あおこのぶろぐ

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ヴェーヌスは「取り逃がした」のか「負けた」のか。 新国立劇場「タンホイザー」

2019-02-07 21:03:24 | 日記

新国立劇場「タンホイザー」を鑑賞(1月30日)。
このプロダクションを観るのは、2007年、2013年に続き3回目だが、どうもあまり心に残らない。

ヴェーヌスベルクのバレエは、健康的な体操に見え、妖しさが感じられない。
第2幕幕切れ、唐突に「ローマへ!」となる感じなのも違和感。
巡礼の合唱、エリーザベトが巡礼者の中でタンホイザーを探すシーン、必死さも絶望感もなく、今ひとつ。
男性合唱団のメイクが怖くて、ヴァルトブルクの群集の時はショッカー、巡礼の時はゾンビに見えた。
等々……。

タンホイザーのトルステン・ケールは第2幕までは、セーブしていたのか、ちょっと不安定に感じたけど、第3幕のローマ語りは良かった。
昨年の兵庫のマックスに続き、へたれキャラが似合ってる、かも。
でも、エリーザベトとヴェーヌスが奪い合う(?)役なのだから、もっとシュッとしていて欲しいなあ、と思ってしまう。

ヴォルフラムのローマン・トレーケルは、トーキョーリングのグンターを観てから注目していて、ヴォルフラムは声的にぴったりと思っていたのだけど、なんだろうメイクと表情が“邪悪”に見えて(特に第2幕)しまったのがマイナス点。

ヴェーヌス(アレクサンドラ・ペーターザマー)、エリーザベト(リエネ・キンチャ)は共に役柄に合っていた演唱。キンチャは特に良かった。

ヘルマンの妻屋秀和さんは安定の歌唱。


私が「タンホイザー」を最初に観た(映像)のはギネス・ジョーンズがエリーザベトとヴェーヌス二役を歌ったフリードリッヒ演出のものだった。
その後、舞台で二期会や神奈川県民ホールの公演、テレビで映像を含めるとけっこう多くの演出を観た。
今回の新国立劇場のプロダクションは3回目だけど、やっぱり薄い。


ところで、「タンホイザー」で気になるのはヴェーヌスの「最後の一声」の訳詞である。

昔は字幕で「私の負けだわ」とされていたが、ある時期から「取り逃がしてしまった」という字幕に変わった。
文法的には「取り逃がしてしまった」というのが正しいらしい。

が、音楽を考えてみて。
「チッ、取り逃がした」というより、「負けたわ」といった悲しみと諦めを感じさせる音楽ではないか。
「ああ、私は失われた」というような字幕もあったように記憶しているが、まだそのほうがわかる。

が、やっぱりストーリー的に「私の負けだわ」が良いんじゃないか、と思うのである。

一昨年クラシカジャパンを短期間たけ契約した時に録った2014年のサシャ・ヴァルツ演出&振り付けのベルリン国立歌劇場のイースター音楽祭の公演をもう一度観てみた。

この放送では「私の負けだわ」の字幕になっていた(岩下久美子さん訳)。

そして今回の新国立劇場のパンフレットに、北川千香子さんの「『愛による救済』というユートピア」文章が載っているが、そこには
「ヴェーヌスの最後の台詞『ああ!私の負けだ!』はエリーザベトに対する敗北宣言に等しい」
と書かれている。
公演の字幕では「取り逃がしてしまった」となっているにも関わらず、である。

なので、たとえ文法的には違っていても、またワーグナーが書いた意図と違ったとしても、「私の負けだわ」が合っていると思う。

そして、特に女性は「私の負けだわ」を支持するのかもしれない、と思ったりした。

女性振付家サシャ・ヴァルツ(昨年の新国立劇場『松風』も演出)の演出では、その瞬間、ダンサーがエリーザベトの亡骸を運んで来て、また入れ替わるようにヴェーヌスが別のダンサーに運ばれて行く(連れていかれる)のだが、これは「ヴェーヌスのエリーザベトへの敗北宣言」と合致した演出だったように思うのである。