三日月ノート

日々の出来事を気ままに。

私たちは、歴史に学べるか

2013年08月15日 06時19分18秒 | 思い
毎年、この日がやってきます。

終戦記念日。

8月になると戦争に関連する番組も多く、今年も戦争を体験したかたがたのインタビューを交えたドキュメンタリーが放送されていました。

従軍看護婦として戦地に赴いた女性は、戦争が終わりに近づき看護施設を撤去する事になったとき、青酸カリを混ぜたミルクを負傷して動けなくなった兵士に飲ませることを手伝わされたそうです。

動けない兵士は足手まといだからです。

直接、青酸カリを注射したりもしたそうです。

あんなに大の男の人がもがき苦しむなんてと思うほど、叫びながら死んでいった、と涙を浮かべながら話していました。

命を助けるために看護婦になったはずが、人殺しの助けをさせられたのです。

これが戦争です。

またある男性は、特攻隊でまだ20歳にもならない子供たちが次々に戦闘機もろとも自爆していく様を語っていました。

こうしたインタビューに答えているかたがたは既に80歳を超えていますが、恐らく一日たりとも、そんな凄惨な記憶から逃れられることはなかったに違いありません。

確かに太平洋戦争は終わりました。

でも、戦争を体験したかたがたの心の中では、決して戦争は終わることはないのです。

そんな毎日を、戦争を体験していない私たちは想像できるでしょうか。

証言されているかたがたも、次第に高齢化していき、いずれは皆さんが亡くなってしまう日が来るでしょう。

私たちは果たして「歴史に学ぶ」ことができるでしょうか。

それとも「体験に学ぶ」しかできないのでしょうか。

そして、歴史は繰り返されるのでしょうか。




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