遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

反骨のルポライター:その13<竹中労 #13>

2024年08月13日 | 人物
【エライ人を斬る】
今日は竹中英太郎の挿絵イラストのみ紹介(4人)


権力に尾をふるミリタリ・ボーイ「中曾根康弘」  万国博の名かりた華麗な悪徳「渡辺美沙」


愚臣どもに奉られた映画の天皇「黒沢明」    虚業に生きる服飾界の女王「森英恵」

今日は、労氏の著書などから印象に残った文章を要約引用する。

▶1972/S47年 42歳
・「琉球共和国/汝、花を武器とせよ」を上梓
”沖縄、ニッポンではない。
彼らはウチナーンチュ(沖縄人)、我らはヤマトンチュ(日本人)である。
その認識に立てば、今まで沖縄について語られてきた復帰、奪還、
解放等、すべてがまやかしである"
"琉球はヤマトの政治圏にも、経済圏にも、文化圏にも属さぬ、1個の海洋
独立国家だった。ニッポンへの隷属は、薩摩の武力侵略からはじまる。"

▶1973/S48年 43歳
・「汎アジア一〇八日幻視行」を雑誌「話の特集」に連載
~タイ・シンガポールなど歴訪する

・沖縄コザ闘牛場「ジェームス・ブラウン沖縄でうたう!」企画協力
 (動画はザイール(現コンゴの首都キンシャサでのライブ)


・「琉球情歌行/嘉手苅林昌独演会」を開催
"余のウチナー(沖縄)狂い、おそらくは生涯とどまることなし。
もし死なば余の骨は名護湾の薔薇の落日に投げすてよ。"

・「日本映画縦断」を「キネマ旬報」に連載開始
"この連載を私のメルクマールとしたい。
落日に背を向けて、昏い東の地平を眺めやるような感慨をいだく。
そこに、再び日は昇るか。映画はわれらの白鳥の歌である"

・「無頼と荊冠」を上梓
"批評とはとりもなおさず行動である。実戦をともなわぬすべての論理に、
私は価値を認めない。風狂の謗りを受けながら、’書く’ことは即実行、
という信念を私は一貫してきた"

▶1974/S49年 44歳
・新宗連の若者を伴い「アジア懺悔行」に出立し、マニラで旅程終了
"私はマニラ市内の床屋で頭を丸め・・・勝手に得度して花和尚雲居と名乗る。猫30匹と共に箱根宮城野に転居。屈原の賦からとって「離騒庵」と命名。"

・日比谷野音で「琉球フェスティバル74」を開催する
(出演は嘉手苅林昌・山里勇吉他27名)
"観衆七千、東京に沖縄解放区が実現した”


・マルレーネ・ディートリッヒ公演をプロデュース
"ニッポン低国文化状況に、小さなクサビを打ち込むことができたと思う。"

マレーネ・ディートリッヒ 回顧 リリー・マルレーン


今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]