平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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     ランプ

2011年09月25日 | Weblog
ランプ
 魯迅は、1881年9月25日生、本年が生誕130年であります。魯迅は今の中国の世界的経済成長の門を開いた。魯迅が活躍した時代は、中国はイギリスなど欧州国、日本が権力を押し付け、言論の自由もなく国は闇であった。しかし、日本へ医学への道で留学していた魯迅は、祖国の悲劇を救わんと帰国し文筆活動で戦った。その敵は権力の手先となった文筆家の連中であった。その戦いは冷酷極まるものであった。しかし、魯迅は戦い抜いた。若い人たちの未来のため、国の将来の発展のために戦ったのだった。魯迅の講演は青年に人気があり、座席は座れなくあふれた。魯迅の思想の、文筆は庶民のため、また、青年を第一に大事に育てる精神は、お弟子に引き継がれ中国、世界で学ばれている。

 放射能の不信病  続き    編集後

2011年09月23日 | Weblog
      その2

課長 ぶるぶるブル。ここは安全ですか。放射能は大丈夫ですか。
家主 貴様、うぬー。そのマントは何じゃ。予防のためか。馬鹿にするな。しかし、君の気持ちもわかるよ。報道、すなわち、マスコミは、安全地域を確実に書いてもいただきたい。危険区域から近いことで安全を書かないのは困るよ。 ところで、君らは。
部下 紹介遅れました。実をいうと、都内の不動産業で、今度、こちらの地域に支店をだすプランがあるのです。よろしくお願いします。後ろは課長です。
家主 その後ろの課長、なんだ、まだ震えているのか。 人を信じられないのか。
課長 ぶるぶる、近寄らないでください。何しろ、被爆したら動けなくなってしまう。報道によると、被爆した人もいるという。ぶるぶるぶる。
家主 それは現場だよ、しかし、おかしな人だな。マントの重装備して戦争ではあるまいし。    
              3 不信
課長 君、怖くないのかね。被爆したらどうするの。
家主 危険区域は住めないが、ここはレベルが低い、安心して住めるよ。
課長 君、報道は信じるのかね。人を信じるかね。スポンサーがいるのだよ。スポンサーの機嫌をそねたら広告費がはいらない。
家主 まさか、よこまではやらんよ。一流の報道者が。まあ、君らは若いが、昔だったらあったよ。報道がお金や、権力で動いたのが。
課長 しかし、以前、無実の人を罪にしだて報道にした。その人が無実であったことが判明をした。しかし、その傷は癒せない影響がでた。
家主 今は時代が違うよ。記事を書くときには確認しているだろう。
課長 だろう。だろうは推測語だよね。推測というのは真実ではないよね・
家主 しかし、あなたは その格好は何なの。マントを頭からかぶって。人間不信から来るのだろう。人間を信じられないの。

課長 騙されては危険だよ。放射能は怖い、恐ろしい。
部下 課長、とにかく、その格好では仕事になりません。帰りましょう。
家主 しかし。一度、病院へいって相談したほうがよいのでは。人間には心の病気が8万4千あるという。現在社会、フリターや家に閉じこもる青年も少なくない。社会が不信感にあふれる。子供たちもそうだ。虐め問題、受験競争、勉強やれやれの一点では心も荒れる。
     
           4 家主の独演
家主 課長も社会の競争から心も荒れたのだろう。子供の時も勉強ばかりであったのだろう。課長が人間不信になるのは無理もない。報道の真実の議論は抜きにして、今の時にマント、放射能が怖いからといってマント着るのは外れている。心の病だろう。
 その昔、インドで、名高い腕の良い医者のところに、悪い膿がいっぱいできた王が来た。医者はそれでは死ぬだけである。黴菌が体に回ってしまう。医者の手では治療は不可能だ。ただし、一つの手がある。助かる手が一つある。そして、その一つの方法を選び、医者のいうことを聞き、仏に帰依し、8万4千の心の病を治し長生きしたとある。それとはちがうが、課長はゆっくり休んでは。       (課長と部下は帰っていった。)         

家主 二人は帰へたか。しかし、純粋だ。今の世の中は情報が洪水のようにあふれている。故に、その情報にフンドウされやすいのが人間だ。人間の心は少しの事で変化しやすい。弱い人間は、自分の悪い噂でだめになる。貧弱なのである。強い人間にならねば、競争の人間社会に勝利するのだ。それには、太い神経になるのだ。山のようにどんとした人間に。 
                                      終了
 
  編集記
 放射能は誰しも怖い。故に家主の言い分は信用できるだろうか、報道に不信になるのは無理もない。課長がマント着るのも無理はない。普通はできない。しかし、なかには、心に柵をつくっているのでは? 心にマントきているのでは。故に、関係機関は、放射能レベルをわかりやすいように、安心できるように、危険なら危険と発表してもらいたい。そうすることによって、安心して旅行もできる。安心して食料も買えるのでは。
 作者が福島にいってびっくりしたのが、地元の人はのびのびして明るかったこと。もう一つは、観光地に人が少なかったこと。報道の影響があるなと感じた。

放射能の不信病     編集後

2011年09月23日 | Weblog
短編小説  放射能の報道病
              1出張
社長 課長 わかっているな、きっちり調べて安全だったら支店をだすからな。無理するなよ。当社は拡大を無理なく進める
課長 はい、承知であります。放射能が安全であるのかきっちり調べます。
社長 早速 現地へいけ。
課長 はい承知しました、
 (課長は社長室をでて、タクシーで空港へえ、そこから現地へとむかう)
課長 怖いな 放射能は怖い ぶるぶるぶるぶる。運ちゃん、羽田へ。
部下 課長あまり心配しないでください。
課長 念にはねんをいれろよ。マントは用意したな。
部下 もって来ました。しかし、何に使うのですか。
課長 現地へいけばわかるよ。
 (二人はあらかじめ予約しておいた飛行機時間に間に合うように食事をした)
部下 課長、震えているではありませんか。まぜそんなに放射能がこわいのですか。
課長 君、チェノブイリを知っているだろう。あそこでは多大の人が亡くなった。後遺症で苦しんでいる人も少なくない。報道は真実を伝えない。実際は多大の人が亡くなっている。放射能と聞いただけ怖いよ、震えるよ。がたがたが。
部下 しかし、ここは日本ですよ。報道だって信じられます。危険区域は警察官がいて入れないようになっています。ですから、安心ですよ。30キロ地点は安心です。
課長 しかし、中には、被爆したのもいるんだよ。移るのが怖いんだ。がたがたが。
部下 現地行けばわかりますよ。まさか、移すとは、黴菌でもあるまいし。
課長 現地いったら地元の人とはまをあける。近づくなよ。離れてしやべれ。
   (二人は飛行機を利用し車で、原発事故現場から30キロ地点の区域に入った)
課長 おい、マントよこせ、これをかぶって仕事だ。安全第一。
部下 マントを体に巻いて、何をするのですか。まるで顔だけ出したマントではないですか。
課長 こわい、移るのが怖い。お前は、俺のたてになれ。ぶるぶるぶる。
          (二人は現地の農家を訪問し放射能の調査へ)

              2 訪問
部下 こんにちは、誰かいますか。
家主 誰じゃ。名乗れ。後ろの奴、怪しいな。顔だけ出して。何者だ。くせ者か。
部下 あちらは病気で。報道病なのです。すなわち、報道が信じられない。

 9月8日は原水爆禁止誓言の日 (平和は誰もが願う)

2011年09月07日 | Weblog
 原水爆禁止誓言
 戸田城聖先生は1957年9月8日、横浜三ッ沢競技場で原水爆禁止誓言をした。その時代は世界的に科学兵器武力拡大で血眼でもあった。故に、驚いた平和誓言ででもあった。現在は核兵器禁止運動は国際的にもひろまっているが、当時はそれほどでもなかった。戸田城西の先駆的眼力は、未来の人類への平和建設であった。であるから驚きでもある。
 
 その平和建設の一つには、青年の人材育成であった。青年の力を、無限の可能性を知っていた。そして、多くの青年を育てた。その筆頭は池田大作先生であった。池田先生は、のちに、世界に宗教をひろめ、また、世界の大学などと文化、学術等交流され国の理解力など深め平和貢献した。宗教は世界190以上の国に弘教した。また、学術は八王子に創価大学を創立し、アメリカにもSJI創価大学を創立した。

 戸田先生は多くの青年を育てあげた人であるが、平和に関しては敏感であった。それは、戸田先生の過去から来ている。戦争中、平和活動で、軍部からにらまれ監獄に閉じ込められた。そして、牢獄で大変な苦労をしたのだった。今と違って、昔は何もない時代である。国民も我慢をされた時である。故に、牢獄はなおさらであった。罪もなく、平和のために戦い、庶民の幸福のために戦った戸田先生を牢獄であるから軍部もひどいものである。その軍部のひどさは、ある思想家にはバットを用い威したとも。

 時代は軍部の強権、兵隊はスリッパなぐって鍛える。若き人も特攻隊にいかせる。にごりきった時に、戸田は平和活動をやりきった。平和活動には筋金であった。故に、原爆の怖さ、広島、長崎での実証での怖さ。故に、未来の人々のために原水爆禁止誓言をなされた。戸田先生の名言(この地球上から悲惨をなくしたい)この言葉は、今なを多くの人の心を打つ。

                                                 nakamiti
  平和は誰しも願う
 家族と笑う、友と話す、ドライブする人生を楽しむのは当然、しかし、時勢に無関心では、原爆は怖い、一発で多大の生命を奪う。故に、平和に対しては監視は当然である。現在は原発問題もある。外国情勢もある。政治の舵で希望にも、闇にもなる。故に、家族の平和、生活の楽しみのためにも、世の出来事には監視が必要ではないだろうか。平和は誰しも願う故に。
                                              中道 進

    旅するトラ(猫の名前)の話

2011年09月05日 | Weblog
 トラの話
 旅をするトラ、トラは飼われている猫の名前である。トラは人になつこい。そばによってくる。暇なときはうで等をなめている。仕事はない。猫だから当然である。餌は常に家に置いてある。故に、好きなときに食べられるようにしている。トラは最近、家を出て旅をする。2、3日たってから帰ってくる。家はわが家と当然のように振舞う。

 今日は若輩は、昼にパンとおにぎり、カップラーメンだった。トラは待ってましたとばかり、二やーと鳴いて、私にもと合図を送る。早速、パンをちぎってあげた、しかし、食べない。今度はおにぎりの米粒をあげた。これも、においをかいで食べない。今度はカップラーメンの麺をあげた。これは食べた。また二やーとなく、またあげた。また食べる。何回か続けた。食事して満足してお昼寝である。

 しかし、思うが、猫は仕事はない、ご飯も食べられる。しかし、大変であろう。食べてはねて、飽きたら、旅して、気楽なようだが大変であろう。たとえば、旅の途中、強い猫がいたら虐めだろう、ショバを荒らしたということでただではすまないだろう。トラは小型であるから、まずはやられてしまう。下手したらかたわである。トラを良く見ると、耳には傷が多数ある。これもボス猫にやられたのでは。人間と違って訴えることができない。仲間もいないから仕返しもできないだろう。

 また、大変と思うのは、勉強ができないから時刻もわからない。テレビもラジオもわからない。人間でよかった。人間は本も読めるし趣味もできる。愚者が本を読んでいるとトラは寝込んでいる。機嫌が良いときに二やーとないてよってくる。しかし、トラは、人間を教えてくれている。いかに人間が素晴らしいかを。仏教では、人間に生まれたことはすごい福運であると説かれる。