米国ウィスコンシンの28歳既婚女性 Curvyのケース
13歳のときに特発性側弯症と診断される コブ角 29度 装具療法開始
28歳にて手術 コブ角 55度
学校に通っている間、側弯症であることは親友のふたり以外には誰にも告げずに
生活。以来15年間、周囲には病気について話しをすることなく過ごしてきていました
(どの時点で装具療法を終了したか、その時点でのコブ角がどの程度であったかは
不明です)
次第に「痛み」に悩まされるようになり「痛み」に耐えきれなくなったことが手術
を決心させた大きな要因のようです。
..............................................................
15年間で26度進行 ....平均すれば1.7度/年ということになりますが、
このブログ内からは何歳で成長が止まり、その時点でのコブ角が何度であった
かが情報として不足しています。
仮に、Darciのケースを流用して 16歳で46度を当てはめてみますと 12年間で
9度の進行であり、平均しますと0.75度/年。約1度/年の進行というタイプの
側弯症であった。と考えるのがもっとも考えうるパターンと思われます。
彼女の場合は、手術はしたくない。という気持ちが先行していたようです。
しかし、結果としては、28歳という年齢でどうしても痛みに耐えきれなくなり
手術。
一般的に欧米人と日本人とを比較したとき、「痛み」に対する感受性、耐痛性に
おいて、日本人は欧米人よりも痛がらないと言われています。側弯症ではあまり
痛みを訴える患者さんは日本では少ないようですが、それに比較すると欧米では
側弯症の患者における「痛み」を訴える率は高いようです。
いずれにしても、55度という角度は体駆的な変化でも外観上の差が現れてきて
いると思われるますし、呼吸器系の障害なども考慮すれば、タイミングとしては
ギリギリのところではなかったかと思われます。
成長が終了した時点でコブ角をどの数値で抑え込めていたかが、その後の進行を
予測するファクターになりそうです。
13歳のときに特発性側弯症と診断される コブ角 29度 装具療法開始
28歳にて手術 コブ角 55度
学校に通っている間、側弯症であることは親友のふたり以外には誰にも告げずに
生活。以来15年間、周囲には病気について話しをすることなく過ごしてきていました
(どの時点で装具療法を終了したか、その時点でのコブ角がどの程度であったかは
不明です)
次第に「痛み」に悩まされるようになり「痛み」に耐えきれなくなったことが手術
を決心させた大きな要因のようです。
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15年間で26度進行 ....平均すれば1.7度/年ということになりますが、
このブログ内からは何歳で成長が止まり、その時点でのコブ角が何度であった
かが情報として不足しています。
仮に、Darciのケースを流用して 16歳で46度を当てはめてみますと 12年間で
9度の進行であり、平均しますと0.75度/年。約1度/年の進行というタイプの
側弯症であった。と考えるのがもっとも考えうるパターンと思われます。
彼女の場合は、手術はしたくない。という気持ちが先行していたようです。
しかし、結果としては、28歳という年齢でどうしても痛みに耐えきれなくなり
手術。
一般的に欧米人と日本人とを比較したとき、「痛み」に対する感受性、耐痛性に
おいて、日本人は欧米人よりも痛がらないと言われています。側弯症ではあまり
痛みを訴える患者さんは日本では少ないようですが、それに比較すると欧米では
側弯症の患者における「痛み」を訴える率は高いようです。
いずれにしても、55度という角度は体駆的な変化でも外観上の差が現れてきて
いると思われるますし、呼吸器系の障害なども考慮すれば、タイミングとしては
ギリギリのところではなかったかと思われます。
成長が終了した時点でコブ角をどの数値で抑え込めていたかが、その後の進行を
予測するファクターになりそうです。