平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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池田大作先生研究所  続4

2011年11月30日 | Weblog
研究所 続4

 現在、青少年等いじめ問題は深刻である。最近の情報によると学校では、昔と違って、生徒が先生をつるし上げるとのことである。それも、小学生であるという。その真否はともかくとして、いじめ問題は子供の自殺問題にくるから大変である。子供は国のたかた、子供がいないと国は発展しない。家庭でもそうである。親と子のつながり、今は、子はゲームで夢中で親どころではないのかな。ともかく、現在の子供は難しい。
 しかし、池田先生はこどもの対応にたいしわかりやすく述べている。

 池田先生(子どもであるからといってあなどってはいけません。子どもは、大人以上に鋭い感性をもっています。また、子どもにも、大人の心があるのです)
                            新人間革命 23巻
研究
 先生は教育者でもあります。その実践は、創価高校、大学を創立され、卒業生は社会で大いに活躍しています。であるので、子どもの対応も心得ているのでしょう。愚者もふくめ一般に子どもに対しおおちゃくになりますが、その点を指しているのでしょうか。子ども青年等若い人は国、社会、家庭での宝であります。大事にしてこそ、それが、わが身の帰ってくるのでしょう。

池田大作先生研究所 続3

2011年11月23日 | Weblog
   続3
 池田先生が青年のころ、戸田城聖先生の会社に就職をしていた。その当時、会社は負債などで大変な時期であった。しかし、池田先生は、師の戸田先生を信頼し会社の再起、発展ののために行動したのであった。しかし、なかなかの困難であった。池田青年は真冬にてもオーバーがなかった。貧乏で買えなかったのであった。しかし、戸田先生を信頼し未来のためにがんばったのであった。
池田青年は、師の戸田先生の一言について書かれているのがあります。

 池田先生   革命は死なり
(私が19歳で戸田先生とお会いしたときに、鋭く心に残った一言があります。
 それは(革命は死なり)ということばであります。
 死を決意しなければ、革命はできない。私どもの革命は広宣流布という革命であります。牢に入れられようと、死刑にされようと、何も恐れずに戦うことを戸田先生に教わった。この決意で、私は今日まで戦い抜いてきた) (1997・5・9 恩師 戸田城聖先生)


 研究
 池田先生はマスコミ、週刊誌等から悪口、嘘の記事を書かれた。悪に染まった僧らの悪質なデマを流された。しかし、池田先生は我慢した。人々の幸福のために戦った。全国へ、世界へと駆け回った。愚者も、マスコミの嘘の記事に騙されたからよく覚えている。電車のつり広告に騙されたものであった。のちに、人々の幸福のために行動する創価学会の姿をしった。また、どんな悪口、嘘にもびくともしない、山のようにドンとしている哲学者、池田先生の素晴らしさをもしったのだった。

 今、社会は不況、先行き不透明で揺れ動いている。故に、悪口もいじめもあるかもしれない。しかし、山のようにドンとし、希望に向かっていくのは大切であろう。故に、何事にも動じない人はすごいとおもうのである。 

池田大作先生研究所  続2

2011年11月18日 | Weblog
  11月18日 創価学会81周年創立記念日おめでとうございます

  中国・大連工業大学に(池田大作思想研究所)
 中国の名門学府・大連工業大学に、(池田大作思想研究所)が設立された。池田先生の思想、哲学研究を通じて、高い人格と国際的な視野を備えた人材の育成、さらに日中両国の相互理解と世界平和の促進を目指すものである。9・21  SJIグラフ

 うーー。やるな。平和は人類の願い。がんばれ。


 池田先生のスピーチ  (75年 SJI発足記念 グアム)
 (皆さん方はどうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種をまいて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。

 研究
 愚者もそうであるが、一般に自分が花を咲かせようと考える。しかし、人間、本来、他のことを考えて社会が成り立っている。たとえば、道に、老人が倒れていたら、声をかけるとか、助けるのが当然である。そのように、社会で人生で、自分だけでよいでは、他は同でも良いでは成り立たないと思う。愚者をその点が、おのれだけが良い生命が強い傾向にある。であるので、上記のスピーチに、はっとさせられた。また、なるほどと思った。仏法では、因果が説かれている。他人に善すれば、いつかは、おのれに帰ってくる。   中道


 

 池田大作先生研究所 1 真実

2011年11月17日 | Weblog
   研究所の意
 世界では、戦争や内乱、難民、飢餓等で多くの方が苦難に面している。故に、正しき報道、正しき筆で世界の平和、人々の幸福の実現を願うものである。真実こそ平和、幸福の道であるからである。そして、中国など、学問機関は平和のために行動する池田大作先生の研究機関が設置されている。平和な国、繁栄する国、活気ある国には当然に、平和運動者に賛嘆する。

 韓国語版(池田大作名言100選)が韓国で出版された。大きな反響を広げた。創価SJI会長
池田先生の情熱等は、社会に立ち向かう勇気を与えてくれる等の感想された。
                           聖教新聞11月17日

 解説 創価学会池田先生は米国のハバード大学など多くの大学等で講演されている。中国の教育機関では多大の機関から顕彰されている。
 創価大学を創立された池田先生、その創立は、恩師、戸田城聖先生の思いを実現されたのであった。また、創価学会が世界的な教団となったのも戸田先生の声からである。池田先生は、師の戸田先生を大切ににし、戸田先生が計画された事をごとごとく実現された。

 11月18日は創価学会創立記念日である。このほど、初代会長、牧口先生の創価教育体系、中国語4巻が完成された。今、世界的な教育者の牧口先生、また、戸田先生を世界に教育学の偉大さ等、正しさを訴えたのも池田先生であります。いまでは、ブラジルでは、その偉大さ賛嘆した、牧口先生、戸田先生の公園もあります。また、創価教育学を実践しているブラジル、米国、インドなどにあります。

 池田先生の指導の一つに、(感謝を)とありますが、愚者が忘れている言葉でした。例をあげると、普段、生活で愚者にあたりが強い人、いじめる人、いやみをいう人を憎たらしく、恨みたくなる心が生まれる。当然であると思うのです。しかし、そのような人にも感謝の心である。そのことによって心も豊かになるのであります。

 池田先生の言論は世界に平和、幸福、教育に影響を与え、そして、青年を育て、希望、勇気を与えている。その実証として、壮年、青年、そして、創価大学の卒業生は社会で実証を示している。その先生の人間性はどこから生まれたかと思惟すると、戸田先生の影響が大きいのではないでしょうか。辛苦した戸田先生は、次の世のために、池田先生を訓練し鍛えた。そして、その思いを実践した池田先生に驚くばかりであります。

短編小説 自殺   後編

2011年11月15日 | Weblog

3 あせり
 豊は探した、職業を探したのだった。しかし、希望の職業がなかった。失業保険もとっくに切れていた。不安を隠すように酒を飲んだのだった。家に帰れば以前の甘い家庭はなかった。京子はパートへ行っている。貯金も底をついたようだ。豊は悪いと思いも働く気力が薄れていた。このような生活が何ヶ月と続いた。京子は子供を保育園に預けそしてパートの仕事がおわって引き取りに行った。そして、夕食の仕度である。子供がいるだけで大変なのに、仕事、収入などで余計に大変なのであった。
(あなた、私の収入だけでどのように暮らしていけばよいの)京子は夫に詰め寄った。豊かはあくる日生活保護の手続きに行った。いろんな規制があるのですぐには受けられないようだ。今の豊の生活は気力がないのでどうにもうまくいかなかった。生命の無気力、精神的な無気力であった。大きなダメージが、ノックアウトパンチを受けたように無気力が体に残っていた。一流企業に勤めていた時は目が輝き気力も秘めていた。しかし、他社でも俺を必要しているとの自信満々に退職後、職安紹介での他社との面接や条件閲覧をするたんびにその自信が無くなってきた。(俺の将来はどうなるのだ。真っ暗だ。死はごめんだ。生きるぞ、しがみついても。しかし、気力が、パンチばかり浴びているようだ)豊は自問自答を繰り返した。豊かは生きる力はあるようだが、京子がまいっているようだ。何でも、勤め先のマーケットから借金をかさねているようだ。実家の老夫婦は年金暮らしでもう借りるのは限界であった。

             4 一緒に
京子(あんた、死のう、一緒に死のう。もうだめ、お金がない、生きる気力がない。子供が親なしで生きさすのはかわいそう、一緒に死のう) 豊(俺はいきたいんだよ。死ぬのは怖い、働くよ、懸命に働くよ)京子(あんた、その言葉、もう聞き飽きたわ、生きる希望がないわ)二人は死の対話をしている。豊は人生に未練があるようだ。京子は病気にかかっている。散々に男に泣かされ、精神的に参っている。心が参っている。少しのことでびくびくしたり目をきょろきょろする。金融会社の借金催促を怖がったり、パート先の解雇を怖がったりもしている。そして、夫に目を吊り上げて心中を迫る。夫の豊は、仕事どころでなかった、彼もまた、精神に、肉体に毒が回ったように無気力となっている。そして、生きるも、死ぬのも無気力となり、今生の未練にしがみついている。
 豊は、京子の死相の恐ろしさ、死神がへばりついた怖相にたまらず自宅を飛び出した。そして、昔、よく行った赤提灯の飲み屋にいのだったって酒を飲んだ。そして、その夜は公園で寝たった。2日後に自宅に帰った。家には誰もいなく、車検の切れた車がなかった。テレビをつけたら、若い女と小さな子供が古い車の中でガソリン自殺の報道が流れた
                               終了


 解説 現代、自殺は交通事故より多いい。世の中の不況、いじめ問題などが反映している。いじめ問題では、小学生、中学生が自殺する。これには多くの人が胸を痛める。これからの人生を絶つのである。世間に、死に対して、死後の生命にたいして無理解が多く出回っている。故に、死ねば悩みが解決するとの思いもあるのだろう。しかし、死では何も解決しない。仏典には阿鼻地獄等も説かれている。また、目連の母は慳貪の罪で死後苦悩したとある。 
 人生、喜怒衰楽、生きて、生きて生き抜こう。
                           中道 進

  短編小説   自殺     

2011年11月10日 | Weblog
前編       短編小説 自殺    作者 中道 進
              1 出会い
豊と京子は通勤でであった。都内の別々の会社に勤めていた二人は乗車駅が同じであった。時間が同じぐらいでその縁で話をすることになった。休みには二人は横浜の公園などでデイトをしたのだった。京子は横浜が好きだった。元町、山下公園、休日にはたくさんの恋人が来ていた。京子は告白した。(私に赤ちゃんができたようなの)豊は結婚かと観念したようだ。もっと独身でいたかったがしょうがないと思った。
二人の生活は楽しかった。結婚しても子供が生まれる前には京子の上手な料理を楽しんだり映画、演劇、ドライブ、旅行と世間並みに楽しんだのだった。
 豊は一流企業に勤めており収入も良かった。しかし、子供が生まれてから京子の状態が少しずつ変化してきたのだった。赤ちゃんが病気にかかった。その世話があるから、夫ばかりにかまっていられなかった。
豊(休みには横浜でもどうだ)京子(子供に熱があるの、子供になにかあったら大変よ、あなた一人で行ってください)豊(お前、変わってきたな。俺にも気を配ってくれ)京子(赤ちゃんじゃないし、赤ちゃんは大変なのよ)豊(わかったよ)

2 転機
二人が結婚し3年立った。豊は会社で懸命に働いた。しかし、会社の業績は悪化してきた。多角経営の一角の投資会社が大きな損失を出したのだった。その損失のためにリストラはやむを得なかった。豊は、ここを退職しても他での就職は困らないと思った。そして退職に応じたのだった。しばらく、退職金などで資金があったのでのんびりしていた。京子(あなた、そろそろ仕事を見つけて。生活があるのよ。二番目の子もいるし大変なのよ)豊(わかった、先日、職安に行ったんだ。並んでいる、青年もいるんだ。世の中、不況だ)京子(しっかりして、一家が、子供がいるのですから) 
 豊は翌日職安に行った。探した、面接にも何社か行った。しかし、条件が合わない。以前の会社と違って条件が合わないのにまいった。そして、職安に多くの人が並んでいるのにショックを受けた。面接する前から負けていた。豊(俺は一流大学にでて、一流企業に勤めていたんだ。やってはいられん。2,3流の会社にいられん)職安行った後にはお酒だった。酒でごまかしたのだった。先行きの不安がいっぱいだった。居酒屋行った。テレビで流れた。親子が車で心中したと。夫婦と2歳の子供の三人家族が車の中で死んでいたと。警察の発表では借金の原因での心中とのことだった。
前編終了  後編は次回へ

参考
 生命とは、どんな財宝よりも尊い。(仏典)すなわち、お金で買えない生命は価値があるのである。悩みは解決できる。人間には無限の可能性があるからである。自殺は愚かな行為である。
 
2010年の自殺者 3万1690人 13年連続3万人を越える。
 自殺率アメリカの2倍 世界 第4位(2009年)
 会社の倒産、リストラの原因と見られる。

自殺の内容
ガソリンを頭にかぶり火をつける。服毒・首吊り・飛び降り・自刃・飛び込み・ガス中毒・入水・感電・凍死・餓死・練炭・硫化水素・銃・青酸化合物  
                            


  旅するトラの話   no4

2011年11月06日 | Weblog
   旅するトラ  4
 トラは早起きだ。昨日は午前1時30分には起きていた。一般家庭は寝ている時刻である。しかし、当店は早起きが仕事。その影響でトラも早起きがなれている。しかし、時たま、いないときがある。寝坊しているのである。しかし、愚者が一回りして帰ってくる時間が3時頃には起きてそばによってくる。

 最近 トラは変化して。昼食の時間によってきても昼食に目を配らなくなった。人間のご飯には飽きたようだ。ペットフードがお気に入りである。しかし、人間は良い、料理を作れる。さまざまな料理が食べられる。

 今日のトラは変わっていた。愚者を見てじゃれてきた。二やーといいながらそばによりじゃれてきた。きっと、おもてでいじめられたのだろう。ボスネコに噛み付かれたかもしれない。それでさびしがりじゃれたのだろう。

 先日、ボスネコをみた。弱いネコを急激に襲う。襲われた猫は悲鳴あげ逃げる。ボスネコは目を吊り上げ怖い相をしていた。まったくの修羅だった。
 
 最近、人間社会はイジメ問題が深刻だ。学校でいじめられた子供が家庭に帰ってきて、親にもいえなく悩み、一人で深刻に悩みの世界に入る。その故に、親とも話せず黙り込んでしまう。他からみると親に相談と思うのだが。

 しかし、悩みは親にも友にもいえないのだろう。故に、悩みというのだろう。トラは、しゃべることができない。故に、行動でそれをしめしたのだろう。そういえば、人間の食事を与えたら、口を開き、それは腹が痛くなるよ、という格好をして食べなかった。
 人間も何かあったら、しゃべれない事情があったら信号を送るべきだろう。しかし、送る相手がいなかったら話にならない。そのときは、雑草のようにたくましく生きることだ。

 しかし、人間は話ができる。創造もできる。しかし、トラは話はできない。人間でよかった。つらくても、辛抱しとけば、笑える日が来る。

  参考 トラは新聞店に飼われているネコの名前