遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
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思案橋探索の記

2023年02月05日 | 追憶

このところ思案橋漬けの状態である。

ネットで調べたら、各地に思案橋という名があるようだ。

遊郭あるところに思案橋あり、というわけか。

都内では、末広町の駅から近いところに、思案橋の遺跡があったという。

住所は中央区日本橋小網町、ネットの地図で見るとたしかに駅から近い。

ただ、川は暗渠として埋められて橋も無く、ただ道路があるだけ。

 

私は末広町にある会社に3年ほど出向していた。

40歳半ばの頃だから、あれからもう30年以上も経つ。

けれども当時、思案橋のことなど誰も話題にしなかった。

ということは、それ以前に埋め立てられてしまったかもしれない。

でも、何処の川のどの辺りに思案橋が架かっていたのかが気になる。

どこの遊郭か? これは浅草が近いから「吉原」と見当がつく。

 

川の名はすぐ分かった。「東堀留川」という。

以下、掲載した画像は「中央区まちかど展示館」のサイトから借用した。

ただ、ブログ掲載上の都合により適宜改変させてもらった。

まず、「東堀留川」の地図とそこに架かる橋の写真である。(「西堀留川」には触れない)

 

昭和24年に埋め立て完了。吉原遊郭は昭和33年3月31日に失くなった。

「思案橋」はすでに無い。「行こか戻ろか」どこで思案したんだろう?

上の図は地図と橋の写真を私が合成したのだが、「思案橋」の写真が無い。

たぶん戦争の混乱で写真が撮れなかったのかもしれない。

 

前記サイトに、明治時代に描かれた「新撰東京名所図会」があった。

そこに「東堀留川」「思案橋」「小網神社」と文字を入れてみた。

「思案橋」も想像していたより長い。思案のし甲斐?もあっただろう。

これだけの橋の跡地が道路だけというのも寂しい。遺跡として何か残せなかったか。

 

本家?長崎の「思案橋」はどうなっている?

思案橋の欄干の一部が残され、思案橋の名も残っていて、さすが観光地!

 

思案が尽きたところで私の探索の報告は終わり。

ただ、「吉原」で副産物があった。

図書館に通っていた頃、「吉原御免状」という時代小説を借りて読んだ。

これがすごく面白く、他に「影武者徳川家康」なども借りて読んだ。

その著者の名をやっと思い出せた。「隆 慶一郎」だった。

 

「今日のビデオ」はお休みです。

[Rosey]