しばらく前に、NHKのクローズアップ現代で去年なくなった、
作家の水上勉さんの晩年にスポットを当てる番組をやっていた。
大作家といえど、老いと迫り来る死に向き合ったときは、
その他大勢の人々となんら変わらない。
恐怖にさいなまれ、焦燥と苛立ちに突き上げられる日々。
そんな中で、水上さんは、
禅語の「而今」という言葉にであう。
而今は、今を生きる、と言う意味だとか。
過去を思えば、今の自分は惨めでしかなく、
未来を思えば、あるのはただ死の恐怖。
ただ、今を精一杯生きる。
何万語の言葉を生み、何万行の文章を書き、
あまたの言葉の海を紆余曲折しながら泳いできた作家が、
最後に、「而今―今を生きる」という、
あまりにもシンプルなメッセージにたどりつき、
救われたというのが、とても興味深かった。
そんなわけ?で、
本当に単純でお馬鹿なわたしは、
図書館までいくと、宗教の棚にいって、
禅語関連の本を物色しはじめた。
どれどれと二、三冊手にとって見てみると、
結構いい言葉に出会えた。
個人的に気に入ったのは、
「両忘」
二元的、白黒どちらかと考えることをやめる
「黙」
黙っていても伝わらないことがある 黙っていなければ伝わらないこともある
「本来無一物」
心を曇らせているのは自分の妄想。もともとそこには、何もないのだから。などなど。
自己啓発本をはじめ、
いろんな機会に散々聞かされてきたようなものだけれど、
こうして漢字の表記に出会うと、
「而今」もそうだけれど、心にスーッと入ってくるから不思議だ。
「~しなさい」「~しよう」といった押しつけがまさがなくて、
ただ、そこにずしりとある感じ。
静謐で、でも言葉に力強さがある。
ただし、言葉が心に入ってきたといっても、
今はその表面に惹かれているだけのような気もするので、
深く、深く、かみ締めて、
自分の人生にしっかりと織り込んで行きたい。
それにしても・・・。
家の宗派も禅宗ではないし、信仰があるいわけでもないのに、
禅語に心惹かれてしまうなんてわたしも、年をとったのだなぁ、
と複雑な心境だったりもする今日この頃。