平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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日記  1999年代

2021年11月12日 | Weblog

日記 1999年代  風 遊

 11月というと、創価学会の創立記念の月である。創価の青年と言っても、悩みや欲もあるから一般青年と変わらない。しかし、戸田先生から教えを受けている、池田先生が人々に幸福しょう。核のない平和の世の中に、世界の人々に幸福にとの哲学が強い意志なので、師を大いに尊敬している青年部は懸命にそれに向かって行動した。今回、応援を頼んだ青木先輩も青年時代、川崎の中原区の小さな町の責任者でバリバリに活動し愚者も含め後輩を励ました人であった。現在も、信仰を貫き、愚者には数少ない年賀状をくれて励まししてくれている。年賀状は他にほとんどないなので大いに励まされている。ありがたいものである。しかし、最近、お手紙によると、先輩も奥さんも病気という。しかし、どんな病気も治るという信心であるから元気になることを祈ります。

 指導には、どんな病気も治るとあるのは、現実に、ある壮年が、病気や貧乏で悩んでいたが、信仰して宿業を転換し、健康になり、家も買った境涯になったのを見ている。このような体験が多くあり、故に、信仰者が多く、外国でも198か国の人が同志としている。故に、本物の信仰といえる。また、愚者が驚くのは、非暴力の信仰なのである。どんないじめ、圧迫されても、また、経典にも、悪口や難があることがでているので非暴力はすごいとおもう。今世界は、キリスト教、イスラムなど争いし先が見えないので、非暴力の信仰とはよけいに驚くのである。さて、長い話になってしまいましたが、本題に戻ります。

1999年5月4日

 新潟の長岡に行った。国土によってさまざまである。人材は国土によってあるという。謙信は山や海での環境で育った。都会ではそうはいかないだろう。

 

1999年5月5日

これから、21世紀の先頭に立つのはどの思想か、どの勢力か、この熾烈な競争が始まっている。この競争は何で決まるか、人材である。

青年を育てたところが勝つ。野球でも、サッカーでも同じである。

 

この日、平塚に行き弘教活動である。活動は心が生き生きとする。健康にもよい。平塚は海もあり環境は良いところである。七夕など友人と以前は行った思い出の場所である。以前の私、また、友人もそうであるが、悲業がある。悲しみに泣く、努力しても浮かばれなく沈んでいく。それを変えるのは、宿業転換、運命を変えるのである。金欠病を、お金に困らない業に、すなわち、正法である。

 

 1999年5月6日

 法華経の剣は信心があるこそ鬼に金棒とある。鬼に金棒といえば、こそこそ強い味方である。就職に困ったとき、ご飯に、お金に、友人に、人により困り方も違うだろう。しかし、鬼に金棒あれば、笑顔が待っているだろう。

1999年5月7日

 伝えによると、日本国の一切の衆生は、法然や真言の教外別伝にたぼらかされ行く先は無間大城という。すなわち、法然は法華経をなげすてよとのことであった。誤った教えでは、悪鬼を呼び、余計に世の中が混乱となる。

 1999年5月12日 勉強会

  大聖人の法門は師弟への道を正しく教え、そして成仏していくとある。

 

 1999年5月15日 勉強会

 ナポレオンは、ペスト患者の手を握り、生きる勇気を呼びかけたという。伝染病患者の手を握り励ましたとういうのだから驚く。

 マネしたいいが、怖い面がある。要するに勇気が大切ということでしょう。