白いノート~アラフィフ南天の備忘録

50代半ばを過ぎました。日々気づいた事を忘れないよう書き留めていきます。

再就職先が決まって

2016-05-19 22:18:59 | 介護の仕事

3月末で退職し、6月から新しい仕事が決まりました。

役場の臨時職員。

地域のボランティア団体の支援、広報活動、事務。という仕事で実際は行ってみなければわかりません。

こうして時間が経ってみると、私は介護の仕事が大好きなのだな~と実感しています。

ハローワークで、『何だかもったいないな~南天さんは、もっと稼げる資格を持ってるのに』と言われました。

履歴書や経歴書でみれば、そうなるでしょう。でも・・・

私には認知症の母がいて、段々進行していて

手伝ってくれる家族はない。

出来る事なら私だってもっと働きたいです。

今の私には、母の見守りをしながら働く事しかできないのです。

何が一億総活躍だ!と言いたい。

特養には要介護3以上しか入れないし、

デイサービスも早朝や夕方、日曜日に利用できる所は少ない。

簡単な事ではないのです。

1年契約の仕事だけれど、その方が私みたいな性格の人間は次に進みやすい。

そう思って、まずはここでの仕事を頑張って、もう1年更新!って言ってもらえるよう頑張りたいと思います。


久しぶりに現場へ

2015-06-09 08:01:38 | 介護の仕事

《柏葉あじさい》

5月に訪れたバラ園で咲いていました。この頃はまだ赤ちゃんでしたね。

梅雨に入りましたが、私は雨が結構好きです。

昨日は、久しぶりに利用者さんの誕生会に参加してきました。

統括部に異動になって、現場へは食事の配膳に行く程度になっていました。

現場で仕事をしていると、人間関係に疲れ(-_-;)腰痛に悩み(-_-;)時間に追われ(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

余裕のない日々でしたが、元気をいっぱいもらっていたんだな~と改めて思います。

6月に誕生日を迎える(迎えた)方は4名。

その内2名は、私がケアマネを担当させていただいた方。

それぞれ要介護4、要介護3で、入居され、移動は車いすでした。

Nさんは、入院先のベッドの中で、初回面談を行いました。

N『家に帰りたい。仏壇があるから・・・』

私『帰ってみますか?』

N『・・・・・・・・・』

私『・・・・・・・・・・・・』

N『帰れんわね。歩けないし、家は狭い。車いすでは生活できん・・・』

85歳。頭はしっかりされているNさんの思いが出るまで待って、待って、待って・・・・

Nさん自身の選択を待ちました。

私たちの仕事は聴く仕事。

あれから、1年半。Nさんは手引き歩行ができるようになりました。

外出の時、トイレで困る事もなく、時々面会に来てくださる娘さん達と外食したり

家に帰る事もできるようになった、とうれしそうに報告してくださいました。

この仕事をやっていて良かった。そう思える瞬間が現場にはあるのです。

ケアマネをしていた時、主任からよくこう言われました。

私『自力歩行できないのに家に帰りたいとおっしゃってます。無理ですよね・・・・』

主任『一度帰してあげたら?帰りたいでしょ。入院して退院できると思ったら帰る場所が自宅じゃなく

施設だったら・・・貴女納得できる?』

一度我が家に帰って、あぁ無事帰って来れたな~とホッとして

あれもしたい、これもしたいって思って。でも車椅子では思うように動けない。トイレも一人で行けない。

夜、一人で寝ていてまた痛くなったらどうしよう。やっぱり元気になるまで、子供たちの言うとおり

施設でお世話になった方がいいのかな・・・でも・・・・。

その葛藤を本人がして、本人が決めて、その支援をするのが私たちの仕事。

統括の仕事は地味で、でも自分には向いていて楽しく・・・でも現場もやっぱり楽しいな~と

思った一日でした。

 


若葉マーク

2013-08-15 20:16:51 | 介護の仕事

今年の2月、私がケアマネになって初めて担当させていただいた利用者さんが、実家に帰られる事が決まりました。

サービス付き高齢者向け住宅で暮らされた半年間。

初めてお会いした時は、要介護5でした。

くも膜下出血の後遺症で、半身麻痺、視力も弱く、認知症の症状もありました。

 

今は・・・・・・

 

手すりにつかまって歩く事ができる。

誰しも家より良いところはありません。

帰りたい・・・・でも。。。。

在宅復帰が叶う利用者さんは、少ないのです。

 

この方は、とてもとても意欲的で

寝ている暇があったらリハビリがしたい。

夜中に目が覚めてしまったら、お父さん(ご主人)に手紙が書きたい。

自分の事はなんでも自分でやりたい。

という強い思いを貫き通されました。

 

私は何度、居室に足を運んだでしょう。

『転倒したら、また1からやり直しです、お願いだからコールを押してください。

一人で立たないでください。』と言い続けました。

 

違うのです。

私の支援は間違っていた。

『歩きたいのなら、安全に歩ける道を作ってあげればいいのよ。』

上司にそう言われてハッとしました。

転倒が怖い。これはもしかすると介護者目線だったかもしれません。

 

部屋をソファで仕切って小さく使う。

そしてそこに可動式の手すりを設置する。

もし、それで上手く歩けなかったらその時考えればいい。

続く


緑のカーテン成功しました☆

2011-07-22 21:50:37 | 介護の仕事

毎年、我が家で挑戦していた《緑のカーテン》

でも・・・毎年な~んとなく上へ上へは伸びるもののカーテンと呼ぶには頼りなくて(>_<)

 

時間も根気もなくなった今年、もういいか~・・・・・。

 

ところが、職場のエコ対策で《やってみよう!》と社長がご自宅にて始められたのを機に

デイの窓辺にも《朝顔》と《ゴーヤ》を育てる事になったのが、6月初旬だったでしょうか。

 

苗を買いに行くと、売れ切れで、2軒目のホームセンターでも残り数個。

イマイチ生育が怪しそうな苗でしたが、今買わねば!と群衆心理(*⌒∇⌒*)テヘ♪

             

  どうですか?(=v=)ムフフ♪

カーテンになってるでしょう~

赤ちゃんゴーヤもできました。

↑の写真では少ないのですが朝顔もい~っぱい咲いてかわいい窓辺を演出´`♡

何よりも室内側が何となく涼しい気がします。

 

ケアマネの勉強は全く!進んでおらず、

先日までは職場内の発表会準備で毎晩11時過ぎまで資料を作っていました。

異動先の利用者さん、スタッフ、仕事にもようやく慣れて

私は元気です^^

 


形を変えて

2011-04-03 19:11:05 | 介護の仕事

2ヶ月前に入った新人Fさん(20代、男性、介護福祉士)

丁寧な仕事ぶり

優しい声がけ、そして物腰

礼儀正しくて、感じが良い人が入ってくれたな~と皆で喜んでいました。

ところが先月末突然退職の噂!

Fさんは今回の地震の被災地から出て来たのも2ヶ月前

つまり、自分は難を逃れたけれど被災地にはご家族や親戚も住んでおられるとの事。

一時は両親をこちらに呼び寄せて・・・と言っていましたが、親戚の方もいらして

簡単には済まない様子・・・・そうだよね・・・

『いい人だけど理由が理由だけに仕方ないね』

久々の期待の新人さんリタイヤに皆ガックリ。

ところが、一方で別の噂も。。。

Fさんは配属先のリーダーと折り合いが良くなく悩んでいた?らしい。

いい歳をした男が人間関係の躓きくらいで!と南天婆は思ったりしますが

このリーダーという人がかなりの問題人物!というのは周知の事実。

過去何人も辞めています(それでも仕事はできるし、上手く行く人も若干いるし

他にリーダーになる人材もないので・・・という理由で現職)

まぁ・・・本当の理由が何なのか?本人が故郷の被災が原因と言っているのですから詮索しても仕方ない。

私はたった一度だけ、ヘルプの形で一緒に仕事をした事があったので義援金を渡しました。(皆に呼びかけるのは苦手なので、私1人で)

《もっと一緒に仕事がしたいと思ってたけれど残念です。いずれどこかの募金箱に入れる予定にしていたお金です。少しですが義援金を同封しますご家族様やご親戚の復興支援の足しにしてください。Fさんはまだまだお若いので、どこかで大きく羽ばたかれる事を陰ながら応援しています。     お元気で》

という手紙を添えて。。。

 

翌朝・・・

私の携帯に管理者Yさんからメール

《昨夜遅く、社長の所にFさんから電話が入ったそうです。南天さんのお陰です。ありがとうございました^^》という内容。。。。

“え?辞めない事にでもなったんですか?”

《南天さんの手紙に心打たれたみたいですよ~とりあえず良かったです》との返信

おやまぁ!ビックリ!Fさんは将来有望だと思っていたけれど、引き留める事が彼の為に良いとも思えず、ただ同じ年頃の息子を持つ母親の母心でした事が、こういう形のなるとは・・。

夕方Fさん自身からも《もう一度働かせていただく事になりました》と報告があり、手紙も手渡されました。手紙の中にはうれしかった気持ちがしたためてあり、渡した義援金もかわいらしいポチ袋に入れ直して返って来ました。   《義援金、うれしくて胸がいっぱいになりました。一緒に募金箱に入れる時まで南天さんが持っていてください。》と書き添えられて・・。

Fさんの辞める理由が本当は何だったのか?

こういう形で残る事に決めて本当に良かったのか?

ここから先どうなるのかはFさん次第。

いろんな事を乗り越えて、人の気持ちのわかる、それでいて強いリーダーになって行ってほしいと願っています