「んで、ムッシュ。お前はまだヘタレのままなのか?」
昼休みである。学校の食堂は腹を空かした生徒達であふれ、喧騒もかなりのものだった。
その一角で、芳人はリッチにカツカレーを頬張り、俺は慎ましくきつねうどんをすすりながら向かい合っていた。
なにげなく繰り出された芳人の不意打ちに、俺は油揚げを吹き出しそうになる。むせ返りながらも必死で堪え、涙目で悪友を睨みつける。
油断していた。朝会ったときになにも云ってこなかったから、昨日の話しはもう終わったことだと思い込んでいた。そうだった。こいつはそんな優しい奴じゃない。落ちた犬を沈めるような、最悪な性根の持ち主だった。
苦しそうな俺の顔を見て、奇襲の成果に満足した芳人は嬉しそうにニヤついている。
「……ムッシュって云うな」
「おいおい、突っ込むところはそこか? ってことは、やっぱりラブレター書いて恥をかきたいわけか」
相変わらず嫌な云い方をする。まだフラれるとも、恥をかくとも決まってないじゃないか。
「うるさいな。仕方ないだろ。直になんて、そんな勇気ないし、こっちはメアドだって知らないんだ」
苦し紛れだと、自分でも認めざるをえない言い訳を聞いて、芳人が鼻で笑う。
「こんな時代にラブレター書くなら、直の方がよっぽど気が楽だけどな。まぁ、いい。それよりお前、いま興味深いこと云ったな」
芳人の笑みが一層深くなる。
「興味深いこと?」
「メアドを知らないからラブレターなんだろ? じゃあ、知ってたらメールを送るんだよな?」
スプーンを置いて、ポケットから取り出した一枚のメモ紙をひらひらさせている。
「おい、まさか?」
このタイミングで出てくるんだ、それがなにかは予想できる。芳人は俺なんかと比べて、いや、俺の知る周りの連中と比べても、交友関係が無茶苦茶広い。たまにニューヨークの在住の大学生ケヴィンさんの話題なんかを俺に振るくらいだ。俺はそれを話半分に聞いていたけど、この界隈の高校全てに知り合いがいるというのは嘘じゃないと思っている。だが、それにしても。
「そのまさかさ」
芳人は自信満々だ。
俺は自分の目を疑った。そして、なにも知らずに昼休みを無為に過ごしている周りの男子生徒を疑った。おい、お前等それでいいのか? そんな所でパン食っていたり、昨日のテレビの話しなんかしている場合じゃないだろ。そこで女と喋っている奴。あ、いや、お前は関係ないか。それ以外の女に縁のない奴はこっちに注目しろ。俺の目の前に座っている奴が、ただ者じゃないことが判明したんだぞ。
「マジかよ、おい。だって、彼女の高校って……」
「そう、桂林女学院。あそこの二年にちょっとした知り合いがいてね。ほら、お前から片思いの話されたのって先々週だったじゃん。そのときから色々調べて、その人経由で入手しといた」
なんでもないことのように云う。俺は感動して声もなかった。俺の知らない所で、こいつはそこまでしていてくれたんだ。こいつがどうやって有名女子高の、それも一歳年上の女性と知り合いになったのかなんてどうでもいい。すごく気になるし、今度別の機会に教えてもらおうとは思うけど、とにかくいまはどうでもいい。
それより、こいつはなんの得にもならないのに、顔も名前も知らない相手のメアドを突き止めてくれたんだ。……ん? どうやって?
「おい、ちょっと待てよ。そのメアドが本人のものってどうしてわかるんだよ?」
「は? なに云ってんだよ。お前が惚れた相手の友達から仕入れたって云ってんだぞ。嘘のはずがないだろ」
「いや、そうじゃなくてさ」
芳人の言い分はわかる。おそらくそこに嘘なんか存在しなくて、メアド自体は本物だろう。だが、惚れた相手に間違いはないだろうか。
「俺が好きになった人が誰かなんて、どうやって突き止めたのさ。顔も名前もわからないのに」
俺の不安はそのまま顔に出ていたはずなのに、芳人はくだらないことのように笑い飛ばす。
「顔はわかってるよ。俺、お前と同じ電車に乗って、その娘の顔を確認しているもの。写メも取ったし」
「あの混んでる電車の中で?」
芳人が乗っていたなんて全然気づかなかった。それどころか、写メを取る音も。
「まぁね。俺そういうの得意だし。あと、写メの音は消しておいたから。周りに変な目で見られることはなかったぜ」
いや、あの、芳人くん? そういうの得意って、つまり盗撮が得意ってわけ? 写メの音消したって、あれってやっぱ消せるんだ。君にはそのスキルがあるんだ。……僕達って、いつまで友達でいられるのかな?
あまりに犯罪の臭いが濃い台詞に、少しの間俺の思考は停止してしまった。が、すぐに我に返る。
「じゃあ、そのメアドは間違いじゃないんだな?」
「もちろん。メアドだけじゃなく、名前も本当さ」
おお、名前まで! 芳人、お前はやっぱり俺の友人だ。刑務所に入った後でも差し入れ持って行ってやるからな。
俺はメモ紙を受け取り、そこに書かれている名前を見た。
葉月良子。
それが女神の名前だった。
「他にも、入っている部活やスリーサイズなんかもわかったんだけど、それを知ったお前が夜中に変な想像を働かすとキモイからあえて書かなかった」
失礼な芳人の台詞は続く。だが、俺はそれに耳を傾けない。そんなことよりも、いまこの手の中にあるメモが身に書かれている彼女の名前の方が大事だ。
「芳人、ありがとな。一生恩に着るから」
「ああ、そうしてくれ。それと、メールを送った後の報告も忘れるなよ」
メール? 送るの?
予想外の台詞に、困惑が顔に出た。
「おいおい、しっかりしろよ。メアドがわかったらメールを送るんじゃないのか? それとも、この期に及んでまだラブレターにこだわるのかよ」
呆れ顔のまま、芳人は再びスプーンを手に取る。
そういえば、さっきそんなことを云ったっけ。メールか……。これでもう、送らない理由はないよな。手紙に書いて渡すのも、メールを書いて送るのも同じことだしな。そうか……、俺、メール送るのか。
言葉に出来ないなにかが胸につかえ、俺は昼休みのその後をぼうと過ごした。気づいたのは昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴ったときで、同時にきつねうどんの食べ残しがあることにも気がついた。
昼休みの後は普通に過ごした……つもり。傍から見るとそうではなかったらしく、芳人は自分の世界に閉じこもりがちの俺に飽きてしまい、「がんばれよ」と残して先に帰ってしまった。
仕方ないので、俺も帰ることにした。
帰り道もポケットに入れたメモ紙が気になって仕方がない。帰りの電車を待つ儀式も身が入らずに、案の定彼女とは出会えなかった。
代わりに家では珍しく、妹と遭遇した。フットサルに情熱を傾けている妹と、帰宅時に出会うのは久し振りだ。
「あ、おかえり。どうした、俊之。いつにも増してしけた顔して」
久し振りの遭遇でも、憎々しさは変わらない。
「お前さ、その人を呼び捨てにするのってなんとかならないのか? っていうか、名前で呼ぶ必要ってあるのか?」
それより貰ったメモをどうするか、ということの方が大事だったが、結論の見えない事柄から目を背けたくて、俺はなんとなく妹に話しかけた。
「人に話しかけるときに名前を呼ぶのは普通だろ。呼び捨てなのは、あたしの中での俊之のランクがその程度だからだ。ランクアップすればさん付けで呼んであげるし、いつかは兄貴と呼んでやってもいいぞ」
上からの物言いにいつも腹を立てていたのだが、知らぬ間にそんなランク付けをされていたのか。
「兄貴が最高ランクね。にしても、どうして俺のランクがそんな低いんだ?」
「胸に手をあてて考えてみろよ。ランクが高くなる理由がないだろ。ちなみにこのランキング。容姿や知能でなく、男らしさとか、兄として頼りになるかどうかで判断しているから」
俺は男らしくもなく、頼り甲斐もないというわけか。妹になにかをしてやったということもないから、それも当然の話だな。かといって、ここでなにかしてやっても媚びているだけで、あいつは認めないだろう。
「さん付けで呼ばれたかったら、もっと男を磨けよ」
云うだけ云って部屋に入ろうとする。
「お前は女を磨け。スポーツに熱中してたって、大和撫子にはなれるだろ」
背中に当たった俺の声に驚いて、妹が部屋から顔を出す。
「大和撫子って……。俊之、マジで云ってるな。ちょっと、お母さん。俊之の頭が明治大正時代に行ってるよ」
のんびりと洗濯物でも取り込んでいるだろうかあさんに、妹が大声で話しかける。
うるせー。時代遅れの頭で悪かったな。
やはり妹との会話は気分転換にはならなかった。ますます重くなる足を引きずり、俺は部屋の中に入った。
そのまま、着替えもせずに机の前に腰をおろす。書きかけの便箋を引き出しの中から取り出し、机の上に広げてみる。
汚い便箋だが、途中までの分は悪くないと思う。なにげない挨拶から自己紹介へ。それから世間話へと繋いでいる。ちょっと冗長のような気がしないでもないが、こんなものだろう。用件だけの文章では味気ない。
これをメールに転用することは……、出来ないだろうな。便箋ではそうでもないが、メールでは長すぎる。メールにするなら、一から書き直さないと。
……メールか。ここに来るまでもずっと考えてきたけど、やはりピンとこないな。なにがこないって、それでいい返事を貰った後が思いつかない。
ラブレターなら、返事は直に会って聞こうかなって思っている。行きの電車を降りた所でさ。もちろん、そこまで一緒の電車に乗って。渡す時もそうする。直に云われるのはやっぱ恥ずかしいけど、どんな返事でも直接聞きたいからね。
メールなら、当然返事もメールだよね。「いいよ」とか「嫌です」という簡潔な返事が返ってくるのだろう。
返事を貰った後は、当然デートだね。王道では映画? 買い物? ありきたりのような気はするけど、他になにしたらいいかわからないし、むしろ憧れるね。その王道ってやつに。どっか緑の多い公園っていうのもいい。この辺にないから、遠出しなくちゃいけないけど、それもいいよね。朝ちょっと早く起きてさ、二人で電車に乗って。彼女お弁当作ってきてくれるかな。いや、それはないか。もっと仲が親密になれば有りかな。いやいや、別に作ってきてくれなくてもいいか。問題はそこじゃないよね。大事なのは一緒に行くことさ。俺は女性は料理が出来なくちゃいけない、なんて古い考えは持ってはいないよ。そりゃあ、出来た方が嬉しいけどさ。でも、こだわりはしない。手作りの料理が食べれたらものすごく嬉しいけど、こだわりはしないよ。
こんな風にして、彼女に出会う前は彼女が出来たらどうしよう、なんてことを考えていた。彼女に出会った後も、こんな風に考えていた。
でも、メールは頭になかったな。普段から、あまりメールとかするほうじゃなかったから。
メールで返事を貰ったら、最初はやっぱメールでのやり取りが続くんだよね。そのうち会うことになって。そのときはどこに行くんだろ。映画でいいのかな。もちろんいいだろうけど、それだけじゃないよね。きっと雑誌に載るようなおしゃれなところにも行かないといけないんだよね。俺、そういうのわからないから芳人に相談して。あいつなら、そういうのにも詳しいだろうから。そうか、あと服とかも考えないと。いつもの普段着ってわけにはいかないよな。おしゃれな服を着ないと。ああ、でも、そういうのも苦手だ。これも雑誌見ないと。おしゃれな雑誌なんていままで買ったことないよ。どんな雑誌買えばいいんだろ。これも芳人に相談しないとな。
芳人に相談すること沢山あるな。あいつ意外と頼りになる男なんだな。メアドも調べてくれて、デートとかの相談もきっと乗ってくれて。たぶん、なにも知らない俺が四苦八苦しているところを見て楽しんでいるだけだろうが、それでも相談には乗ってくれて、助けてもくれるだろうな。
そして俺は、芳人に頼りっぱなしのままか。
背もたれに寄りかかって天井を見上げる。ポケットからメモを取り出し、目の前にかざす。
葉月良子。
芳人の字でそう書かれている。
眺めているうちに、どこかで鳴っている音楽が耳に入ってきた。耳を澄まして音源を探る。隣だ。妹がお気に入りの音楽を聞き始めたのだ。
いつも音量には注意しろと云ってあるのだが、守られたことはほとんどない。ひどい時には朝からガンガンに流している。おまけに聴いている音楽の趣味が全然違うから、迷惑このうえない。
気分が削がれてしまった俺は、こっちでも音楽をかけることにした。気分転換して、送るメールの内容でも考えるか。
CDラックを眺めていると、懐かしいCDが目に入った。ラブレターを書こうと心に決めた曲だ。芳人はフォークかよ、なんてからかったが、そこまで古い曲ではない。でも、俺たちは生まれた頃。バンドブームとかが流行っていた頃の曲だ。
少し迷ってから、結局それをかけることにした。聞けばどうなるかはなんとなくわかっていた。つまり、なにかに後押しされたかったのだ。
曲を聞いているうちに、揺らいでいる気持ちが固まっていくのがわかった。俺の選択が間違っているのだということも。
正しいのはどっち? と聞かれたら、やはり正しいのはメールで、芳人や妹の云う通りなのだ。それはラブレターが悪い、ということではなく、その方法に固執しようという俺が悪いのだ。でも、俺は固執せずにいられない。こだわらずにはいられない。
メールでコクって、それで上手くいくかどうかはわからないけど、仮に上手くいったとして、それならラブレターでも良かったんじゃないのか? と俺は悔いを残してしまうだろう。いつか上手くいかなくなって別れるときに、こうなるくらいなら最初からラブレターにこだわって失敗しとけば良かったよ、なんて思ったりもするだろう。
そういうのって格好悪いよ。妹に呼び捨てにされても文句云えないね。
俺は俺のやりたいようにする。昨日だって、その前だってそう思っていた。やっぱラブレターだよ。初志貫徹! 俺は想いの丈をこのペンに込めて、見事彼女を口説き落としてみせるさ。
気持ちを切り替えるために洋服を着替える。ついでにかあさんのところに行って、夕食はいらないことを告げる。余計なことを一切排除して、集中して書きたかったのだ。かあさんはなにも聞き返さずに笑って頷いてくれた。
これで準備は整った。さぁ、書いてやろうじゃないか!
いつもよりも早起きして、出来上がったラブレターを三回読み直した。冷静になって読んで見ると、恥ずかしい箇所がいくつかあったが、それはそれで想いがこもっていて良いと思った。
いつになく晴々しい顔で家を出て、電車に乗る。
彼女は相変わらずの場所で外を眺めている。
普段は俺が先に降りる。今日は違う。学校に遅れるのは覚悟のうえで、彼女の降車駅までついていった。
駅の改札を抜ける前になんとか彼女を捉まえ、人の流れの外に来てもらう。
「なんですか」
彼女は少し脅えているようだった。俺だって、震えを押さえるのに必死だった。
「これ……、読んでください」
鞄にしまってあった手紙を両手で彼女に突き出す。
彼女の表情が凍りつく。次第に、気味の悪いものを見るかのような嫌悪感が浮かび上がってくる。
「キモッ!」
小声で吐き捨てると、彼女は走って逃げて行ってしまった。
取り残された俺は、一瞬のうちに起きた出来事が信じられずに、呆然と立ち尽くしていた。
……夢? それともマボロシ?
えっ、これって本当に起きたことですか?
受け取ってすらもらえないの? 一生懸命書いたんだよ。魂込めてさ。最初五枚になっちゃって、それなんかもう、短編小説として世に出してもいいくらいの出来だったんだよ。それをなんとか二枚に収めて、誤字脱字がないよう清書して、それでもって真っ白な封筒に入れて持ってきたんだ。
それなのに……、マジでこんな扱い?
段々と自分が戻ってくる。それにつれ、悲しみではなく怒りが湧き起こってくる。
っていうかさぁ、あの女キモっていいやがったよ! マジ、むかつく!!
ああ、いいさ。もう、いいさ。キモくて悪かったな。こんな馬鹿なこと二度としないよ。
俺はラブレターをビリビリに破り捨て、こだわりと一緒にゴミ箱に捨てた。
ちくしょー、これからはもっと世の中のことに目を向けてやる。流行り廃りも理解して、次は絶対キモいなんて云わせないからな!!
俺の初恋が終わった。激しい怒りと共に、ちょっとだけ大人になった。
昼休みである。学校の食堂は腹を空かした生徒達であふれ、喧騒もかなりのものだった。
その一角で、芳人はリッチにカツカレーを頬張り、俺は慎ましくきつねうどんをすすりながら向かい合っていた。
なにげなく繰り出された芳人の不意打ちに、俺は油揚げを吹き出しそうになる。むせ返りながらも必死で堪え、涙目で悪友を睨みつける。
油断していた。朝会ったときになにも云ってこなかったから、昨日の話しはもう終わったことだと思い込んでいた。そうだった。こいつはそんな優しい奴じゃない。落ちた犬を沈めるような、最悪な性根の持ち主だった。
苦しそうな俺の顔を見て、奇襲の成果に満足した芳人は嬉しそうにニヤついている。
「……ムッシュって云うな」
「おいおい、突っ込むところはそこか? ってことは、やっぱりラブレター書いて恥をかきたいわけか」
相変わらず嫌な云い方をする。まだフラれるとも、恥をかくとも決まってないじゃないか。
「うるさいな。仕方ないだろ。直になんて、そんな勇気ないし、こっちはメアドだって知らないんだ」
苦し紛れだと、自分でも認めざるをえない言い訳を聞いて、芳人が鼻で笑う。
「こんな時代にラブレター書くなら、直の方がよっぽど気が楽だけどな。まぁ、いい。それよりお前、いま興味深いこと云ったな」
芳人の笑みが一層深くなる。
「興味深いこと?」
「メアドを知らないからラブレターなんだろ? じゃあ、知ってたらメールを送るんだよな?」
スプーンを置いて、ポケットから取り出した一枚のメモ紙をひらひらさせている。
「おい、まさか?」
このタイミングで出てくるんだ、それがなにかは予想できる。芳人は俺なんかと比べて、いや、俺の知る周りの連中と比べても、交友関係が無茶苦茶広い。たまにニューヨークの在住の大学生ケヴィンさんの話題なんかを俺に振るくらいだ。俺はそれを話半分に聞いていたけど、この界隈の高校全てに知り合いがいるというのは嘘じゃないと思っている。だが、それにしても。
「そのまさかさ」
芳人は自信満々だ。
俺は自分の目を疑った。そして、なにも知らずに昼休みを無為に過ごしている周りの男子生徒を疑った。おい、お前等それでいいのか? そんな所でパン食っていたり、昨日のテレビの話しなんかしている場合じゃないだろ。そこで女と喋っている奴。あ、いや、お前は関係ないか。それ以外の女に縁のない奴はこっちに注目しろ。俺の目の前に座っている奴が、ただ者じゃないことが判明したんだぞ。
「マジかよ、おい。だって、彼女の高校って……」
「そう、桂林女学院。あそこの二年にちょっとした知り合いがいてね。ほら、お前から片思いの話されたのって先々週だったじゃん。そのときから色々調べて、その人経由で入手しといた」
なんでもないことのように云う。俺は感動して声もなかった。俺の知らない所で、こいつはそこまでしていてくれたんだ。こいつがどうやって有名女子高の、それも一歳年上の女性と知り合いになったのかなんてどうでもいい。すごく気になるし、今度別の機会に教えてもらおうとは思うけど、とにかくいまはどうでもいい。
それより、こいつはなんの得にもならないのに、顔も名前も知らない相手のメアドを突き止めてくれたんだ。……ん? どうやって?
「おい、ちょっと待てよ。そのメアドが本人のものってどうしてわかるんだよ?」
「は? なに云ってんだよ。お前が惚れた相手の友達から仕入れたって云ってんだぞ。嘘のはずがないだろ」
「いや、そうじゃなくてさ」
芳人の言い分はわかる。おそらくそこに嘘なんか存在しなくて、メアド自体は本物だろう。だが、惚れた相手に間違いはないだろうか。
「俺が好きになった人が誰かなんて、どうやって突き止めたのさ。顔も名前もわからないのに」
俺の不安はそのまま顔に出ていたはずなのに、芳人はくだらないことのように笑い飛ばす。
「顔はわかってるよ。俺、お前と同じ電車に乗って、その娘の顔を確認しているもの。写メも取ったし」
「あの混んでる電車の中で?」
芳人が乗っていたなんて全然気づかなかった。それどころか、写メを取る音も。
「まぁね。俺そういうの得意だし。あと、写メの音は消しておいたから。周りに変な目で見られることはなかったぜ」
いや、あの、芳人くん? そういうの得意って、つまり盗撮が得意ってわけ? 写メの音消したって、あれってやっぱ消せるんだ。君にはそのスキルがあるんだ。……僕達って、いつまで友達でいられるのかな?
あまりに犯罪の臭いが濃い台詞に、少しの間俺の思考は停止してしまった。が、すぐに我に返る。
「じゃあ、そのメアドは間違いじゃないんだな?」
「もちろん。メアドだけじゃなく、名前も本当さ」
おお、名前まで! 芳人、お前はやっぱり俺の友人だ。刑務所に入った後でも差し入れ持って行ってやるからな。
俺はメモ紙を受け取り、そこに書かれている名前を見た。
葉月良子。
それが女神の名前だった。
「他にも、入っている部活やスリーサイズなんかもわかったんだけど、それを知ったお前が夜中に変な想像を働かすとキモイからあえて書かなかった」
失礼な芳人の台詞は続く。だが、俺はそれに耳を傾けない。そんなことよりも、いまこの手の中にあるメモが身に書かれている彼女の名前の方が大事だ。
「芳人、ありがとな。一生恩に着るから」
「ああ、そうしてくれ。それと、メールを送った後の報告も忘れるなよ」
メール? 送るの?
予想外の台詞に、困惑が顔に出た。
「おいおい、しっかりしろよ。メアドがわかったらメールを送るんじゃないのか? それとも、この期に及んでまだラブレターにこだわるのかよ」
呆れ顔のまま、芳人は再びスプーンを手に取る。
そういえば、さっきそんなことを云ったっけ。メールか……。これでもう、送らない理由はないよな。手紙に書いて渡すのも、メールを書いて送るのも同じことだしな。そうか……、俺、メール送るのか。
言葉に出来ないなにかが胸につかえ、俺は昼休みのその後をぼうと過ごした。気づいたのは昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴ったときで、同時にきつねうどんの食べ残しがあることにも気がついた。
昼休みの後は普通に過ごした……つもり。傍から見るとそうではなかったらしく、芳人は自分の世界に閉じこもりがちの俺に飽きてしまい、「がんばれよ」と残して先に帰ってしまった。
仕方ないので、俺も帰ることにした。
帰り道もポケットに入れたメモ紙が気になって仕方がない。帰りの電車を待つ儀式も身が入らずに、案の定彼女とは出会えなかった。
代わりに家では珍しく、妹と遭遇した。フットサルに情熱を傾けている妹と、帰宅時に出会うのは久し振りだ。
「あ、おかえり。どうした、俊之。いつにも増してしけた顔して」
久し振りの遭遇でも、憎々しさは変わらない。
「お前さ、その人を呼び捨てにするのってなんとかならないのか? っていうか、名前で呼ぶ必要ってあるのか?」
それより貰ったメモをどうするか、ということの方が大事だったが、結論の見えない事柄から目を背けたくて、俺はなんとなく妹に話しかけた。
「人に話しかけるときに名前を呼ぶのは普通だろ。呼び捨てなのは、あたしの中での俊之のランクがその程度だからだ。ランクアップすればさん付けで呼んであげるし、いつかは兄貴と呼んでやってもいいぞ」
上からの物言いにいつも腹を立てていたのだが、知らぬ間にそんなランク付けをされていたのか。
「兄貴が最高ランクね。にしても、どうして俺のランクがそんな低いんだ?」
「胸に手をあてて考えてみろよ。ランクが高くなる理由がないだろ。ちなみにこのランキング。容姿や知能でなく、男らしさとか、兄として頼りになるかどうかで判断しているから」
俺は男らしくもなく、頼り甲斐もないというわけか。妹になにかをしてやったということもないから、それも当然の話だな。かといって、ここでなにかしてやっても媚びているだけで、あいつは認めないだろう。
「さん付けで呼ばれたかったら、もっと男を磨けよ」
云うだけ云って部屋に入ろうとする。
「お前は女を磨け。スポーツに熱中してたって、大和撫子にはなれるだろ」
背中に当たった俺の声に驚いて、妹が部屋から顔を出す。
「大和撫子って……。俊之、マジで云ってるな。ちょっと、お母さん。俊之の頭が明治大正時代に行ってるよ」
のんびりと洗濯物でも取り込んでいるだろうかあさんに、妹が大声で話しかける。
うるせー。時代遅れの頭で悪かったな。
やはり妹との会話は気分転換にはならなかった。ますます重くなる足を引きずり、俺は部屋の中に入った。
そのまま、着替えもせずに机の前に腰をおろす。書きかけの便箋を引き出しの中から取り出し、机の上に広げてみる。
汚い便箋だが、途中までの分は悪くないと思う。なにげない挨拶から自己紹介へ。それから世間話へと繋いでいる。ちょっと冗長のような気がしないでもないが、こんなものだろう。用件だけの文章では味気ない。
これをメールに転用することは……、出来ないだろうな。便箋ではそうでもないが、メールでは長すぎる。メールにするなら、一から書き直さないと。
……メールか。ここに来るまでもずっと考えてきたけど、やはりピンとこないな。なにがこないって、それでいい返事を貰った後が思いつかない。
ラブレターなら、返事は直に会って聞こうかなって思っている。行きの電車を降りた所でさ。もちろん、そこまで一緒の電車に乗って。渡す時もそうする。直に云われるのはやっぱ恥ずかしいけど、どんな返事でも直接聞きたいからね。
メールなら、当然返事もメールだよね。「いいよ」とか「嫌です」という簡潔な返事が返ってくるのだろう。
返事を貰った後は、当然デートだね。王道では映画? 買い物? ありきたりのような気はするけど、他になにしたらいいかわからないし、むしろ憧れるね。その王道ってやつに。どっか緑の多い公園っていうのもいい。この辺にないから、遠出しなくちゃいけないけど、それもいいよね。朝ちょっと早く起きてさ、二人で電車に乗って。彼女お弁当作ってきてくれるかな。いや、それはないか。もっと仲が親密になれば有りかな。いやいや、別に作ってきてくれなくてもいいか。問題はそこじゃないよね。大事なのは一緒に行くことさ。俺は女性は料理が出来なくちゃいけない、なんて古い考えは持ってはいないよ。そりゃあ、出来た方が嬉しいけどさ。でも、こだわりはしない。手作りの料理が食べれたらものすごく嬉しいけど、こだわりはしないよ。
こんな風にして、彼女に出会う前は彼女が出来たらどうしよう、なんてことを考えていた。彼女に出会った後も、こんな風に考えていた。
でも、メールは頭になかったな。普段から、あまりメールとかするほうじゃなかったから。
メールで返事を貰ったら、最初はやっぱメールでのやり取りが続くんだよね。そのうち会うことになって。そのときはどこに行くんだろ。映画でいいのかな。もちろんいいだろうけど、それだけじゃないよね。きっと雑誌に載るようなおしゃれなところにも行かないといけないんだよね。俺、そういうのわからないから芳人に相談して。あいつなら、そういうのにも詳しいだろうから。そうか、あと服とかも考えないと。いつもの普段着ってわけにはいかないよな。おしゃれな服を着ないと。ああ、でも、そういうのも苦手だ。これも雑誌見ないと。おしゃれな雑誌なんていままで買ったことないよ。どんな雑誌買えばいいんだろ。これも芳人に相談しないとな。
芳人に相談すること沢山あるな。あいつ意外と頼りになる男なんだな。メアドも調べてくれて、デートとかの相談もきっと乗ってくれて。たぶん、なにも知らない俺が四苦八苦しているところを見て楽しんでいるだけだろうが、それでも相談には乗ってくれて、助けてもくれるだろうな。
そして俺は、芳人に頼りっぱなしのままか。
背もたれに寄りかかって天井を見上げる。ポケットからメモを取り出し、目の前にかざす。
葉月良子。
芳人の字でそう書かれている。
眺めているうちに、どこかで鳴っている音楽が耳に入ってきた。耳を澄まして音源を探る。隣だ。妹がお気に入りの音楽を聞き始めたのだ。
いつも音量には注意しろと云ってあるのだが、守られたことはほとんどない。ひどい時には朝からガンガンに流している。おまけに聴いている音楽の趣味が全然違うから、迷惑このうえない。
気分が削がれてしまった俺は、こっちでも音楽をかけることにした。気分転換して、送るメールの内容でも考えるか。
CDラックを眺めていると、懐かしいCDが目に入った。ラブレターを書こうと心に決めた曲だ。芳人はフォークかよ、なんてからかったが、そこまで古い曲ではない。でも、俺たちは生まれた頃。バンドブームとかが流行っていた頃の曲だ。
少し迷ってから、結局それをかけることにした。聞けばどうなるかはなんとなくわかっていた。つまり、なにかに後押しされたかったのだ。
曲を聞いているうちに、揺らいでいる気持ちが固まっていくのがわかった。俺の選択が間違っているのだということも。
正しいのはどっち? と聞かれたら、やはり正しいのはメールで、芳人や妹の云う通りなのだ。それはラブレターが悪い、ということではなく、その方法に固執しようという俺が悪いのだ。でも、俺は固執せずにいられない。こだわらずにはいられない。
メールでコクって、それで上手くいくかどうかはわからないけど、仮に上手くいったとして、それならラブレターでも良かったんじゃないのか? と俺は悔いを残してしまうだろう。いつか上手くいかなくなって別れるときに、こうなるくらいなら最初からラブレターにこだわって失敗しとけば良かったよ、なんて思ったりもするだろう。
そういうのって格好悪いよ。妹に呼び捨てにされても文句云えないね。
俺は俺のやりたいようにする。昨日だって、その前だってそう思っていた。やっぱラブレターだよ。初志貫徹! 俺は想いの丈をこのペンに込めて、見事彼女を口説き落としてみせるさ。
気持ちを切り替えるために洋服を着替える。ついでにかあさんのところに行って、夕食はいらないことを告げる。余計なことを一切排除して、集中して書きたかったのだ。かあさんはなにも聞き返さずに笑って頷いてくれた。
これで準備は整った。さぁ、書いてやろうじゃないか!
いつもよりも早起きして、出来上がったラブレターを三回読み直した。冷静になって読んで見ると、恥ずかしい箇所がいくつかあったが、それはそれで想いがこもっていて良いと思った。
いつになく晴々しい顔で家を出て、電車に乗る。
彼女は相変わらずの場所で外を眺めている。
普段は俺が先に降りる。今日は違う。学校に遅れるのは覚悟のうえで、彼女の降車駅までついていった。
駅の改札を抜ける前になんとか彼女を捉まえ、人の流れの外に来てもらう。
「なんですか」
彼女は少し脅えているようだった。俺だって、震えを押さえるのに必死だった。
「これ……、読んでください」
鞄にしまってあった手紙を両手で彼女に突き出す。
彼女の表情が凍りつく。次第に、気味の悪いものを見るかのような嫌悪感が浮かび上がってくる。
「キモッ!」
小声で吐き捨てると、彼女は走って逃げて行ってしまった。
取り残された俺は、一瞬のうちに起きた出来事が信じられずに、呆然と立ち尽くしていた。
……夢? それともマボロシ?
えっ、これって本当に起きたことですか?
受け取ってすらもらえないの? 一生懸命書いたんだよ。魂込めてさ。最初五枚になっちゃって、それなんかもう、短編小説として世に出してもいいくらいの出来だったんだよ。それをなんとか二枚に収めて、誤字脱字がないよう清書して、それでもって真っ白な封筒に入れて持ってきたんだ。
それなのに……、マジでこんな扱い?
段々と自分が戻ってくる。それにつれ、悲しみではなく怒りが湧き起こってくる。
っていうかさぁ、あの女キモっていいやがったよ! マジ、むかつく!!
ああ、いいさ。もう、いいさ。キモくて悪かったな。こんな馬鹿なこと二度としないよ。
俺はラブレターをビリビリに破り捨て、こだわりと一緒にゴミ箱に捨てた。
ちくしょー、これからはもっと世の中のことに目を向けてやる。流行り廃りも理解して、次は絶対キモいなんて云わせないからな!!
俺の初恋が終わった。激しい怒りと共に、ちょっとだけ大人になった。
感想が遅れてしまったこと、謝ります。
フツーに面白いんですけど、物足りない。ライトノベルとして見るとラ研とかだと評価高いと思いますが、今までのkouさんの作品を見ると主人公の感情の掘り下げが足りないと思います。繊細な描写や雰囲気もギャグ作品として見ると平気なのですが、そう見られない場合ちょっと辛そう。だからといってkouさんは「繊細な作品を書かなければならないのか」とか思わないでください。そういう意味ではなく、あくまでひとつの解釈です。
ラヴレター、そうか、古いのですか。僕はラヴレターはまだみんな書いているものだと思っていました。恥ずかしいであります(笑)。
なんていうか、主人公が意図してなのか「記号」です。一人称なんだから「記号化」は避けたほうがよいかと。とにかく思考が小学生で、文章はしゃべり言葉で好感が持てたのですが、多面性のなさは致命的です。そのためか話が薄っぺらいです。漫画だとこのくらいが一番面白いのだろうけど、小説のよさを生かしてください。
一度小説でしかできないことをじっくりお考えになるのをオススメします。
オチですが、あれはまずいでしょう。こういった単純な話の場合、告白という今までのお話の目的となっているものが、すべての話の糸をまとめるものになるべきです。なので今までの部分は荒くてもいいから、一番告白の部分(前後)を丁寧にやってもらいたかったです。
このオチじゃとってつけたようです。それにいくらキモイとはいえ、いきなり初対面の人間の行為に対してあんなに直接いわないと思うのですが……。
「ちくしょー、これからはもっと世の中のことに目を向けてやる。流行り廃りも理解して、次は絶対キモいなんて云わせないからな!!
俺の初恋が終わった。激しい怒りと共に、ちょっとだけ大人になった。」
この部分の文章、要らないと思います。むしろないほうがよい気がします。
総じて面白かったのですが、面白みに深みがないため底が浅い作品になっているだけだと思います。kouさんには心理描写の細かい恋愛小説が合ってると思うな。(憶測)
偉そうにいってしまい申し訳ありませんでした。
でわ。
イトウさんの鋭すぎる目線にドキドキしているkouです。
この作品は極力軽いものにしよう、と書き出しました。文体も内容も軽め。でないと変に凝り過ぎてしまい、一ヶ月間で書く自信がなかったからです。そういった理由で主人公は記号となり、内容も薄っぺらくなってしまったのかもしれません。いや、内容が薄いのは違う理由かな。この話で書こうとした主人公の葛藤が書けていない、という自覚はあったから。
自分で気づいてた点、気づかなかった所。イトウさんのおかげでこの作品を違う角度から見直すことが出来ました。
次があるようでしたらまた読んでくださいね。
では、失礼します。