
【エライ人を斬る】
今日は既に斬られた佐藤寛子の連れ合いにしようかと思った。
が、米国のベトナム戦争撤退で栄作自滅、書き甲斐が無いので絵のみ。
▶1983/S58年 53歳・・・この年以降、アラブ旅行が増える。著書上梓は略。
・「アラブ映画祭」審査委員を要請され、シリア・レバノンへ行く
▶1984/S59年 54歳
・中東取材、リビアとの回路をつなぐ
動画「他国を見る目について」
▶1985/S60年 55歳
・中東取材行。視界に変調を来す
診断は「左眼網膜剥離・肝不全・高血圧・糖尿」。直ちに人間ドックへ
・「琉歌セミナー85」演習行
・「庶民烈伝」取材のため九州へ
・中東取材に出発
大工哲弘「沖縄を返せ」「がんばろう」
▶1986/S61年 56歳
・中東ベカー高原へ取材
▶1987/S62年 57歳
・「マタバ/環太平洋国際革命家フォーラム」準備委員会のためリビアへ
・フィリピン革命一周年取材に東南アジアへ
・リビアで開かれた「マタバ」の議長として基調報告
・帰国途中立ち寄った英国で査証拒否強制退去
・東南アジア・フィリピンへ
・三井記念病院入院。
「胃癌・肝硬変・重度の糖尿病・食道静脈瘤」、余命3年長くて5年の診断
・「緑の書シンポジウム」予備会議のためリビアへ
・・・何が彼をそんなに駆り立てるのだろうか?
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]