だいすき

基本的に自分の好きなものについて綴っていきます。嫌いなものやどうでもいいこと、さらに小説なんかもたまに書きます。

サマー/タイム/トラベラー

2006年10月16日 00時53分04秒 | 小説が好き
 新城カズマ著『サマー/タイム/トラベラー』を読みました。
 なんといいますか、読んでいる過程で印象がいくつか変わる物語でした。
 全編通して、もっとも僕が強く感じることは、悲しさというか寂しさです。これは物語の途中から最後の辺りまでの主人公や、その他の登場人物に強く感情移入した結果だと思います。

 これはひとりの女の子の物語です。その女の子は、高校一年の夏に自分の能力に目覚める。三秒だけ未来に跳べる能力。
 彼女の幼馴染みである主人公とその仲間達は、その能力に注目して《時空間跳躍少女開発プロジェクト》を始める。

 という話なのですが、最初はほろ苦い青春ものなのです。いや、全編通して良質な青春ものなんですけど、これ、あまりに良すぎます。
 最初は来るべき未来を想像して、ちょっぴり物悲しさを期待して読んでいるだけなんですけど、彼女の持つ能力の本当の意味を理解するようになると、悲しくて悲しくてしょうがなくなってしまいました。

 なにが? って聞かれると説明しづらいんですが、作中で主人公が感じる喉の痞えがとてもよく理解できました。同じことをきっと僕も考えたと思います。あるいは、今も考えている最中なのかも。

 ラストは綺麗にしめられていて、本当はこんな悲しい気持ちになる物語ではないんだと思います。
 というか、エピローグのお陰で、少し落ち着くことが出来ました。
 それでも、僕は何度もこの本を放り投げそうになりました。比喩的な表現でなく、実際立ち上がりこの本を地面に叩きつけ、力の限り踏みにじりたいと思った。そうすることでそれを否定できるなら、していたはずです。けれど、当然ながらそんなことをしてもなんの意味もなく、だから僕は悲しさを発散させることが出来なくて、このまま沈んでいくんじゃないかというところを、エピローグで少し救われたというわけなんです。
 もの凄く秀逸なエピローグというわけでなく、登場人物が自然に過ごしていてくれたお陰で、ほんのちょっと落ち着くことが出来ました。

 そうして落ち着いてみたのですが、やはり胸に残る寂しさと悲しさは消えず、この作品の印象はどうしてもそうなってしまいます。

 でも、それはやはり違うのかも。この物語でもっとも大事なのは、ラストの旧校舎の中で少女が言ったあの台詞なのかも。
 そのことを改めて確かめるべく、この本は時間を置いてもう一度読み直すことにしてみます。
 いまはきっと、心が捉われすぎていて、まともな判断が下せないでしょうから。時間を置いて、また。

 夏と青春とSF。こんな素晴らしい食い合わせは滅多にない。極上のひとときをどうかお楽しみ下さい。
 新城カズマ著『サマー/タイム/トラベラー』が好き。

コメントを投稿