2021年8月10日
手術入院を前にして部屋の整理をしていましたら、読売新聞のこれらの記事の切り抜きがでてきました。
実を申しますと、2007年からこのブログ Step by step を書き始めて足かけ14年。ここ2年以上は記載を中断していました。 中断というよりは、もう自分の役目は終わったなあ という感覚があり、過去ログだけは残して.......有料ブログにしていますので、私が生きてカード支払いをし続ける限りは、このブログは残るはずですので、これがあればそれでいいだろうと考えていました。
しかし、先に書きましたように、自分の身体に癌が見つかり、想定していなかった状況から、自分の気持ちを落ち着かせる意味で、気持ちを文章にする媒体をあれこれと考えたすえに、またここに戻ってきた次第です。
再びここに書き出してみて、そして部屋の整理していてこれらの記事を目にしますと、何か不思議な感覚........この世への未練に近い心情だと思うのですが、側弯症についてもまだ役に立てることが残っているのかもしれない。そういう神様の思し召しのような気持ちが現れてきています。
読売新聞・医療ルネサンスのこれらの記事は、本年5月に掲載されたものです。
この5つの記事に書かれた内容は、私が2007年から書き連ねてきた事々をコンパクトにまとめたものと言っても良いのではないかと感じました。
残念ながら、2021年の現在においても、特発性側弯症の原因は不明であり、この病気を巡る様々な課題は以前として残ったままなのですが、これらの記事にあるように治療方法は明確です。治療に対する考え方も明確です。
しかし、ある意味、SNSの普及によって、情報が逆にゆがめられるという弊害もいまだに残っているのかもしれません。
話が飛躍するかもしれませんが、コロナ禍の渦中にいて、そして自分の癌に向き合う状況になって、つくづく感じるのは、「病気は社会を写す鏡」ということ。
「病気は自分を写す鏡」とも言えるのですが、病気を治すための方法のなかで、「社会」という存在が大きな要素を持つことは、このコロナ禍が示してくれました。
全ての病気がそうであるように、病気を治すためには「社会」はどうあるべきなのか ?
そういう課題もこれらの記事の中から読み取れると思うのです。
august03
手術入院を前にして部屋の整理をしていましたら、読売新聞のこれらの記事の切り抜きがでてきました。
実を申しますと、2007年からこのブログ Step by step を書き始めて足かけ14年。ここ2年以上は記載を中断していました。 中断というよりは、もう自分の役目は終わったなあ という感覚があり、過去ログだけは残して.......有料ブログにしていますので、私が生きてカード支払いをし続ける限りは、このブログは残るはずですので、これがあればそれでいいだろうと考えていました。
しかし、先に書きましたように、自分の身体に癌が見つかり、想定していなかった状況から、自分の気持ちを落ち着かせる意味で、気持ちを文章にする媒体をあれこれと考えたすえに、またここに戻ってきた次第です。
再びここに書き出してみて、そして部屋の整理していてこれらの記事を目にしますと、何か不思議な感覚........この世への未練に近い心情だと思うのですが、側弯症についてもまだ役に立てることが残っているのかもしれない。そういう神様の思し召しのような気持ちが現れてきています。
読売新聞・医療ルネサンスのこれらの記事は、本年5月に掲載されたものです。
この5つの記事に書かれた内容は、私が2007年から書き連ねてきた事々をコンパクトにまとめたものと言っても良いのではないかと感じました。
残念ながら、2021年の現在においても、特発性側弯症の原因は不明であり、この病気を巡る様々な課題は以前として残ったままなのですが、これらの記事にあるように治療方法は明確です。治療に対する考え方も明確です。
しかし、ある意味、SNSの普及によって、情報が逆にゆがめられるという弊害もいまだに残っているのかもしれません。
話が飛躍するかもしれませんが、コロナ禍の渦中にいて、そして自分の癌に向き合う状況になって、つくづく感じるのは、「病気は社会を写す鏡」ということ。
「病気は自分を写す鏡」とも言えるのですが、病気を治すための方法のなかで、「社会」という存在が大きな要素を持つことは、このコロナ禍が示してくれました。
全ての病気がそうであるように、病気を治すためには「社会」はどうあるべきなのか ?
そういう課題もこれらの記事の中から読み取れると思うのです。
august03