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KIBOU 旅 三軒茶屋

2013年04月01日 | Weblog
三軒茶屋

 3月2日に世田谷の三軒茶へ行った。三軒茶屋の名は江戸時代に三軒の茶の店があったことでその名が付いた。ここは江戸時代から多摩川の行楽地や神奈川への主要の道で人の往来も多かった。今も、三軒茶屋はにぎやかで、若い人にも人気がある町で、商店街や飲食店街も多く人々でにぎわっていた。キャロート・タワー(写真)は26階の高さで最上の展望台は夜景が素晴らしい眺めができる。昼間の晴れた日には富士山も眺められる。この日も、多くの人が展望台で夜景を楽しんでいた。三軒茶屋は世田谷でも中心的な町で近くには駒沢オリンピック公園がありトレーニンセンターなど人気がある。また、南には川崎と接触した多摩川での自然とのふれあいも楽しめる。そして、三軒茶屋の東には松蔭の墓がある。ここは、江戸時代は、長州藩主の別邸があった。長州の松蔭が、1863年安政の大獄で刑死した。のち、高杉晋作を中心に松蔭の門下によって、小塚原の回向院にあった墓をここ世田谷に改葬された。松蔭と高杉の有名な師弟の場でもある
 歴史を見ると、昔、世田谷は武蔵国や多摩郡等の地域に属していた。江戸時代も千代田区や墨田区などと違い、世田谷は地方郡に属していたのであった。世田谷の名物としては、世田谷ボロ市がある。400年前からある歴史は古い。現在は、1月、12月に行われ区の最大フリーマーケットとでもある。また、世田谷城址公園、世田谷代官屋敷など旧跡、観光スポットもある。





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参考
  吉田 松蔭  江戸末期の思想家。多大な青年を育てた。そのなか高杉晋作が最も有名。