すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

脳との付き合い方。

2015-02-19 13:28:57 | 心理メソッド・生き方
最近、いろんなことの手抜きに慣れてしまって、なんとなく生活がだらしなくなっているな、と感じます。家にいる時はネットをやりすぎてしまって、SNSの情報にも一喜一憂して、感情が泡立つ。「見なきゃいいのにな」とどこかで思いつつ、「ついつい」を繰り返してしまいます。

これは、自分が自分をダメにしている感じなんですよね。五感で「気持ち良さ」を感受する感覚が落ちて、脳ばっかり使っている感じです。

そんな中で手に取ったのが、この本。

『考えない練習』小池 龍之介

著書の小池龍之介さんは、東大出身の異色の僧侶。親や妻へのDV、離婚、その他かなりの壮絶体験をくぐりぬけ、坐禅・瞑想に出会い、その厳しい修行によって自分で自分を救った方です。

図書館で予約していたのだけど、この時期に届いて、あまりのトンピシャな内容にシンクロニシティを感じました。この本、たぶん、買います。


興味をひいたものを上げてみます。

・脳という情報処理装置は、自分の大好きな刺激を得るためなら私たちが苦しんでいてもお構いなく考え続ける、ヤクザな物体なのです。

・無意識の思考(意識できないほどの短時間にあらわれては消える思考)が引き金となり、次々と新しい思考が連鎖して、私たちを考えさせているのです。たとえば、「がーん、どうしよう」という思考から連鎖し、「この仕事が失敗したらどうしよう」とか、「もし失敗して、あの人からバカにされたらどうしよう」とか、思考が勝手に暴走し始めるかもしれません。

・思考がぶつぶつと増殖すればするほどに、心のメインメモリは無駄な雑念に食いつくされてしまいます。



最初の脳の話しは、まさに私のことです。脳は、刺激を追い求めるようにあらゆる情報をさまよい、不快→快、快→不快の落差を味わいだかるヤツなんですね。そして、満足できる刺激はどんどん強くなっていくという。

ネットの情報は脳を刺激する材料に事欠きませんから、最近の私の脳はちょっとそんな状態なのかもしれません。脳は目的を達成しても私(自己)や私の身体は、気持ちよくない。むしろ、息苦しさを感じています。

考えてみれば、ギャンブルがその最たるものです。一度強烈な勝ちを体験すると、脳がさらなる勝ちという「快」を求めて暴走し、自分がボロボロになるまで意思の力ではとてもストップがきかなくなる。ギャンブルにはまってしまうというのは、自分が自分の脳をコントロールできなくなる状況です。

脳=私(自己)になると脳の暴走を止められなくなりますが、脳と私との距離を置いて、脳を客観的に眺めてみることができれば、脳がすることを私がコントロールすることは可能です。

そのためには私の側の感覚、身体の中のすっきりしない感じ、気分の淀みを、まだ軽症のうちにキャッチすることですね。私の側の悲鳴が軽い内ならば脳を落ち着かせることは難しくないはずです。


一方、無意識の思考が連鎖して、イライラや不安を引き起こすというのは、心理学でもよく言われることです。「自動思考」といって、意識するよりも早く勝手に脳が自分の台本によって思考を始めてしまうのです。

たとえば、「知り合いを見かけたけれど、こちらに気付かないで去って行った」という【事実】があったとします。

脳の台本の書き込みに悲観事項が多いと、「私のことを避けているんだ」とか「この前のことを怒っているんだ」とか「私が何か悪いことをした?」という【思考】が自動的に発生します。

その【思考】から生まれる【感情】が、不安、イライラ、怒りで、それが高じると当然心身の不調につながります。脳にはさらにこのサイクルが刻まれ、ますます悲観的な台本は強化、固定化されます。

小池さんのこの本では、自動思考は本当に瞬間的に脳内を駆け回るので、たとえば、批判されたら落ち込むという自分の脳の傾向を知ることと、その出来事に対して自分の脳がどう反応するかを予想して身構えておくことの大切さを書いています。

具体的には、誰かに嫌なことを言われそうなときに、

「あ、この人(自分のことです)は、あと一言、言われたら落ち込み始めるよ」と身構えておく

というようなことです。

自分の脳の性質を知っていれば、感情にフィードバックさせることを和らげることもできますし、その脳が反応しやすい場面をできるだけ避けることもできるかもしれません。

あと、こうして脳、思考のおしゃべりが多い人(私です)は、五感の働きが弱っていて、生きる実感が薄れがち。まずは、目の前のこと、炊事でも、洗濯でも、散歩でも、具体的に指先、目、耳の感覚に意識が向けるような訓練をしてもいいかもしれません。

余計な考え、特に自分を苦しめる思考が流れてきたら、とりあえず呼吸に意識を向けるのもシンプルかつ効果の高い方法ですね。


これもシンクロなんですが、昨日、田口ランディさんはこんなことをつぶやいていました。






ランディさん、最近よく脳についてつぶやいておられるなぁとは思っていましたが、今まではほぼ素通り。でも、昨日はキターって感じでした。

この発想、もらい!です。

脳が家来で、私が主人。

私の脳の弱点は、すぐに落ち込みやすく、人の顔色を気にしやすいところ。脳に刻まれた台本はなかなか書き直されないけれど、その特性を知っていれば、その都度、なんらかの手立てを講じることはできそうです。

時に命令したり、肯定的な言葉をかけたり、時に甘やかしたり、と、普段から育てていく感覚で脳と付き合って行くのも楽しそう。ただし、家来の脳を上手くコントロールする術は、毎日の小さな努力が欠かせないでしょうね。

とりあえず、昨日から、私の脳には「タブレット開くのは基本昼休みと夕食後だけね」と優しく命令しときました(笑)。聞いてくれるまで、あせらず、あきらめず命令するつもりです。



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スモールステップという生き方。

2015-02-09 14:00:49 | 心理メソッド・生き方

受験に合わせて中3の甥っ子にこんなお菓子の詰め合わせを送ったら、昨日私立高校二校の合格通知の画像がLINEで送られてきた。

滑り止めといえ、彼の住んでいる地域ではトップクラスの高校だ。

本命は三月の公立高校だけれど、とりあえずは、本人はもちろん姉家族全員ほっとしたみたいだ。

あの子がね~、と叔母としても感慨深い。

この甥っ子君、3月後半が誕生日の超早生まれ。優しい性格の上に、小さい頃から、なにもかもが遅かった。発語、母子分離、鉄棒、縄跳び、そしてかけっこ。

小学校低学年の頃は、友だちと鬼ごっこをやって一度鬼をやるとそのままずっと鬼から抜けられず、泣いて帰ってくることも一度ではなかったとか。

いじめられっ子体質で運動音痴に生まれた男子の悲惨さを母親である姉はいつも雄弁に、面白おかしく語っていたものだったけれど、多分、死ぬほど悩んでいたはず。

そんな、負け癖のついていた甥っ子に転機がやってきたのは小学校高学年。彼は体育の授業で持久走と出会った。

ひ弱な長男に何とか自信をつけてもらいたいと考えていた姉は、職場の先輩ママから言われた言葉を、藁をも掴む思いで聞いていた。

その言葉とは。

「短距離がダメでも、長距離なら努力で強くなれるよ。男の子は、小さな目標を立ててそれを少しずつ達成して伸びる子が結構いるんだよね。スモールステップよ。焦らず頑張って」


スモールステップ。姉は、長男に、このスモールステップの生き方を授け、持久走で実践させようとした。

持久走ももちろん最初は300人中280番代という惨憺たる順位だった。けれど、姉のアドバイスを素直に聞いた甥っ子は、雨の日も寒い日も毎日欠かさず、家の周りを何周も走るようになった。その効果は、少しずつ少しずつ現れた。順位が、じわじわと上がったのだ。

やがて甥っ子の中に、「努力×小さな目標=達成」という公式が出来上がる。

小学校を卒業する頃には持久走でトップ5の常連組になり、相変わらず優しい子ではあるものの、売られたケンカは買ってでるたくましさも身につけていた。

小学生の時に自分の生き方の公式を見つけた彼の、中学3年間は輝かしいものだった。陸上部のキャプテンを務め、自ら地域の陸上大会や駅伝大会など大きな舞台で何度も表彰台に上った。

勉強面も持ち前の努力体質でメキメキと実力をつけて成績をあげ、特にスランプに陥ることもなく、校内、塾内のトップグループの一角としてこの春受験を迎えることになった。

この甥っ子のすごいなぁと思うのは、自分の弱点と持ち味をきちんとわかっているということ。

瞬発力やスピードには自信がないから、そこには最初から目標を置かない。そのかわり、小さな目標を立ててそこに向かって一歩一歩努力する。彼にとっては確実に結果を出す方法がこれなのだ。

負け組出身の底力、ここにあり、だね。彼には多くのことを教わったなぁ。その一つが、負けから学べることはいっぱいあるってこと。

この、かわいい甥っ子に合格のお祝いを買ってあげるのが、叔母さんの今のささやかな楽しみなのだ。


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「お母さんは幸せ」と言える人生を。

2015-02-08 16:20:37 | 心理メソッド・生き方


冬になると、こんなリンゴが箱入りで2回ほど届く。今年の1回目は年末だった。ふじ、王林、紅玉など、目にも楽しい色とりどりのブランドリンゴの詰め合わせだった。

そして、2回目は先週。シンプルな信州リンゴ。3人家族の我が家には少々多いけれど、ゆっくり時間をかけて消費するつもり。

この送り主は、この人。夫の母、私の義母だ。

妊娠中に義母がリンゴを送り届けてくれて、苦しんでいたつわり期間だったから、その瑞々しい味わいに救われた。と、そんなことをいつだったか義母に話したら、それから毎年リンゴが送られてくるようになった。

この義母という人は、はたから見て、不幸が似合わない人だなと思う。この先の人生も、悪いことが起きるようにはとても思えない何かを、この義母は持っている。初めて会った日に抱いたその直感は、今も変わらない。


先週参加した、心屋仁之助さんの講演会で、「僕の話を聞きにきてくれる人に、今からする質問をすると9割の人が手を上げる」という話があったのだけど、実際に心屋さんが質問すると、まるで魔法にかかったみたいに9割の人の手がワーっと上がった。私もその一人だった。

小さい時に、お母さんが幸せそうには見えなかった人。

質問の設定があまりに心屋流だわと苦笑しつつ、圧倒的な結果にグウの音も出なかった。心屋さんのところに集まる人の共通点は、優しい人、そして何らかの生きずらさを抱える人、というのは想像に難くない。

でも、その大元が「お母さんが幸せに見えない」にあったりするなんてね。

幼少期に1番身近にいた人が、「幸せに見えなかった」というのは、確かに、その人生に物悲しさを伴う決定的な何かを与えるのかもしれない。

それが、「お母さんは、私が絶対に幸せにしなくては。自分の人生を脇に置いてでも」だったり、「この世界は私を幸せにするものではないんだ。だってお母さんが、そうだったから」だったり、「私は、一番身近で大好きなお母さんを幸せにできなかったんだ」だったり。生きずらさを生む、いじらしいスキーマだ。

昨日、「子どもの時、お母さんって、幸せそうに見えなかったことあった?」って夫に聞いたら、「ん?全然」と即答で返ってきた。「おやじとの結婚も含め、あの人は恵まれた人生だよ」。想定内すぎる回答。

質問の意図もわからないほどに、うちの夫は、生きずらさには無縁な人だ。繊細な部分もある優しい人ではあるけれど、気持ちの浮き沈みが穏やかで、「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。自分の母親に対する感情にも、余計な感傷がほとんどにじまないのだ。

あの母だから、この息子。うーん、納得。

義母ほどの幸せオーラをまとうのは難しいとは思うけれど、息子にも、どうか、「お母さんは幸せ」って思わせてあげたい。そこを基準にして生きていってほしい。

となると、私、責任重大だ。



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初・心屋仁之助さん講演会。

2015-02-01 19:03:47 | 心理メソッド・生き方
今日は、千葉県の松戸市民会館まで、初&生・心屋さんを拝みにいってきました。

NHK文化センター柏教室の特別講座です。



朝、夫に「もっと上がり調子の時に行きたかったなー」とグズグズ言うと、「行って上げてもらえばいいじゃない」と神発言。確かにー。

このところのダンナ、忠犬ハチ公みたいに超優秀です。

松戸まで、自宅から電車で1時間と少々で到着。会場は、私と似たような世代の女性と付き添いとおぼしき男性1,200人に埋め尽くされ熱気ムンムン。圧倒された私は、しばらく過呼吸気味でした。


生の心屋さんは、なかなかの男前で、有名人オーラがでまくってました。


トークもキレが良く、まるで綾小路きみまろ?!みたいでたくさん笑わせてもらったし、賛否両論の歌も全然上手でしたよ。

肝は、みんなで唱和した「魔法の言葉」。それも100とか200とかの数を続けざまにリピートアフターぢんさん。思わぬ言葉に反応して涙がサラサラ流れて、自分でもびっくり。カタルシス体験で気持ち良かったなー。

心屋さんの言葉や考え方にはブログなどで普段から触れているので、特別印象に残った話というのはないのですが、それでも2時間たっぷり飽きることなく楽しませてもらいました。

講演が終わって、ふっと頭によぎった言葉は、昔見た寺島しのぶさんの映画「ヴァイブレータ 」の主人公の最後のセリフです。

あたしは
自分がいいものになった気がした。


ヒロインが恋に落ちた男から去っていくとき、自分が大切にされたことを感じて呟いた言葉。

心屋さんの講演会は、なんだかそんな気分にさせてくれる時間でした。また、行きたいです。


神社ミッション決行!

2015-01-03 17:45:03 | 心理メソッド・生き方


雲ひとつない青空。1月3日。

ダンナと息子は実家へ出かけたことだし、今日は絶好の神社ミッション日和だ。


まずは、予約していた歯医者へ。

考えてみたら三が日から病院をオープンさせているなんて大したものだわ。ここの病院、土日も診療している上、勤め人向けに夜も結構遅くまで開いている。いつも優しい先生とスタッフの方々に感謝の気持ちがじんわり湧いてくる。

今日の治療は、麻酔があんまり効いてなかったけど、全然痛くなかった。ラッキー。


いい気分のまま、いざ近所の神社へ。

近くに寂れた神社がないので家から徒歩3分の神社を選定。この辺りじゃ有名な神社なので、初詣で客がわんさかいて少々気後れ。

賽銭箱目指して参拝客の列に並ぶと、警備員の人から横三列になるよう誘導される。

賽銭箱の方からチャリンチャリンと音が聞こえる。やっぱりお札組は少ない?

順番が迫ってきたところで前の三人が賽銭箱に入れる瞬間をガン見。

おー、三人揃って見事にチャリ銭。この辺り、結構お金持ちが住んでるはずなのに…とゲスなひとりごと。

私だけお札だったりして、しかも一万円。隣の人とか後ろの人に見られたらどーしよー、引かれるかなー、引かれるよねー、なんて小心者よろしく考えてたらすぐに自分の番。

白い布が敷かれた賽銭箱をチラ見したら、やっぱりチャリ銭ばっか。お札は見えないよー。

もう、いいや。
そんなのしったこっちゃない。

よし、決行だ!

右ポケットに入れておいた三つ折りの万札を掌で隠すようにして取り出し、そおっと賽銭箱の中にすべりこませた。

すべりこませた…

すべりこませた…

すべりこませた…





のに。


あ、れ、れ。

なんにも、感じない。
晴れ晴れ、とか、すがすがしさ、とか、もったいない、とか、やめとけば良かった、とか、なーんにも。


ミッション遂行に気をとられ、お参りの儀式はかなりいい加減。はい、終わり!とばかりに、さっきの警備員さんに誘導され、やれやれふたたび来た道に。


神社ミッションなんて、なんともないじゃん!大したことなーい!

と毒づきたくなったら、帰り道の鳥居を潜った時に、突然目頭が熱くなる。目がウルウルしてきた。やばいやばいやばい。

あー、なんだなんだ。

何かがこみ上げてきた。

何だろう、コレ。

何だろう…

何だろう…


(…とまあ、「何だろう」は余韻にとどめ、分析はやめておきます。その代わり、2015年を思いっきり楽しむことにします。きっと、そこに答えがあるはず…(*^_^*)なんてね)


なにはともあれ、私の神社ミッション終了だー。






100%を求めない。

2014-12-15 16:29:49 | 心理メソッド・生き方

仲良しの友達と話していても、時々こんなことがある。

自分が大事にしたいと思っていることに、すっきり共感や同意をもらえないってこと。

たとえば、今の私なら、

やりたいことしかやりたくない

べき思考を止める

みたいなこと。


否定や反発がなくても、「わかるー」「そっかー」がないと、小さく傷つく。

あ、大切な友達に、わかってもらえないんだ、と。


この友達とは本当は合わない?
私の大事にしたいものって本当は間違ってる?

そうやって気持ちをこじらせると、その友達を失うか、自分を曲げるか、のどっちかになる。

でも、

大切な友達を失いたくない。
自分を曲げるのも、もういやだ。

うん、うん、そりゃそうだ。

ここで思考停止になってる場合じゃない。


その両方を叶えるのって、本当はそんなに難しくない。

今2人が重なるところで付き合えばいいんだね。合わないところは素通りしちゃえばいい。

そして、重なるところ、合わないところは、2人の環境によっても変わってくることは知っておこう。

合わないところばかりが目立ったら、しばらく会わなくたっていいんだしね。

また何かのタイミングで、重なるところが増えることも、きっとあるのだろうし。


たった1人に、あるいは全員に、自分の100%をわかってもらおう、わかってもらおうとするから苦しくなる。

自分の100%を認めることができるのは自分だけなんだ。それだけで本当は十分なんだよね。

悲しくなったら、苦しくなったら、まずはしっかりやったらいいんだね。

自分が自分の100%を認めるってこと。


photo by pakutaso.com


徹底して失敗する自由。

2014-12-03 10:36:00 | 心理メソッド・生き方
大事件のさ中、二か月ぶりに美容院に出かけました。

朝方のいい気分と高揚感を引きずっていたせいもあってか、普段は担当のスタイリストさんとはあんまり話もしないんですが、いつになく会話が弾み、カラーリングの色もすすめられるまま明るめの色にしてしまうというお調子者ぶりを発揮。

まあでも、気分がいいというはいろんなことに挑戦したくなって、いいもんです。

そんなことはさておき、私はいわゆる女性雑誌を買って読むことはしないので、美容院に行くとスタイリストさんが選んでもってきてくれる雑誌をむさぼり読むのが常。この日はこれに釘付けに。

雑誌『LEE』11月号

前回も読んで、今回もたまたま持ってきてくれたのでまた読んで、うーっと感動してウルウルしてしまうという。

そう、「マリメッコにときめいて」の特集を読んでのことです。

マリメッコの代表的な柄、ユニッコが今年50周年なんだそうです。ケシの花をビビッドな色彩でデザインしたこの柄ですね。





ファブリックボードやカバン、マグカップなどで時々見かけますが、私は少し苦手な柄だったんです。「はっ、派手!」「この色無理」って感じで。でも、このデザインに込められた、デザイナー「マイヤ・イソラ」の哲学と逸話を読んで、見方が変わりました。

マリメッコの社長は、花をモチーフにしたデザインを採用しないという方針を長く貫いてきました。「花は実物が一番美しい」と。けれど、型にはまることを嫌い、何より自由を追求するマイヤ・イソラはそんなことはお構いなし、この作品を社長に提案するんです。

「こっ、これは」と、言ったかどうかわかりませんが、このデザインをひと目見てその美しさに魅了された社長の固定観念が一気に覆されます。「デザインされた花も美しい」と考えを改め、このデザインを採用し、やがてマリメッコを代表する伝説的なデザインになっていくのです。

マイヤ・イソラの天才性も、彼女が愛した「自由」と「ゆずらない自己信頼」がなかったら発揮されなかったかもしれません。

天才デザイナーと、目利きの社長のたぐいまれな邂逅が奇跡を生んだ、とも言えますが、こういうことって私たちの日常でも起こりうることですよね。

才能が先か、自己信頼が先か。自己信頼を先にやってみて、とんでもない奇跡が生まれる。とんでもないレベルじゃなくても、変わることってあるのかもって気にさせられます。

マイヤ・イソラの哲学は、「徹底して失敗する自由」なんだとか。

自分にも、きっと彼女に続くデザイナーたちにも注がれたこの哲学。こんな人の下で働きたい!って思いますよね。やる気でますよね。マイヤ・イソラだけでなく、北欧の国ってこういう哲学がベースにあるんでしょうね。「ユマニチュード」のフランスもそうか。ヨーロッパがそんな空気なのでしょうか。

この特集を読みながら「私は、息子に『徹底して失敗する自由』を担保できているか?」と自問自答して、反省しきり。やる気は、失敗を許されてこそ起きるもの。しかも「徹底して」。許す側の勇気も試されます。肝に銘じよう。


この号の「LEE」は他にも、女優の杏さんのインタビュー記事もあって面白かったです。彼女の精神のたたずまいも美しい。好きな音楽が、「浜田真理子さん」だそうで、そこにも惹かれてしまいました。

バックナンバーが欲しくなりましたが、紙版は売り切れみたいです。残念!前回見た時に買えばよかった(^_^;)





大事件発生!心屋さんのブログで紹介される。

2014-12-01 22:54:03 | 心理メソッド・生き方
昨日、人気心理カウンセラーの心屋仁之助さんにこのブログの記事を紹介していただくという奇跡的な幸せ体験、大事件が発生しました。

一昨日の夜、購入したてのBeトレのDVDを見ていた時のこと。

「どんなにいい内容のものも人の目に触れないと意味がない」

そのようなコメントをゲストで経営コンサルタントの石原明さんがされていて、それに背中を押されました。

これまで自己アピール的なことを排除してきた私なんですが、今回まさにタブーを破ってみたのです。

心屋メソッドの記事を書いた時に、ご本人にぜひ見てもらいたいな、あなたのことこんな風に見ている人間がいますよ、ということを伝えたい欲求がわきました。これなら心屋さんの心に届くはず、と、内容にも少し自信がありました。

でも、その手段がわからない。メールでメッセージを送っていいものか躊躇し、この記事をたまたま読んでくれた人が心屋さんに「こんなん見ました」なんて伝えてくれないかなぁ、なんて姑息なことを考えたり。あー、ヘタレですね。

まあ、でも時々心屋さんにメールを送ってみるかーって気分になる時もあったりもして、ただ不思議なことに、何度やってうまく送れないことが続いたんです。

一昨日もまた何度かうまくいかず、いつものように「こういう時はやめとけ」というサインかな、とも一瞬思いましたが、石原さんのコメントがかなり効いて、「いや、でもこのトラブルを起こしているのは自分の無意識なんじゃないか」と疑い、もう一度チャレンジしてみたんです。

と、なぜか今度はスムーズに送信完了。ありったけの勇気を出した時に起きる武者震いみたいなものが起きて自分でもびっくりです。

心屋さんに度々メッセージを送ってる方からしたら、笑われそうな小心者ぶりですね。



さて、今回の大事件のおかげで、心屋さんのブログから飛んできてくださった方たちが何名かコメントを残してくれました。

みなさん、素敵なコメントばかりで、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。多くの人の目に触れるとマイナスなものも上がってくるのかな、悪意のコメントも来るのかな、と少しだけ緊張しましたが、心屋さんに集うのはみなさんやっぱり心の綺麗な方たちなんですね。世の中捨てたもんじゃない、味方はたくさんいるんだってことも、実感したりして。

心屋さんも、ブログの紹介だけでなく、実はありがとうメッセージもメールで返信してくれています。「頑張らない」をうたっているのに、なんか、そういうのもニクいですよね、心屋さんて。

こんな素敵な方たちに会えるなら、さらなるタブーも犯して、来年は、セミナーとか講演会にも通おうかな、なんて心が動いてます。どこかで、お会いできたら嬉しいです。



ちなみに、心屋メソッドだけでなく、それ以外の記事を読んでくださった方もたくさんいました。

10年前から書き始めたブログなんですが、覚え書き的な要素が強く、ほとんど人に読んでもらえるブログの体をなしていません。時々書いて、何年も放置して、また時々書いてを続けてきました。

以前の記事は、仕事の記事や自分で読み返すのも辛いネガティヴな記事も多く、いつからか非公開に切り替えたものもたくさんあります。だから、自己紹介も「はじめに」もないんです(^_^;)

最近書いたものも、細かく書きすぎてプライバシーにさわる可能性があるかなというものは、今日いったん非公開にしました。

なにせ、読者数50、アクセス200くらいのフツーのブログが昨日の心屋効果で一気にその数が200倍以上を記録し、嬉しさと一緒に戸惑いも覚えた次第です。

大事件のほとぼりがさめたら(一気かも?!)、少し加工してまたこっそりアップしときますので、「あっ、あの記事なくなってる~」という方、ぜひ時々遊びにきてくださいね。また、お読みいただけるようにしておきます!


少し浮き足だっている自分をすぐにひっこめようとはせず、でも自分らしさを失わず、これからもマイペースで書きたいことを書いていこうと思います。

ただ、少しだけ、読んでもらえる人を増やすことを意識しようかな!なんて野心も芽生えています。

あー、でも、楽しい1日でした。

心屋さん、みなさん、ありがとー(*^_^*)

また、よろしくお願いします!


逆をやる。(心屋流メソッド)

2014-10-26 09:52:36 | 心理メソッド・生き方
前回に続き、心屋さんのメソッドについてです。

心屋さんのメソッドに触れて、痛感するのは、心屋さんのメソッドの強み、多くの悩める人をその気にさせたり、行動へと駆り立てるのは、

表現のオリジナリティ



言葉のシンプルさ


の2つだなぁ、と。


言ってることは心理メソッドの王道でも、独特の言い回しはオリジナリティそのもの、そこでまず興味を惹かれます。で、シンプルだからわかりやすくて、実践しやすいんですね。


逆をやる。


これも、あまりに斬新。つべこべ考えずにやってみて、という強引さがあります。人間関係でドツボにはまる人は、まさにつべこべ考える傾向があるので、紋切り型の言い回しそのものが治療的です。


これ、

今までとは違う思考を選択する

対極のパーソナリティーを自分に組み込む



なんて言い方もできますが、これだと頭で理解してそれだけで終わりそうです。お勉強的な感じで、行動を促すインパクトがない。魂まで落ちない感じです。


逆をやる。

タブーに挑む。パターンを崩す。


という表現もあります。



わかりやすいです。頭で色々考えなくても、自分にとって、偏りのあった行動の逆にやればいいのだから、やろうとする勇気と決心さえあれば簡単。

その集積が、一つのあり方に凝り固まっていた自分に、違うあり方を添えてくれます。


私の場合は、

本心からではなく、義務やべき思考でやってたものは、とにかく逆をやる。

バランス悪いな、予定調和でやってたな、と思うものは、逆をやる。


と決めました。


例えば、


メールをすぐに返信してたのをやめて
すぐには返信しない。

仕事は全部引き受けていたのをやめて
やりたくないものは断る。

人を褒めることばかりしていたので
時には褒めないこともする。

子どもを心配してばかりだったので
大丈夫と思ってみる。

ランチのお店はいつもお任せだったので
私が選ぶ。しかも独断で。

苦手な人にも愛想よくしていたのをやめて、避けてみる。


一つひとつは小さい出来事なんですが、もちろん実践するにはそれぞれ勇気と決心が要ります。なにせ、これまでの自分の行動パターンとは違うものですから。

最初は、力んで、恐る恐るやります。それが、だんだん慣れてきます。そして、いつしか、べき思考に縛られず、ゆるんでいく自分、自由さを感じます。

例えば、メールの返信。翌日にメールを返すのも、最初はソワソワします。でも、エイヤとやってみると大したことない。別に何も起こらない。

そのうち、自分の遅いメール返信をイライラされてどうしよう、という焦りが減ります。さらに他人の遅すぎるメール返信も気にならなくなります。

不思議な境地。こんな世界があったのかーという心境。

やがて、逆ばかりやらなくなる。どっちもあり、どっちでもいい、になります。返信を早く返してもOK。遅く返してもOK。相手に対してももちろん同じ。

自分の中の選択肢が増えることで、自分が広くなる感じ、大きくなる感じがします。

あっ、そっか。懐の深い人というのは、OKの範囲が、自分にも相手にも大きい人なんですね。

逆をやっても、不都合が起きない。それが、実は一番の驚きでした。自分がそれをしたら大変なことになる、他人に迷惑がかかる、と異様に怖れていたことが、実際にはそうでもない。むしろ、自分がゆるんだことで相手もゆるんでくれる。そんな実感があります。



さて、心屋さんについて「無資格」とか「心理療法じゃない」とか言う人もいますし、ご本人もそれを自認する発言をされています。

個人的には、自分も含めて効果を実感する人が大勢いることが全てを物語っていると思います。無資格だから信用できない、という人の気持ちもわからなくない。ただ、もったいないなぁ、そのこだわりがいろいろな可能性を潰すのになぁという老婆心が湧いてきます。


心屋さんのメソッドは、結局はアカデミックな心理学とも通底しています。心屋さんの勉強量は並じゃないです、ホント。

河合隼雄氏の「影の現象学」を読むと、なるほどユングと心屋メソッドは似てる、とも思いますし、

私の好きな精神科医、斎藤学先生のツイートを見ていても、かなり共通点が多い。

(ユングや斎藤先生はアカデミックでない、という人もいるかもしれませんが(^_^;))

心屋さんは、非常に頭のいい人で、一つ聞いて十理解できた人で、短い時間で王道の心理学を習得し、さらに自分のオリジナルなメソッドを築き上げた、ただそういうことなんだと思います。

だから、アカデミック心理学を信奉する人も心屋メソッドを侮るなかれ、と思うのです。

そう、なんでも、

まず、やってみる。

です。基本は。(*^_^*)


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嫌われてもいい。(心屋流メソッド)

2014-10-21 21:46:16 | 心理メソッド・生き方
いつからか、心屋仁之助さんのブログを毎朝読むのが日課になっています。

最初は、好きなブログの中の一つでしかなく、時々読む程度だったんですが、そのうち、なぜかよくわからないんだけどグングン惹かれていき、私の中でダントツ一番のブログになりました。

心屋さんの本も一冊だけ読みましたが、正直、フツー(ゴメンなさい(^_^;)。他の心理系の本との違いがわからなかった。私の場合、アカデミックなものも、読み物的なものも、心理学の本はそれなりに読んできたので、書籍という形で整理された文章には鮮明なインパクトを感じなかったのだと思います。

その点、ブログは心屋さんの生の感情もダイレクトに入ってきて荒削りなところがある分、独特で、個性的な表現が目に飛び込んできやすい。他の人の著書と言ってることは似ていても、心屋さん独自の、他にはない表現が妙に残る。頭で理解するんじゃなくて、「やってみよう」と行動に駆り立てる凄さがあります。

一番響いたのが、この言葉。

嫌われてもいい


見事なまでの逆説です。
他の心理系の本でこんなフレーズ聞いたことない。

嫌われることを恐れるな、
はよく聞くけど、
嫌われてもいい、
って。

そんなネガティヴフレーズ正面切って言っちゃていいのー?

だから、最初は「はぁ?」って反応します。「そんなのやだよ」と。「マイナス思考じゃん」と。

でも、そこに何かがある直感。確かで動かしがたい直感。だから、こだわる。

こだわるから、自分なりの、自分だけの理解を必死に探し、そしてあるとき自分にふっと落ちるんです。


以下、私が落とし込んだ理解。


嫌われてもいいというフレーズは、「嫌われること」を受け入れようということではありません。

「嫌われること」を恐れる人、そこに果てしないエネルギーを注ぐ人が、「嫌われる」恐怖から注意をそらす効果をねらったものです。そこに注いでいたエネルギーを取り戻すおまじない。だから、「嫌われる」には焦点が当たらなくなる。

私は、ママ友集団など大勢の顔見知りが集まる場に出向く時に胸にザワザワ感がやってきて体が重くなります。
緊張を感じさせる人や場面に出向く時にもなんともいえない不快感に満たされます。

自分は行きたくないんだな、ということはわかっていましたが、どうしてそうなるかはうまく説明できなかった。

この正体が、

嫌われることの恐怖、
ダメな人と言われる恐怖、
失敗することへの恐怖

だったなんて。


でも、大正解!でした。

なぜなら、


嫌われてもいいや、べーつに

なんて自分に向けてつぶやくと、確実に楽になるんです。

夏以降、何度も実験済みですから確かです。以前は会合やランチ会などに出かける時には気持ちに気合いを入れ、帰るとグッタリ疲れて家事もできなくなるほどでした。

それが今は、むしろゆるーい感じ、どっちでもいいやー、な感じで出かけて、心地よい疲れとともに帰宅することが多いです。

嫌われることへの恐怖が遠のき、エネルギーがそっちに流れなくなったからなんですね。だから、楽しむ余裕も生まれるようになりました。

行きたくないところには極力行かないというルールも自分に許しつつあるので、どこかに行って嫌な思いをすることはさらに減少している今日この頃です。

ちなみに、
嫌われてもいい
だから、いいんです。脱力する感じがするでしょ。

嫌われることを恐れるな
だと、全然効果がない。私の場合は。緊張を強いられて、嫌われることを恐れる自分が責められてる息苦しさも感じます。

だから、

嫌われてもいい

は、わかる人にはわかるすごい表現なんです。

多分、嫌われることがさほど怖くもない人、そもそも自分が嫌われるなんてことを考えもしない人には、「嫌われてもいい」というフレーズはきっと空振りします。

「イヤイヤ、嫌われてもいいなんてわざわざ考えなくても~」なんて感じで、一笑に付されるんじゃないかな。

そういう人は逆説を必要としない、根っからの幸せ者ですよね。


心屋さんは、

嫌われてもいい
から
本当は嫌われてないのかも
本当は愛されてるのかも
どうせ愛されている

(↑この並び正確でないかも(・・;))

まで落とし込みます。

一気に「どうせ愛されてるかも」は、かなり唐突感がありますが、徐々に順番に感じ方を変えていくと、あら、なんとなく感じられちゃう。

あ、あたし人気者かも?!

なんて。

周りの人が自分をどう思っているか、好きか嫌いか、どっちでもないか、の事実には変わりがなくても、自分の意識が変わることで世界が変わることを実感する瞬間です。

そうか。
これが、「自分が世界を作っている」というからくりか。

心屋さんのブログのおかげで、私は自分の世界を少しばかり能天気に変えていけそうです。



(本も買ってないし、セミナーにも行ってないのに、こんなに大きな恩恵をもらってます。全部タダで(^_^;))



(つづく)


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