~step by step~[ 側弯症ライブラリー]患者の皆さんへ

側弯症(側わん症/側湾症/そくわん)治療に関する資料と情報を発信するためのブログです

ゆうままさんへ

2011-08-21 02:15:09 | 先天性側弯症
こんにちはゆうままさん
ご連絡が遅れて申し訳ございませんでした。ここしばらく岩手の沿岸部にいる被災した友人等の手伝いをあれこれとしておりました。まだまだ時間のかかる、そしていつ果てるともしれない長い道のりが目の前にあります。過去形で語ることのできない、つらい現実がまだまだ続いています。
でも、それでも、皆、「生きている」ことに感謝し、「なんどがなるじゃ」と土地の言葉で励まし合っています。
普通に生きていても、辛い事があるのに、「普通ではない状態」のなかで生きていくのは、とてもたいへんなことです。それでも、皆さん、生きていく事に精を出しています。なぜなら、生かされた命、ということを感じているからだと思います。自分の意志とは、まったく別の、どうにもならない巨大な力に押し流されて、そして死と向き合いながらも、「生きろ」という「誰かの意思」によって、いまを生かされているのなら、その生を生きることに努めるのが残されたものの役割.......

お子さんが苦しんでいるのを見るのは、お母さんにとって、とても、とても辛いと思います。代わってあげたくても、代わってあげられない、そのもどかしさと、ご自分の非力さに、ゆうままさんも流されているのかもしれませんね

その流れのままに流れさていく先にあるものと、流れにあがらって渡りついた対岸にあるものと、もしかしたら、それは同じものかもしれません。
何がお子さんにとって良いか、悪いか、それを考え続け、考え続け、そして考え続けておられるのだと思います。

このサイトをご覧になられているお母さんがた、皆さんが、ゆうままさんと同じように、悩まれ、悩み続け、悩み続けておられると思います。

そして、おそらくそれぞれにたどりつく答えは別々かもしれません。それは私にはわかりません。
なぜなら、私自身が非力だからです。私にはゆうままさんも、ゆうままさんのお子さんを助ける手段も、技術も、力も、何も持っておりません。
ただ、この側弯症という病気を何年にもわたって勉強し、こういうご相談を何度となく、お受けしてきているなかで、私のなかで育ってきたひとつの回答があります。
それは、お子さんの「生」はお子さんのものですよ、ということ。

お子さんは、小さいながらも、その頭のなかで、何かを感じ、何かを考えているはずです。それは、まだ語るべき「言葉」にはなっていなくても、ちゃんといろんなことを考えているはずです。そして、その考えに「影響」を与えてるのは、やはり、お母さんの目であり、言葉であり、お子さんの背中かをさする手のひらの感覚なのではないでしょうか。

生かされている命、そして生きている命を大切にしてあげて下さい。手術の連続で、この子の将来になにがあるの? と考えるのは、それはお母さんの役割ではなく、お子さんが自分で見つけ、そしてつかみ取るものなのではないでしょうか。
そして、運命がどういう結論を導くのか、それは誰にもわからないことですが、一歩でも二歩でも、前に進めば、きっと何かが待っているはずです。

お子さんの身長が成長し続けるかぎり、側弯カーブも曲がっていきます。それはじわりじわりと肺と内臓を圧迫つつづけることになります。その影響がすぐに健康を害する形で現れるお子さんもいれば、それがひどくは現れないお子さんもいます。でも、その比率はとても小さいものだとお考え下さい。
すぐには現れないお子さんの場合も、データ的には、40代、50代が寿命のピークのはずです。それ以前に亡くなられる方もおられます。その差は、病態とお子さんの持つ運のようなものに左右されていると思います。
進行がひどく、お子さんの体力が少なければ、10代を向かえることもできません。そして、医学が進歩する以前、グローイングロッドやベプターが登場する以前......それはわずか数年ほど前のことなのですが.....それまでは、先生がたは手術してあげたくても、そのすべがなかった。という時代が長く続いておりました。

そのグローイングロッドにしても、ベプターにしても、これまでにその手術を受けてこられたお子さんがたの、ある意味では、犠牲によって、現在の技術が得られたといっても過言ではないと思います。
医学とは、医師の技術とは、そういう経緯をへて進歩していくもの、という現実を認めて欲しいと思います。
ですから、いまでも、様々なリスクをもった手術です。でも、これらに代わる手術方法はまだ存在しません。世界のどこかには、新しい手術方法が開発されているかもしれませんが、この日本において、お子さんが得られるものはこのふたつの手術方法しかありません。
ですから、選択肢はふたつです。 手術をする、しない、のふたつにひとつということです。

8歳まで待てるか、どうか、これは進行状態とお子さんの健康状態との兼ね合いですから、いまここでできる、できないを決めること自体が無理なのですが、この病気の難しいところは、待つことで治るわけではなく、待つことによって進行が進めば、それだけお子さんの内臓への負担が増していくという点にあります。それは目では見えず、検査でもわかりません。どこかで結論をだすしかないのです。

ゆうままさんがお聞きになりたいことの半分も、私には答えることができません。手術をして、歩けるようになるとも言えませんし、寝たきりになってしまうとも言えません。それはもしかすると、手術をする医師にも言えないことかもしれません。いま医師にできることは、目の前の側わんという状態を改善させて、進行を食い止め、なんとか、次の手術の段階まで維持する、ということに全力を尽くすしかないからです。

これは、医師にとっては、患者さんを救うための闘いですが、でも真に病気と向き合って闘うのはお子さん自身なのではないでしょうか。
そして、お子さんが闘おうとする意思を持つかどうかは、お母さんが、お子さんがどうこれからの人生を「生きて欲しいか」という気持ちをご自分のなかでしっかりと見つめ、そしてこうして欲しいと決めたなら、お子さんが泣いても苦しんでも、ときには、突き放してでも、お母さんの気持ちをしっかりと伝えることではないでしょうか。

下記は、私のことばではありません、この側弯症という病気と闘ってきたお母さんのことばです。代わりにお伝えさせていただきます。

   涙をこどもに見せない
   涙は、こどもに自分は可哀想な存在なのだ、
   という思いを植え付けてしまうから。
   あなたは普通の子供、わたしの大切な可愛いこども。
   ちょっとだけ手術というお荷物を
   背負っているけど、それを乗り越えられる強いこども
   それを乗り越えられる強いこどもに、お母さんはなって欲しい
   だから、わたしは涙は見せません



生きているから辛いけれど、生きているから、楽しいこと、嬉しいこと
笑顔になれることもたくさんあるはず
一歩でも、二歩でも、前に進むとき、きっと何がか見えてくると思うのです

august03

☞august03は、メディカルドクターではありません。治療、治療方針等に関しまして、必ず主治医の先生とご相談してください。
 医学文献の拙訳を提示しておりますが、詳細においてはミスが存在することも否定できません。もしこれらの内容で気になったことを主治医の先生に話された場合、先生からミスを指摘される可能性があることを前提として、先生とお話しされてください。
☞原因が特定できていない病気の場合、その治療法を巡っては「まったく矛盾」するような医学データや「相反する意見」が存在します。また病気は患者さん個々人の経験として、奇跡に近い事柄が起こりえることも事実として存在します。このブログの目指したいことは、奇跡を述べることではなく、一般的傾向がどこにあるか、ということを探しています。
☞原因不明の思春期特発性側弯症、「子どもの病気」に民間療法者が関与することは「危険」、治療はチームで対応する医療機関で実施されるべき。整体は自分で状況判断できる大人をビジネス対象とすることで良いのではありませんか?


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