施設の日帰り旅行で長野方面に出かけた。
利用者のほか、家族や関係機関なども一緒で、
カラオケあり、温泉ありの、楽しいバスの旅となった。
家族やボランティアの人たちと、雑談を交わしていた帰りのバスで、
ある光景に出会った。
両側一車線の比較的細い国道。信号が赤に変わり、バスはゆっくり停止する。
すると、目の前の横断歩道を、一人の少女が小走りに渡る。
背格好からすると、小学校に上がったばかりだろうか。
背負ったランドセルの方が大きく見えるほど、小さくて、かわいらしい。
少女が渡りきると、押しボタン式の歩行者用の信号機が、赤に変わる。
バスと反対車線の乗用車は発進の準備。
さっきの少女は、そのまま行ってしまうと思いきや、
突然車道の方にクルリと身を翻す。
なんだろう、と見ていると、まずは、自分の左のバスにペコリと一礼、
右の乗用車にも、ペコリと頭をさげた。
そして、帰る方角に向きを変えて、走り去っていく。
まるで風のようだった。
一瞬息を呑んだ。な、なに今の・・・。
なんともいえない衝撃が胸に走った。
私だけでなく、ボランティアの女性もその光景を見ていた。
「すごいね~。あんな子どもがいるんだね。
大人だって、あんなことしないのに。誰が教えるんだろう」
彼女が高揚した口調で言った。
少女が歩行者用信号機のボタンを押す、車が止まる、
少女が横断歩道を渡る、車が発進の準備をする、少女が車に頭を下げる。
言葉で説明すれば、ただそれだけの行為だ。
でも、ただそれだけの行為が、二人の大人の心を震わせたのだ。
少女は、道路を渡るために当然の権利を行使しただけ。
それなのにあんなに丁寧にお辞儀をして、感謝の気持ちを表す。
今の時代、多くの人が、
自分の権利を主張することがうまくなりはしたけれど、
それに反比例して当たり前のことに感謝したり感謝されることは
すっかり縁遠くなった。
だからこそ、あの少女の謙虚な姿は、新鮮な驚きだった。
そして、一瞬にして、私たちの目に焼き付けられたのだ。
感謝とは、こういうことを言うのです。
感謝とは、こんな風にするんです。
彼女の「感謝する姿」の向こうから、
そんな声が聞こえるような気がした。
きっとそれは、教育と呼ばれるものかもしれない。
ゆとり教育、個性重視の教育、いろんな教育が挫折した今の時代、
人の心をこんな風に動かしてしまえる教育は、
あたり前のことにあたり前に感謝することを教える教育は、
ひときわ輝いて見えた。