り立ちます。ピュロスのミケーネ時代の宮殿からの出土した線文字B※が刻まれた粘土板は、香りのよい油が製造され、それが供給されていたことを示しています。

 

香水メーカーには、テュエステース(Thyestes、ギリシャ神話の人物)、ungentarus、unguent boilerの名前を付けたものがありました。 オリーブオイルの他、コリアンダーやセージなども記録されており、香水は宮殿の北東にある中庭で作られた可能性があります(Shelmerdine、1985)。

 

線文字Bは、テオプラストスも気づき、ヒストリア プランタルム(植物の歴史:Historia Plantarum VI, 31) BCE.の中で、香水を着色するために使用するヘナ(Lawsonia inermis)について言及しています。青銅器時代後期には、香りのよいオイルが地中海周辺ではセラミック製のあぶみ瓶※で取引されていました。 クレタ島のチャマレブリで紀元前2000年頃にさかのぼるアリュバロスの「残留分析」により、薔薇だけでなくアイリスの油の痕跡も確認されています(Tzedakis and Martlew、2002)。 (2013年)

 

※ あぶみ瓶

    

ルーヴル美術館のコレクションにあるミケーネ文明のあぶみ瓶、ca.1350BC

 

青銅器時代後期には、香りのよいオイルが地中海中のセラミック製のあぶみ瓶で取引されていました。 クレタ島のチャマレブリ(Chamalevri)で紀元前2000年頃にさかのぼるアリュバロスの「残留分析」により、薔薇だけではなくアイリスの油の痕跡が確認されています(Tzedakis and Martlew、2002)。 (2013年)

                                  

※ 線文字B(Linear B)、BC1550~BC1200頃まで、ギリシャ本土およびクレタ島で使われていた文字で、古いギリシャ語の方言を表記するのに用いられました。

主に粘土板の上に左から右に書かれ、音節文字と、表意文字(絵画的な記号、および数字と単位記号からなる文字)で表され、このギリシャ語をミケーネ ギリシャ語と言います。

   

線文字Bの碑文は、そのほとんどが材料や商品をリストした会計記録で、ギリシャ語で書かれた最も初期のものです。https://omniglot.com/writing/linearb.htm

 

 


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