平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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opinion

2016年01月31日 | Weblog

灯り

           OPINION

 世界で混乱を示すように1月21日にパキスタンで大学で武装集団が押し寄せ銃を乱射し学生が20名死亡した。また、中東ではいつ何か起きるかわからない不安状態でもある。しかし、一方、青年らが、未来の平和のために勉学勤労している。聞いたところによると、ある学生は世界の平和に貢献できるような仕事を望み勉学に励んでいるという。 平和、幸福は誰しもの願いである。しかし、現実には、貧困、難民、人種差別、飢饉などあればテロなど問題の解決は困難ではないだろうか。しかし、人間は大きな可能性を秘めている。困難な問題も話し合いなどで解決ができる。非暴力者、インドのガンジーは非暴力でイギリスからインドを独立に果たした立役者である。ガンジーが若いとき南アフリカにいた時、インド人が人種差別されていた時代であった。しかし、彼は、差別と闘いかちぬいたのだった。その勝利の一つには、インド人の団結心があった。団結は大きな力を得られる。仏典にも異体同心すなわち団結の大切を説かれている。平和、幸福の実証は民衆の武力への監視が必要ではないだろうか。

 kibou 328号


旅   日本カメラ博物館

2016年01月24日 | Weblog

思い出の旅 2007年

東京麹町日本カメラ博物館        

  2007年3月4日に地下鉄半蔵門駅で下車しカメラ博物館(写真)に行った。半蔵門駅というとここから最高裁判所、国立劇場、イギリス大使館などへいける。普段は車などでにぎやかである。この日の休日は静かで電車も空席が目立つほどであった。カメラ博物館は半蔵門駅5番出口から3にある。都会は出口や道を間違えると時間がかかってしまうので注意が必要である。しかし、その道を間違えてしまって大回りをしてしまった。しかし、途中に、滝廉太郎がこの地に住んでいた案内版があった。道間違えたのはラッキーだった。

 

 滝廉太郎と天才的な作曲家で残念にも23歳で死去された。名曲 荒城の月はあまりにも有名である。又、花、箱根八里、鯉のぼりなど名曲を作曲されている。滝はお父さんの転勤で富山、大分、横浜などに住んでいた。明治31年に東京音楽学校を卒業された。後にはドイツへ音楽の留学生で学んで。話はそれてしまったが、カメラ博物館というとさまざまなカメラが展示されていた。中でも小型カメラ、日本第一号は、1923年(大正12年)に試作機として日本に来たライカ0号であり、希なカメラで見ものであった。他に草創期カメラが多数展示されていた。又、カメラが分解されその巧みが理解できる。そして、ボタンを押してレンズを覗くと立体写真が見られるなど工夫された展示品もある。博物館の隣では写真の展示会が開催されているので無料で見られる。また、この辺はさまざまな建物があるのでビルの間を散歩するのもいいとおもう。

 

 

 

案内

 

日本カメラ博物館

 

地下鉄半蔵門駅下車5番出口徒歩3分

 

開館 10時―17時 休日 月曜



旅 グルメ  目黒(東京)

2016年01月22日 | Weblog

旅 東京 グルメ

   玄米など有機食を楽しむ  目黒 センスある街

中目黒にきた。ここは、目黒の中心的な街でもある。普通の日は都心の故にサラリーマンなどで賑やかである。この日は、日曜日で静かな日であった。その中、多数ある飲食店の中から、有機食を看板にしていたグルメに入った。小さな店であったが、すでに外人が数人先客としていた。メニューから、ポテトシンプルコロッケを注文した。しばらくして、注文の品が出てきた。ふくらみあるコロッケなど(写真)と、五月サラダ、スープ、玄米ライス等に、待ってましたばかりにフォークを目玉のコロッケに入れ口にもっていった。それから、五月サラダ、スープ、ライスと食べる。おいしい、五月サラダもおいしい。これはいけるとばかりに食べる。おいしい。栄養、バランス、よく考えて品を作っていた。そして、オリジナルのソフトクリームを注文した。おいしかった。この店は、有機食を看板にし人気があった。

有機食品とは、種蒔きまたは植え付け前2年以上、禁止されている農薬など使用しないでの生産という。すなわち、消費者の健康を考えて生産された食品である。ここの有機グルメ店は、レインボー ハード ランデブートの名前で様々な品があり皆とてもおいしそうであった。しかし、この近辺は、花屋やお洒落の洋品店、居酒屋、レストランなどグルメなどセンスがある街である。歴史をみると江戸時代は神社の信仰の街としてにぎわい、町、武家屋敷は機能しておらず、筍の産地とある。以前の目黒の地名は、荏原郡中目黒村、下目黒村としての地域であったが、JR目黒駅に近いところで目黒と名が付けられた。目黒区内には鉄道が東急、地下鉄、JRなどが走っており広い地域に庶民の欠かせない交通網となっている。

 

案内 目黒の人気地

 1 桜の目黒川  目黒駅から徒歩5分

 2 林試の森公園 武蔵小山から徒歩10分

 3 目黒寄生虫館 目黒駅から徒歩15分

 4 旧前田邸洋館 駒場東大前駅

 5 自由が丘スイーツフォレスト 自由が丘駅から5分

 地理
 目黒区内の目黒は東端は品川区大崎に接する目黒1丁目で、西端は中町に接する目黒4丁目である。北は三田に接し南は下目黒に。目黒川が北西から南東に向かって流れている。

 人気の前田邸 東京都の指定有形文化財、緑に囲まれ優雅で気品がある。週末は中に入って見学できる。住所 目黒区駒場4-3-55

入場料 無料  時間 9時から16時まで



 


Infromation

2016年01月17日 | Weblog

infromation                                                         将棋 答 6三桂不成

 

                      ニュース

 年金積立金運用機関(GPIF)8兆円損失   (12月)

 イチロー 大リーグマリーンズと終身雇用契約


 

 旅

 なまはげ祭り

 秋田 男鹿半島

 予算 1泊2日

 約50000円

 


     核問題

水爆は原爆の400-1000倍の威力ある

 

アルゼンチンでSGI創価学会が核兵器のない世界を目指しての展示会開催




短編小説     鬼人母神 

2016年01月10日 | Weblog

 

短編小説    鬼人母神  作 中道 進

 

昭和22年頃は世の中は戦争に負けた事で国民の生活は苦しくなった。食糧も配給制度で田舎などて買い出しにいかなければたいへんだった。22年の2月には買い出しで八高線脱線事故て184かで買い出しで亡くなっている。同年12月には、酒などが4倍上がっり騒乱がおきている。話は本題に入って、吉沢恵子は30歳、美人で愛想がよい。しかし、背中に刺青がある。仕事は、水商売をしているが、これが悪事で、客をさんざんに飲ませ意識がもうろうとしたところを配下のバーへといかせてぶったくる。客が訴えても足取りがわからず手掛かりなしであった。恵子の小さい頃は実の母が若くして病死しで10歳の時に継母をもらった。しかし、後妻が弟を生んでからいじめられた。

 経済的の理由で12歳で仕事に行かされた。豆腐店での住み込みの仕事であった。給料は義母に持っていかれた。冬には手を真っ赤にして働いたが泣き言は言わなかった。しかし、15歳の時にその店を突然にいなくなった。噂では色男のやくざに騙されて駆け落ちしたという。  


 恵子の店は駅裏通りにあった。客が入るとカンター席しかないところに、酔った客の隣に座り話を合わせ飲ますのだった。それもアルコール度が強いウイスキーをロックであった。カンターには若い女の子が入り注文の酒を出すのだった。(なんだーこの酒は、おいしい薬でも入れているのかー)(恵子 外国のお酒よ、おいしいでしょう)(客 ねむたくなったよ。寝かせろ)(恵子 面白いお店があるのよ)こんな具合で客を騙すのであった。話は変わるが、仏典によると、鬼人母神とは、王舎城の居住者の娘であった。五百鬼子の母であった故に、鬼人母神といいその性格は凶暴で人の子を食べたとある。庶民が困り、釈迦に相談した。釈迦は、鬼人母の子を隠した。鬼人母は世界中7日間さがしたが見つからず、釈迦に相談した。釈迦は、鬼人母の非行を攻め死ぬまで子を殺さないことを誓わせ子を返したのだった。話はもとに戻し、恵子は酔っぱらった客を飲ませては騙した。

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詩  あ 富士山

2016年01月05日 | Weblog

      あ 富士山

      あ!富士山だ

      真っ白で

      堂々していた

 

      僕は

      心が洗われた

      清くなる

 

      日本男子

      富士の如く

      堂々といこう   YUUHO  

               写真は富士山が遠くに見える(厚木で)