白いノート~アラフィフ南天の備忘録

50代半ばを過ぎました。日々気づいた事を忘れないよう書き留めていきます。

自分にできることを

2011-03-17 17:34:48 | 介護の仕事

地震があった日は仕事をしていました。

利用者さんとおやつを囲みおしゃべりをしていた時、不気味な横揺れを感じましたが

目眩?と思って静かに待っていました。

他の部屋でテレビを見ていた利用者さんが地震の事を教えてくれ、慌ててテレビをつけると・・・・。

それでもまだ被害の大きさに気付かず、暢気に関東に住む夫にメールをしたのは帰りのバスの中、5時少し前だったでしょうか。。。

この時はまだ、メールも繋がっていたのです。

帰宅してテレビをつけ、これは大変な事になっている!と気づき慌てて夫に連絡を取りましたが、携帯も固定電話も音声が流れるだけ・・・

夫は東京の本郷で勤務しています。

住まいは横浜、夫の母も一緒に住んでいます。

義母の事を心配して夫はきっと歩いて帰る!

そう思ったらいても立ってもいられないほど心配が膨らんで来ました。

夫と連絡がついたのは夜8時

繋がった瞬間奇跡のような気がしました。。。

夫は歩いて帰ろうとしたけれど、近くのコンビニが商品売り切れで閉店が相次ぎ

これは大変な事になっている。無理に変えるのは危険と感じたらしく職場に残っていました。

そして横浜に住む義母の無事がわかったのは、深夜0時でした。

当たり前の事がどれほど幸せで恵まれていることか、身に染みてわかった・・・と

この時はまだまだ暢気だったのですね。

時間が経つにつれ、被害の全容が少しずつ剥がされ、命を落とされた方、ご家族の安否が確認できない方、助かったけれど水も物資もなく、寒さに堪え不自由な生活を余儀なくされている方・・・・・

ニュースが伝わるたび胸がつぶれそうになり・・・

天を仰ぐしかない無力な自分。。。

今、自分にできる事は

確かな筋から義援金を寄付すること。

そしていい加減な風評に流される事なく、物資の買いだめなどをしない事。

まだ原発被害も不透明であり、避難所に物資が届かないなど、二次災害的状況は続いています。

一刻も早く、被災地の皆さんが安心して暮らせる日が訪れる事を祈らずにはいられません。

命あることに感謝。