平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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詩 希望

2009年11月28日 | Weblog
   希望
 
 希望 希望があれば苦難あっても笑顔がある
 汗流し 苦しくても 未来があるとがんばれる

 希望 希望には邪魔がある 妬みもある
 押しすぶそうとする 落とそうとする
 
 どうしてか 輝いているから 光っているから
 妬みに負けては馬鹿をみる 相手の思う壺さ

 希望 希望は捨てない 泥だらけになっても
 希望を持ち続ける 笑顔が 夢があるから 
                      遊歩

 続 4

2009年11月21日 | Weblog
 世界に在する核兵器の0.03%の威力は広島型の100倍の威力がある。これが使用されれば爆発や炎、放射能で数千万人が死ぬだけでなく気候も10年は影響をあたえる。
   
 テイルマン・ラフ理事(核戦争防止国際医師の会)
  メルボルン大学准教授 核戦争防止国際医師の会で国際的な核廃棄運動で活躍

 解説 仮に0.3が使用されたらどうなるのか。恐ろしいものである。多大な被害がでる。それこそ考えられない恐ろしさである。テイルマン・ラフ理事は、先々に提言した(核兵器のない世界)・池田SJI会長の核廃絶提言に共鳴し世界が多様な核廃棄の声を歩調をあわせ持読していく重要性を述べられている。

 平和の勇者たち  続3

2009年11月14日 | Weblog
 詩
     民衆
 民衆が主体 あなたが主役
 民の眼力は平和への武器
 民のパワーは悪道の流れも
 変えられ 正常に戻せる
 平和への築城は 民の連帯なり
                遊歩


湯川博士の平和への戦い
1975年、世界的な核兵器廃棄運動の組織のバクウォシュ・シンボジウムが京都で開催された。この時に、湯川博士はがんで闘病していたが、同志に応え講演された。この講演で(核兵器を地球かた完全になくすのが我々の目的である)など余命んぽ叫びで人々の心をとらえたのだった。
 病気は、病魔は人間を弱くもするし、強くもする。また、引っ込み思案にもなりがちになる。また、反対に、強気の行動にでれる。それぞれその人の心でないだろうか。しかし、湯川博士は病魔との戦いでの中で平和へのため、未来の人々のために誠心誠意で戦った。その勇気は多くの人に勇気を与えた。
 
 

 続き 2 平和の勇者たち

2009年11月07日 | Weblog
 湯川博士は1948年米国プリンストン高等研究所の客員教授であった。そこで、アイシュンタイン博士ト知合いになり、二人は世界が平和になるにはどうしたらよいかを昼夜語りあった。
 そして、二人の結論は、世界に一つになって、核廃絶し、世界の平和を目指す(世界連邦)という構想であり、のちに、有名な、核兵器廃絶訴えた(ラッセル・アイシュンタイン誓言)ガ発表された。
 これが発表されたのが、1955年で東西の国が緊迫した状態であった。故に、核廃絶運動には大きな勇気が必要であった。踏んでいない道の開拓、茨の道の開拓、権力の監視の恐怖など乗り越えるには大きな勇気が必要だった。
 核廃絶の(ラッセル・アイシュタイン誓言)は、20世紀を代表する科学者と哲学者の11人のメンバーから成り立った。その人達も大きな勇気が必要だった。未来の人達の平和のための行動であった。
 先駆者には、暗愚の非難がある、権力の眼が、仕事を失う恐怖が、明治維新の吉田松陰がそうだった。日本を世界へ、米国へとの気持ちで行動したが、権力から迫害された。
 坂本竜馬は世界貿易、日本の発展と、薩長を仲良しにおもいから行動した。しかし、愚者か命を狙われたのだった。
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