遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

反骨のルポライター:その12<竹中労 #12>

2024年08月12日 | 人物

1970年代の韓国・巫山

1970/S45年 40
・「大杉栄研究会」「アナキズム・セミナー」などを主宰する
在韓被爆者取材に広島・韓国へ行く

【「エライ人を斬る」連載を中断
今日のハイライト・・・総理大臣夫人佐藤寛子の干渉。 クリックで拡大可能
竹中英太郎の挿絵イラストが絶品。ぜひ拡大してご覧を!
以下、労氏連載の要点を記述引用(お断り:元の表現は遥かに過激である)

''権力への妄執が骨がらみの佐藤栄作、憎さげなツラ、傲岸不遜見本市。
もっとも今日は、ミニスカートはいて万歳するカンコというオバサンの事。
トシなんぼ? 63、若いねえ。諸般の事情でダンナを斬るなって話だから、
カミさん斬っちまう。~'庶民'ぶるネコなで声の権勢欲夫人"

”最初の頃は馬鹿な女性週刊誌やらが内助の功とか良妻賢母と書き立てた。
「あたくし夫にずいぶん殴られまして・・・」の談話が外国紙に載る。
これに寛子がクレーム、伝えた「共同通信」の関係者のクビが飛んだとか。"

"選挙応援演説・・・'ご町内の皆さま、わたし佐藤栄作の家内でございます。
皆様とおんなじ家庭の主婦でございます。'と車を降りて買い物をする。
'総理夫人はただいま、物価を視察中であります'と運動員”

"夫妻で連れだって米国訪問('69年)時の装い・・・
森英恵デザインのミニスカート・ロングスカーフ、O字型の脚に膝上3cm。
長谷川町子女史描く「意地悪ばあさん」、ハッキリ書くと猿の縫いぐるみ。"

"政治とは何か。女房迄動員して政権確保の妄執を燃やす佐藤栄作。
かかる権謀術数のヒトに一億の運命を委ねて、人みな安閑としちょる。
くたばれぇ、佐藤栄作、カミサンもついでにくたばっちまえ。
日本人いつまでこんな口車に乗せられて、クソ真面目に投票しておるか!”

・連載中断で読売新聞社及び佐藤寛子を民事告訴(裁判は8年続いた)      
・上野本牧亭で「巷談・読売筆禍事件」を語る・・・労氏、転んでもただ起きず

撮影で韓国へ】
ドキュメンタリー映画「倭奴へ」製作のために韓国へ

作詞をする
全日本歌謡選手権優勝歌手天童よしみのため「風が吹く」を作詞


1971/S46年 41
【「エライ人を斬る」上梓】
’私にとり文章をマスコミに発表する作業とは、
可能な限りの領域で活字の暴力を行使することにほかならない。’
【渡韓ビザ発給拒否】
'NDUと協働「倭奴へ-在韓被爆者無告の26年」の準備過程で、
韓国人被爆者密航幇助等々の理由で渡韓のピザ発行を拒否される。’
【連続シンポジウムを企画】
'「戦争と革命」の連続シンポジウムを企画・構成する。'
【TVで全ての発言カット】
'「ポルノ・ティーチイン」TV出演。発言をすべてカットされる。'

1972/S47年 42
琉球独立党を支援する
 ・沖縄で連続パネルディスカッション行い、琉球独立党の支援活動を行う
「繊細なるワタブー照屋林助」と出会う


今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]