平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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詩 平和は人々の願い

2008年12月27日 | Weblog
 平和はみんなの願い 子供も赤ちゃんも
 おばあちゃんも おじいさんも
 青年も 壮年も 婦人も 皆、みんなの願いだ

 一家楽しい生活 友と遊び 携帯電話と遊ぶ
 苦しい時も 悲しい時もあるが 耐えて 我慢
 そして 笑いも来る 幸福も来る 平和も

 その 平和の生活を守るのも必要だろう
 何もしないのでは 嵐も 難も襲うものだ
 故に 不正に監視 悪には退治をすべきである

 不正が大手を振るえば 不正が伸びて
 正義が沈む 汚職が当たり前に成れば
 まじめがおいやられる 故に 監視を

                        yuuho
                        

 その2

2008年12月20日 | Weblog
 2 原爆は恐い
 戦争は恐い、原爆は恐い、平和に暮らしていても、突然にくるかもしれない。戦争が、故に、監視を、核兵器の監視を、世界の保有国にである。無言の平和への監視である。平和は悪に対しての監視、抗議から訪れる。たとえば、汚職をほっとけば、大きくなる。悪政治をほっとけば大きくなる。悪を野放しすれば大きくなる。平和は庶民の連帯から維持できる。

原爆は恐い

2008年12月20日 | Weblog
その被爆の女性は、学生であった。同級生は多くなくなった。被爆女性は生き残った。しかし、顔に大やけどをうけた。顔かたちは変わった。以前の顔かたちでなくなった。お風呂屋さんに行けば、他の客が気味いやがるからもうこないでくれといわれた。周りからも馬鹿にされた。彼女は母に励まされ生き続けた。後々には結婚もされた。
 しかし、これを思うと、大変な思いで生きたのだろう。何にも悪いことをしていなく、皆と一緒に勉強して遊んで笑ったりふざけたり、怒ったりしていた時代に、突然に、ピカーと原爆が落とされ被害受け、体に、まして、女性の生命の顔におおやけどをうけた。当然に目、耳、口が膚が変化した。他人が見たらビックリする。しかし、彼女は国の犠牲でこのようになったのに皆から白い目で見られるようになった。ひどいものだ。原爆は恐い。写真で見たが、焼けた死体が転がっていた。それも多くの死体がである。

詩 堂々と

2008年12月13日 | Weblog
 何があろうと 堂々といく
 濁った世の中 悪口もあるだろう
 妬みもあるだろう しかし
 負けない 負けは泣く 故に 勝つ

 嵐が来ようと 暴風がきても
 上を向き胸をはり 堂々といく
 笑う奴は笑わせる 僕には夢がある 
 夢に向い 人生に勝ち 堂々と行く 
                    遊歩

麻生首相 負けるな

2008年12月06日 | Weblog
予算問題で内部の意見が分かれている。お家騒動である。内部分裂で方向が見失い分裂する組織は昔から多いいい。歴史の紐を解くと、江戸時代の末期、鎌倉時代の末期、中国では始皇帝の後もそうだった。だいたい、組織分裂はこれが多いい。反対に、数は少なくとも、団結あれば強い。義経の快進撃、明治維新の勝利、信玄の騎馬の勝利、天下の武将、謙信の勝利、さまざまにある。世の中が濁っていると、まとめるほうも大変だろう。まして、政治の世界は利権がある。故に、首相の手腕にかかるだろう。何しろ、敵は、ミスをすると、つけこむ。待ってましたとたたく。そして、反マスコミもたたく。本来、マスコミは中立であるのが筋だ。相手にたいしても、どんな政策をするのか、財政難にて甘い言葉で言うが、その財政はどちらからもってくるのか。嘘を言っていないか、青年のための政治を本気でやるのかなど、中立にたって書くべきだ。負けるな、麻生首相、がんばれ。
 
 追伸 以上をもって、応援を終了する。 要するに、反撃方がマスコミを利用しかってほうだい、勝利したあかつきにいい加減な政策をされてはよけい困るのが庶民だ。それを防ぐには、庶民がマスコミにふんどうされずに、確かな目を持って政治を監視してもらいたい。庶民が主役だからである。政治家は誤解しているところがある。主役は庶民で、政治家は人々のために動くのが当然なのである。