植木等さんが亡くなられた。
僕は植木等さんの大ファンだなんてこともなく、良く知っているわけでもないけれど、むしろほとんど知らないくらいだけど、それでも悲しい。
名前を知っている。顔を知っている。有名人だ。
その程度の認識で訃報を聞いて、悲しんでいる僕はなんて心弱い人間なんだろうと情けなくなる。
情けないけど、胸が痛い。
植木等さんのご冥福をお祈りします。
僕は植木等さんの大ファンだなんてこともなく、良く知っているわけでもないけれど、むしろほとんど知らないくらいだけど、それでも悲しい。
名前を知っている。顔を知っている。有名人だ。
その程度の認識で訃報を聞いて、悲しんでいる僕はなんて心弱い人間なんだろうと情けなくなる。
情けないけど、胸が痛い。
植木等さんのご冥福をお祈りします。
人の痛みに共感できる人間が弱いとは思いません。
その痛みにかまけて、自分の為すべきことをしない人間が弱い人だと思うのです。
kouさんのその感性は、物語を作り出す上でとても大切なものだと思いますよ。
それから、リンクにある拙サイトの名称を変更してくださってありがとうございます。
ご報告遅れてしまって申し訳ありません。
これからもよろしくお願いしますー。
誰からも愛される無責任男。実際は責任感が強く、人との繋がりを非常に大切にされる方だったと聞いています。
僕は彼が演じ続けてきた、軽妙でオシャレな人物像が好きでした。生まれたからには楽しまなければ損だと、幼い頃より学ばせて貰いました。
こうして良く知る方がお亡くなりになるのは、ひどく寂しいものです。否応なしに時代の流れを感じ、僕自身も年を取っているんだと感慨深く感じます。
これから先、僕はどう生きてゆくのだろう。未来は誰にも判らないけれど、希望の未来に向かって今を全力で生きることが大切だとは知っている。
せめて若いうちくらいは、苦労しなくちゃですよね。
死んだときこそ、その人がどんな人生を送ったのかがわかるときですね。
遺された人々の故人を想う気持ちがそれをあらわします・・・。
なにも、「いい人だった」と言われるだけが、良い人生ではないとも思いますけどね。
ぜひ、「生きた証」を遺したいですね。
何を遺したいかは、ひとそれぞれに違うと思います。
kouさんは、もちろん‘小説’ですね。
私は何だろう・・・?
ありがとうございます。思いやりのあるその台詞に救われます。
でもきっと、背負う必要のない荷物まで持ってしまおうとするのは弱さですよ。
弱さを認めると、きっと僕は果てしなく堕ちていくでしょうから、日々全力で否定し続けます。
幽人さんへ
未来へと続く道。いま僕はどの辺りを歩いているんだろうか。去りゆく人を見ると、いつか僕も後を追うんだと思って気ばかり焦ってしまう。
おちついて、自分のペースで歩けるのなら、それ程幸いなことはないだろう。
ちーこさんへ
もちろん小説も残したいですが、本当に残したいものは少し違います。
それを愛と名づけることが出来たらこれほど簡単なことはないですが、きっとそれは愛の一言で片付けられるようなものではなく、言葉で説明するにはややこしいものなんだと思います。
目にすれば。触れて感じられればこれほど簡単なものはないんですけどね。
そういったなにかを残すために、これからも僕は歩き続けようと思います。