目下の関心事は、2つ。
男子テニス。そして、 マインドフルネスです。
男子テニスは、今年の全豪オープン以来ですが、錦織選手を応援するだけでは飽き足らず、ついに自分でも始めることにしちゃいました。9歳の姪っ子に「◯◯ちゃんが、テニス~?」なんて意外がられるくらい、スポーツとは全く縁がなかった人生ですが、今月から、テニススクールに通っています。
多忙を極めていたこともあり、半年くらいは迷ってたんですけどね。逆に、半年たってもやりたい気持ちが弱まらなかったので、気持ちだけはかなり本物です。やりたいものは、とりあえずやるしかないです。
ここまで書いといて何ですが、今日は、テニスの話は置いておいて、マインドフルネスの方の話をしようと思います。
マインドフルネスという言葉は、私、多分、NHKのニュースで初めて聞きました。
マインドフルネス、宗教色を薄めた(あるいは削いだ)瞑想が今世界的ブームなんだとか。グーグルやインテルなど名だたる大企業でも、社員の集中力を高めるツールとして、実践されているという話です。
脳、特に脳の高次機能を担う前頭葉への好ましい効果は、科学的根拠も明らかにされており、精神医療分野でも第三の認知行動療法として、うつなどの疾患治療の活用が始まっているといいます。
もともと興味のある、脳と認知行動療法。しかも、マインドフルネスというさわやかな語感がなんかいい。がぜん興味が湧きました。
かつて、抱いていた瞑想や座禅のイメージは、どこかエキセントリックでした。興味はありましたが、「悟る」「目覚める」といったキーワードが出ると途端に気が遠くなるというか、凡人にはとても手に負えない気持ちになるものでした。
でも、マインドフルネスは、一般の人にも、宗教やスピリチャルなる世界にアレルギーがある人にも、脳科学からのお墨付きがあるので、受け入れやすいのかも知れません。
悟りや覚醒に目標を置くものではない、という点が、瞑想をとっつきやすくしてくれます。
では、何のための瞑想か?
思考を止める。
自分を客観視する。
すべてを判断せず流す。
マインドフルネスは、そのための訓練。
私は、そう解釈をしています。
自動思考→不安、という脳の回路に翻弄されることが少なくない私には、こうした訓練が役に立つはずです。おまけに既存の認知行動療法よりも手軽だし、基本一人で始められる感じも魅力的でした。
そんな訳で、情報収集と実践を始めました。

瞑想や禅、マインドフルネスのルーツであるヴィパッサナー瞑想、初期仏教に関連する本やブログを手当たり次第に読みました。こうした知識面でのお勉強は、知れば知るほど楽しくて、これからもどんどん深めていきたいと考えています。
実践面は、春先から瞑想アプリをいくつか試したり、NHKでも取り上げられていたこちらのプログラムに参加してみたりしました。
当初の意気込みだけは十分でしたが、言うは易く行うは難し。そんなに簡単ではありませんでした。1日2、3回、数十分ただじっと座って、呼吸を数えるというシンプルな行為がいかに難しいか。呼吸を数えるだけっていうのに、何というか、飽きちゃうんです。
ただ、素晴らしいものに違いない、という先取りの確信が揺るぎないのでフェイドアウトする気にはならず、いかに自分に馴染ませるか、負担なく日課にするか、が課題になりました。
そして、自分なりに試行錯誤して、半年たってようやく、朝15分、余裕があれば寝る前に5分、というスタイルの瞑想タイムが私の生活の中に定着しました。
最初は、まるで義務のようにやっていましたが、やがてやりたいもの、やるのが待ち遠しいもの、やらないと気持ち悪いものに変わりました。そうなってからは、ほぼ毎日欠かすことがありません。
精神安定剤のような効果はないですよ。インパクトのある自己啓発本を読んだ時の高揚感も全くありません。
でも、続ければ続けるほどに、自分の頭の中の無駄なおしゃべりが減っていくのがわかります。ネガティヴな思考がやってきてもニュートラルに戻るのが早くなったことも強く実感します。簡単に言うと、どんな思考も感情も抱え込まず、手放すことがうまくなった気がします。
あと、手垢のついた表現ですが、瞑想すればするほど、自分の内面が浄化されていくというか、風通しが良くなるような気がします。
こんな風に、ゆるやかな変化ですが、マインドフルネスの効果は、私にとってはすでに揺るぎないものです。だから、今日も、明日も、あさっても、ずっと続けていきます。
マインドフルネスについては、一回では書ききれないので、私の苦肉?の実践方法などは、また次の機会に詳しく書こうと思います。
男子テニス。そして、 マインドフルネスです。
男子テニスは、今年の全豪オープン以来ですが、錦織選手を応援するだけでは飽き足らず、ついに自分でも始めることにしちゃいました。9歳の姪っ子に「◯◯ちゃんが、テニス~?」なんて意外がられるくらい、スポーツとは全く縁がなかった人生ですが、今月から、テニススクールに通っています。
多忙を極めていたこともあり、半年くらいは迷ってたんですけどね。逆に、半年たってもやりたい気持ちが弱まらなかったので、気持ちだけはかなり本物です。やりたいものは、とりあえずやるしかないです。
ここまで書いといて何ですが、今日は、テニスの話は置いておいて、マインドフルネスの方の話をしようと思います。
マインドフルネスという言葉は、私、多分、NHKのニュースで初めて聞きました。
マインドフルネス、宗教色を薄めた(あるいは削いだ)瞑想が今世界的ブームなんだとか。グーグルやインテルなど名だたる大企業でも、社員の集中力を高めるツールとして、実践されているという話です。
脳、特に脳の高次機能を担う前頭葉への好ましい効果は、科学的根拠も明らかにされており、精神医療分野でも第三の認知行動療法として、うつなどの疾患治療の活用が始まっているといいます。
もともと興味のある、脳と認知行動療法。しかも、マインドフルネスというさわやかな語感がなんかいい。がぜん興味が湧きました。
かつて、抱いていた瞑想や座禅のイメージは、どこかエキセントリックでした。興味はありましたが、「悟る」「目覚める」といったキーワードが出ると途端に気が遠くなるというか、凡人にはとても手に負えない気持ちになるものでした。
でも、マインドフルネスは、一般の人にも、宗教やスピリチャルなる世界にアレルギーがある人にも、脳科学からのお墨付きがあるので、受け入れやすいのかも知れません。
悟りや覚醒に目標を置くものではない、という点が、瞑想をとっつきやすくしてくれます。
では、何のための瞑想か?
思考を止める。
自分を客観視する。
すべてを判断せず流す。
マインドフルネスは、そのための訓練。
私は、そう解釈をしています。
自動思考→不安、という脳の回路に翻弄されることが少なくない私には、こうした訓練が役に立つはずです。おまけに既存の認知行動療法よりも手軽だし、基本一人で始められる感じも魅力的でした。
そんな訳で、情報収集と実践を始めました。

瞑想や禅、マインドフルネスのルーツであるヴィパッサナー瞑想、初期仏教に関連する本やブログを手当たり次第に読みました。こうした知識面でのお勉強は、知れば知るほど楽しくて、これからもどんどん深めていきたいと考えています。
実践面は、春先から瞑想アプリをいくつか試したり、NHKでも取り上げられていたこちらのプログラムに参加してみたりしました。
当初の意気込みだけは十分でしたが、言うは易く行うは難し。そんなに簡単ではありませんでした。1日2、3回、数十分ただじっと座って、呼吸を数えるというシンプルな行為がいかに難しいか。呼吸を数えるだけっていうのに、何というか、飽きちゃうんです。
ただ、素晴らしいものに違いない、という先取りの確信が揺るぎないのでフェイドアウトする気にはならず、いかに自分に馴染ませるか、負担なく日課にするか、が課題になりました。
そして、自分なりに試行錯誤して、半年たってようやく、朝15分、余裕があれば寝る前に5分、というスタイルの瞑想タイムが私の生活の中に定着しました。
最初は、まるで義務のようにやっていましたが、やがてやりたいもの、やるのが待ち遠しいもの、やらないと気持ち悪いものに変わりました。そうなってからは、ほぼ毎日欠かすことがありません。
精神安定剤のような効果はないですよ。インパクトのある自己啓発本を読んだ時の高揚感も全くありません。
でも、続ければ続けるほどに、自分の頭の中の無駄なおしゃべりが減っていくのがわかります。ネガティヴな思考がやってきてもニュートラルに戻るのが早くなったことも強く実感します。簡単に言うと、どんな思考も感情も抱え込まず、手放すことがうまくなった気がします。
あと、手垢のついた表現ですが、瞑想すればするほど、自分の内面が浄化されていくというか、風通しが良くなるような気がします。
こんな風に、ゆるやかな変化ですが、マインドフルネスの効果は、私にとってはすでに揺るぎないものです。だから、今日も、明日も、あさっても、ずっと続けていきます。
マインドフルネスについては、一回では書ききれないので、私の苦肉?の実践方法などは、また次の機会に詳しく書こうと思います。