1970年 大阪万博
【「エライ人を斬る」】~悪評フンプン建築界のプリンス・黒川紀章
"風と共に万国博は去りぬ。ニッポン低国1970年、秋である。
世の中には物好きもいて、‘家出人の唄を作って下さい’と作詞依頼がきた。
世の中には物好きもいて、‘家出人の唄を作って下さい’と作詞依頼がきた。
万博のパビリオン建築に携わっていた建築家の黒川紀章という男。
"彼について何も知らないから、建築関係や新聞記者らに訊いてみた。
PR人間、銭ゲバ、女たらし・・・‘イヤな野郎だ’と吐き捨てるように言う。
"彼について何も知らないから、建築関係や新聞記者らに訊いてみた。
PR人間、銭ゲバ、女たらし・・・‘イヤな野郎だ’と吐き捨てるように言う。
誰評判が悪く、誰一人よく言わない。ともかく会ってみるか・・・"
"彼の自己顕示欲のユエンは‘チビ’という人もいる。なるほど小柄だ。
そのセンセイに、45分もメタボリズムってのを講釈された。
そのセンセイに、45分もメタボリズムってのを講釈された。
要するに、屋台と36階ビルの共存理論である。
‘勝手にしやがれ’。矛盾は現実なのだから放っておけばいい。
‘勝手にしやがれ’。矛盾は現実なのだから放っておけばいい。
‘ところで、あなた評判悪いね’
‘出る杭は打たれる、だから気にしていません’。"
”某建築評論家によれば、'彼は奇形のデザインを机上でデッチ上げ、
あとの苦労は現場の監督や作業員に押し付けて知らん顔している’。
某紙記者によると、’東芝IHI館とか造ったんは大工やトビ(鳶職)でっせ。
それを’おれが作ったんや’とでかいツラしている。あの男には人間として
大切なもんが欠落しておますねん。”
黒川紀章設計 東芝IHI館
・・・ともかく労氏は、銭ゲバに「風が吹く」という唄を作った。
1970年に、天童よしみがレコードを出した。’天童'の名付け親も労氏。
1970年に、天童よしみがレコードを出した。’天童'の名付け親も労氏。
以前掲載したが別Ver.でもう一度。歌詞も載せる。作曲・木村好夫。・・・
♪オレが生まれた あの村は 海山千里に風が吹く
さらばさらばと風が吹く 風は鳴り鳴り吹いてくる
さらばさらばと風が吹く 風は鳴り鳴り吹いてくる
♪帰る家なし親もなし 街はこがらし涙雲
見れば見るほど風が吹く 風は泣き泣き吹きわたる
見れば見るほど風が吹く 風は泣き泣き吹きわたる
♪うしろ姿のさみしいは 心で泣いているからさ
ネオンチラチラ日も暮れる 秋も終りか日が暮れる
ネオンチラチラ日も暮れる 秋も終りか日が暮れる
♪オレが出てきたあの村の 井戸の釣瓶に風が吹く
実にしみじみ風が吹く 風は鳴り鳴り吹いていく
実にしみじみ風が吹く 風は鳴り鳴り吹いていく
風は鳴り鳴り吹いていく
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]