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イギリス王室は、現在、アメリカで暮らしているヘンリー王子とメーガン妃夫妻が、王室の活動から完全に離れることを明らかにした。
2020年1月に、王室の公務から離れると宣言したヘンリー王子とメーガン妃について、イギリス王室は19日、夫妻が1年間の見直し期間を経て、エリザベス女王に対し、「今後も公務には戻らない」という意思を伝えたと発表した。
これを受け、女王は、夫妻は「公人としての責任を全うできない」と判断し、ヘンリー王子の「海兵隊元帥」の役職や、夫妻の慈善団体などでの地位は、女王に返上することになった。
3月には、アメリカのテレビで、夫妻の王室離脱後、初めてのインタビューが放送される予定で、王室との関係悪化も懸念されている。
エリザベス女王(94)は、ヘンリー王子(36)とメーガン妃(39)の公務を誰に引き継ぐのかすでに決めているという。昨年カリフォルニアに移住した同夫妻は、イギリス王室の公務から完全離脱することを先日発表、サセックス公爵、公爵夫人としての公務引継ぎが必要とされていた。
ある関係者がデイリー・ミラー紙にこう明かす。「不吉な前兆が見られ、明らかに公爵と公爵夫人にチームに戻る意志がないことが分かった時、女王は彼らが引き払ったその役割に関して希望の候補者をかなり前から決めていました」
今回の報道によると、アン王女(70)がヘンリー王子の海兵隊元帥を、エドワード王子がメーガン妃のナショナル・シアターのパトロンを引き継ぐほか、ヘンリー王子が2008年から務めているRAF(イギリス空軍)ホニントン基地の名誉司令官は兄のウィリアム王子が継承するという。また、イギリス海軍司令部小型艦艇・ダイビング名誉司令官は未定のままで、他にもヘンリー王子が務めていたイングランドのラグビー・ユニオンとラグビー・フットボール・リーグのパトロネージは、同リーグの上層部がウィリアム王子の引継ぎを希望しているそうだ。
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さらに、国際的大学ネットワーク、コモンウェルス大学協会のパトロンはウェセックス伯爵夫人のソフィー妃がメーガン妃から引き継ぐ可能性があるという。
そしてヘンリー王子とメーガン妃がそれぞれ務めていた女王のチャリティ団体、クイーンズ・コモンウェルス・トラストの理事と副理事の役職が現在空いたままだという。
現在1歳9か月の息子アーチー君に続く2人目の子供が誕生予定の2人だが、公務の完全離脱は英王室の広報を通し発表、ヘンリー王子はエリザベス女王に自身が王室メンバーとして公務を行うつもりがない意思を伝えたそうで、王室一同はその決定を悲しんでいるものの、今後も家族としての愛情は変わらないとしていた。
この決定により、今後、軍やコモンウェルスに関連したチャリティ活動、ロイヤル・ナショナル・シアターなどとの公的なつながりがなくなった2人だが、イギリス国家への義務と貢献は今後も変わらず果たしていくとして、これまで参加してきた活動などを支援して行く意向であるとコメントを出していた。(BANG Media International/デイリースポーツ)�
今年の6月に98歳を迎えるフィリップ殿下。公務は引退しているものの、高年齢での運転で衝突事故を起こしやっと運転免許を返上するなど、若い時からのマイペース振りは健在だ。英史上最長の在位期間を誇るエリザベス女王の伴侶として、チャールズ皇太子が激しく反発した厳格な父親として、そしてときに過激なユーモアを発する好々爺として英国民から愛されてきた彼は、壮絶な人生を歩んでいた。彼の人格形成に大きく寄与したと言われる波乱万丈の生い立ちや、エリザベス女王との出会いを振り返る。
1フィリップ殿下とエリザベス女王の
ひいひいおばあさんは同じ
華麗なる家系図
フィリップは1921年6月10日、当時のギリシャ国王の弟の長男として生まれた。フィリップ殿下の父方のひいおじいさんはデンマーク王。このデンマーク王がエリザベス女王のひいおばあさんの父親、つまりはひいひいおじいさんに当たる。2人は遠い親戚関係にあったのだ。
さらに2人は、フィリップの母方の家系を通じても親戚関係にある。フィリップの母親アリスは、エリザベス女王から4代さかのぼった英国の君主であるヴィクトリア女王の血を受け継ぐ王女とドイツ系英貴族の間の子。なんとアリスは現在エリザベス女王とフィリップ殿下が休日を過ごすウィンザー城で生まれている。19世紀後半の大英帝国を率いたヴィクトリア女王は、双方にとってのひいひいおばあさんというわけだ。つまり、父方と母方のいずれの家系においても、4、5代さかのぼれば2人は同じ祖先にたどり着くということになる。
2生まれてすぐに
亡命生活に突入
王位継承順位第6位のギリシャ王族として生まれたフィリップだったが、間もなくして同国でクーデターが発生し、両親と4人の姉とともに亡命生活を余儀なくされる。このとき、フィリップは生後わずか1歳6カ月。親戚関係にあった、エリザベス女王の祖父であるジョージ5世の手助けを受けながらギリシャを抜け出した一家は、フィリップの両親がロンドンでジョージ5世に謁見するなどした後で、パリ市内中心部に程近い、モンマルトルの丘とエッフェル塔が見渡せる場所に居を移した。このころフィリップの家族は、英語、フランス語、ドイツ語が飛び交う家庭環境で暮らしたという。
エリザベス女王即位60周年を祝うダイヤモンド・ジュビリーにおける
水上パレードでのエリザベス女王とフィリップ殿下
3母親は躁うつ病、
父親は愛人と酒で家庭崩壊
亡命生活が始まって以後、フィリップの母親は躁うつ病のような症状に悩むようになる。またオカルトにものめり込み、グラスの上に置いた指が勝手に動いて精神世界が発するメッセージを書き表すという日本の「こっくりさん」に似たような現象に凝ったり、イエス・キリストと結婚した唯一の人間であると信じたりするようになった。日常生活を送るのが困難になったため、フィリップの母親はやがてスイスにある療養所に収容された。
一方の父親は、愛人と暮らすためにモナコへと姿を消してしまう。その不倫相手というのが、ナポレオン3世や印象派画家のマネなどの愛人だった女性のひ孫という言わば愛人のサラブレッド。また父親は、モナコで酒や賭け事にも溺れていたと伝えられている。そして4人いた姉たちは次々と結婚していった。残されたフィリップは、幼くして孤児も同然となってしまったのである。
4イングランドの
寄宿制学校に転校
家庭崩壊の憂き目にあったフィリップは、母方の家族の勧めを受けて、8歳のときにパリのアメリカン・スクールから、イングランド南部バークシャーにある寄宿制の私立小学校チームに転校する。寄宿制の学校の生徒となったことで、フィリップの面倒を誰がみるかという問題は部分的に解決。学期休みの期間は、祖母が暮らすケンジントン宮殿で過ごすなどしていた。
同校への入学時には英語よりもフランス語を流暢に操ることができたといい、数学やスポーツでは優秀な成績を残した。運動神経は良かったようで、校内大会では、高跳び、水泳、飛び込みなどの種目で入賞。サッカーではゴール・キーパーのポジションを獲得、クリケットでも活躍したという。
2015年6月、バッキンガム宮殿から馬車でパレード
5ナチスの敬礼で
笑い転げる
フィリップが13歳になったとき、ドイツ系貴族の血を受け継ぐ母方の親戚は、フィリップをドイツ南部ボーデン湖の近くにある学校ザーレムに入学させた。当時のドイツと言えば、ナチスが影響力を次第に高めていった時代。校内にはかぎ十字が描かれた旗がはためいていた。フィリップは、ナチス特有の敬礼が、同校の生徒がトイレに行きたいときの決め事となっている手の挙げ方と似ていたことから、その敬礼を見る度に笑い転げていたという。
結局、ドイツでの通学は一年で終了。ユダヤ系であったザーレムの校長がナチスから逃れてスコットランドに新設した、ゴードンストウン校に転校した。強靭な人格を形成することを主眼とする規律の厳しい男子校で、同校では航海技術の訓練が必修となっていた。ここで航海技術を習得したフィリップは、卒業後、イングランド南東部端にあるダートマス海軍兵学校に入学。ここが、エリザベス女王との出会いの場所になる。
6テニス・コートで高跳びを披露して
エリザベスを魅了
同じ祖先の血を分けた王家の親戚付き合いの一環として、フィリップとエリザベスまたその家族は、2人の結婚前から数度にわたり同じ場に居合わせたことがある。例えば幼少時のフィリップは、両親とともにエリザベスの祖母であるメアリー王太后とバッキンガム宮殿でお茶をともにしたことがあり、またウェストミンスター寺院で執り行われた親戚の結婚式にはフィリップとエリザベスがともに出席している。
しかし、2人が本当の意味で出会ったのは、フィリップが18歳、エリザベスが13歳のとき。当時の英国王ジョージ6世がダートマス海軍兵学校を訪問した際に、長女のエリザベスのお世話役を、同校に通っていたフィリップが務めることになった。容姿端麗かつ子供の扱いも上手だったフィリップは、しばらく電車のおもちゃで遊んだ後で、テニス・コートへエリザベスを誘い、そのコートに張られていたネットの高跳びを披露したと伝えられている。その間、エリザベスはフィリップから目を離すことがなく、その場でお付きの人々にフィリップの素晴らしさを語り続けたり、翌日になっても自ら積極的にフィリップに話し掛けにいったという。以後、フィリップが親戚付き合いなどを兼ねて王室関連行事に出席する度に、エリザベスは彼への関心を高めていった。やがて周囲では2人の結婚についての可能性がちらほらとささやかれるようになる。
エリザベス女王の公式誕生日祝賀パレードでバッキンガム宮殿前に集まった人々に手を振る
7日本の
降伏文書調印を目撃
ダートマス海軍兵学校を卒業したフィリップは、士官候補生として英海軍に入隊。第二次世界大戦に従軍した。戦争中は着実に昇進を重ね、その間、既に恋仲となっていたフィリップとエリザベスは遠距離恋愛を続ける。フィリップはエリザベスの写真を航海中の船室内に掲げ、またエリザベスは宮殿内の一室にフィリップの写真を置いていた。変な噂を立てられてはいけないからとお付きの人間に自重を求められると、エリザベスは顔中に髭をたくわえたフィリップの写真に差し替えて「これでも誰の写真か分かるという人がいたら無視する」と言い放ったという。
当時の日本と英国は敵国同士。フィリップが乗艦していた駆逐艦は日本との戦闘に関わる作戦にも参加し、1945年に日本が降伏文書を調印する場となった米国の戦艦ミズーリ号の警護も担当した。また日本が香港総督府で英軍への降伏文書に調印する際には、フィリップもその場に居合わせたという。
8何もかも捨てて
様々な障害を乗り越える
終戦後間もない1946年の夏、フィリップはエリザベスの母親に誘われて、バルモラル城で3週間の休暇をともに過ごした。このときにエリザベスに求婚したとされている。
2人が結婚に向けて本格的に動き出したときに周囲から問題視されたのが、彼の粗野な振る舞いと、ギリシャ生まれでドイツ系の家系という出自だった。とりわけ後者に関しては、戦時中のナチス・ドイツの行いについての印象が英国内でまだ根強く残っており、また王室関係者の間では妬みややっかみからフィリップの悪評を広めようとする者たちがいたという。当時行われた世論調査でも、2人の結婚に対する賛否がほぼ真っ二つに分かれ、反対意見の中には外国の王家との結婚に異を唱える声が含まれていた。
こうした声に応えるかのように、フィリップはこの年の冬、戦時中に英軍に従軍した外国人枠を利用して英国に帰化を申請。翌年の春にはこの申請が認められたと発表された。またギリシャ及びデンマーク王子の称号を捨て、ギリシャ正教から英国国教会に改宗、ナチス関係者と結婚した者も含まれていたという4人の姉妹は、エリザベスとの結婚式に招待さえされなかった。こうした困難を経て、フィリップが26歳、エリザベスが21歳のときに、2人は晴れて結婚。1952年にエリザベスが女王となってからは、フィリップも女王を支える良き伴侶として、現在に至るまでの人生を歩み続けているのである。
1947年、新婚旅行において、エリザベス女王と散歩を楽しむフィリップ殿下
2019年、図らずも
変わらぬ健在ぶりを披露した
フィリップ殿下
2017年の夏に正式に公務を引退したフィリップ殿下だが、その後もヘンリー王子やユージーン王女の結婚式で、そのかくしゃくとした姿を見せている。一方で2019年1月には、自ら運転するランド・ローバーで追突事故を起こし、自分の車を派手に横転させるという事件も起こし、国民を驚かせた。
衝突事故を起こすも無傷だった
事故は1月17日、英東部サンドリンガムのエリザベス女王の私邸近くのT字交差点で発生。相手の車に同乗していた2人の女性が重軽傷を負った。フィリップの車は横転したが、怪我はなかった。フィリップは「あの交差点は何度も使っているが、日差しが強く、近づいてくる車が見えなかったとしか思えない」と釈明している。その後、各種タブロイド紙は、この事故で被害に遭った女性がフィリップ本人から何の謝罪の言葉もないことに不満を感じていると相次いで報道。やがて、1月27日付の日曜紙「サンデー・ミラー」は、フィリップが「大変申し訳ない」と謝罪の手紙を送ったことが分かったと報じ、ミラー紙も「彼は説明を尽くそうと努めており、そのことに感謝する」と女性の言葉を伝えた。
97歳、しぶしぶ運転免許返上
王室は2月9日、フィリップが運転免許証を返上したと発表。フィリップは交通事故を起こした3日後に、新しいランド・ローバーをシートベルトも締めずに運転する姿が写真に撮られるなどして、批判を浴びていた。王室は声明で「慎重な検討の結果、殿下は免許証を自主的に返上することにした」と説明。事故の後、フィリップはエリザベス女王やチャールズ皇太子からひどく怒られたようだと、タブロイド紙が報じた。ちなみに天皇陛下は85歳の誕生日に運転免許の更新を行わず、そのまま失効させている。
訴追は見送りに
自動車を運転中に衝突事故を起こしたフィリップについて、検察当局は2月14日、訴追しない方針を明らかにした。声明によれば、検察は警察の捜査情報に基づき、事故の状況を精査したが、殿下の年齢などを考慮し、訴追が「公益にならない」と結論付けるに至ったそう。
車の破片がeBayに出品される
1月17日の事故の数日後、フィリップの車の一部が、ネットオークション・サイトのeBay に出品されていたとBBC が伝えた。
eBay の出品情報欄には、「フィリップ殿下のものと思われる血液が付着しているので、殿下のクローンを生むこともできる」、というジョークのほか、「売上げはチャリティー団体のキャンサー・リサーチUK へ寄付する」と書き込まれていたという。この破片の価値はともかく、その入札件数は139件を超え、入札価格は破格の6万5900ポンド(約929万円)に達した。しかし現在は同サイトのポリシーにのっとり出品は取り下げられており、フィリップの事故車の破片は幻のアイテムと化した。
2019年1月18日、事故現場で車の破片を撮影するメディア関係者たち
Sources: Young Prince Philip: His Turbulent Early Life by Philip Eade、The Independent「A strange life: profile of Prince Philip」、Daily Mail「Extraordinary picture which captures the moment Prince Philip met the Queen for first time when she was just 13」、BBC「Prince Philip: The Iron Duke」、英王室公式ウェブサイト、戦艦ミズーリ記念館、BBC「Prince Philip unhurt in crash while driving」、The Sunday Mirror「Prince Philip's apology letter to car crash victim in full」、BBC「 Prince Philip crash: Debris for sale on eBay」、時事通信ほか