このところ思案橋漬けの状態である。
ネットで調べたら、各地に思案橋という名があるようだ。
遊郭あるところに思案橋あり、というわけか。
都内では、末広町の駅から近いところに、思案橋の遺跡があったという。
住所は中央区日本橋小網町、ネットの地図で見るとたしかに駅から近い。
ただ、川は暗渠として埋められて橋も無く、ただ道路があるだけ。
私は末広町にある会社に3年ほど出向していた。
40歳半ばの頃だから、あれからもう30年以上も経つ。
けれども当時、思案橋のことなど誰も話題にしなかった。
ということは、それ以前に埋め立てられてしまったかもしれない。
でも、何処の川のどの辺りに思案橋が架かっていたのかが気になる。
どこの遊郭か? これは浅草が近いから「吉原」と見当がつく。
川の名はすぐ分かった。「東堀留川」という。
以下、掲載した画像は「中央区まちかど展示館」のサイトから借用した。
ただ、ブログ掲載上の都合により適宜改変させてもらった。
まず、「東堀留川」の地図とそこに架かる橋の写真である。(「西堀留川」には触れない)
昭和24年に埋め立て完了。吉原遊郭は昭和33年3月31日に失くなった。
「思案橋」はすでに無い。「行こか戻ろか」どこで思案したんだろう?
上の図は地図と橋の写真を私が合成したのだが、「思案橋」の写真が無い。
たぶん戦争の混乱で写真が撮れなかったのかもしれない。
前記サイトに、明治時代に描かれた「新撰東京名所図会」があった。
そこに「東堀留川」「思案橋」「小網神社」と文字を入れてみた。
「思案橋」も想像していたより長い。思案のし甲斐?もあっただろう。
これだけの橋の跡地が道路だけというのも寂しい。遺跡として何か残せなかったか。
本家?長崎の「思案橋」はどうなっている?
思案橋の欄干の一部が残され、思案橋の名も残っていて、さすが観光地!
思案が尽きたところで私の探索の報告は終わり。
ただ、「吉原」で副産物があった。
図書館に通っていた頃、「吉原御免状」という時代小説を借りて読んだ。
これがすごく面白く、他に「影武者徳川家康」なども借りて読んだ。
その著者の名をやっと思い出せた。「隆 慶一郎」だった。
「今日のビデオ」はお休みです。
[Rosey]