先週、心の病を持つ団塊ジュニアの女性と、
歌の歌詞を集めた本を読みながら会話をした。
【若者たち】という歌の歌詞の、
「歯を食いしばり君は行くのかそんなにしてまで」とか、
【送る言葉】の
「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい」
「求めないで優しさなんか、臆病者のいいわけだから」
とかは、なんだか苦しいよね、と。
「でも、私たちは、こういう生き方をしないといけない、って、
教えられて素直に生きてきた気がするな。
でも、その結果がこの病気だもんね・・・。
今はこんな生き方がすべてじゃないって思えますけどね」
彼女がそう呟いたとき、
私は、ふっと、
自分の小学校の校訓となっていた、
「他人にやさしく 自分に厳しく」
を思い出した。
この言葉も、“苦しい”の仲間だ。
小学生だったあの頃、私は、すでに違和感を感じいていた。
自分に優しく、はだめなの?
他人に厳しく、も時にはあるでしょ、と。
(それを先生にはもちろん言えなかったけど・・・)
女性と会話をして数日だった先週土曜日、
フジテレビで放映していた「いじめの特番」を見た。
司馬遼太郎が小学生の国語の教科書用に書いたという
【二十一世紀を生きる君たちへ】という文章が紹介されていて、
その中にも
「他人にやさしく 自分に厳しく(逆かも)」
というフレーズがあって、
あら~、と思った。天下の司馬先生もそうくるのね。
番組では、小学生のときにこの教科書での授業を受け、
今は成人した男性のインタビューがあって、
「今思うと、優しさっていっても、
時には怒ることも優しさなわけだから、
そう考えると、何が優しさなのかわからないですよね」
というようなことを発言していた。
素直な意見だと思った。
そうなのだ。
他人にやさしく、
というのは実にあいまいで、
大人になれば、例えば、
「お年寄り席をゆずる」的な優しさだけが、
優しさじゃないことに気づいたりして、
そのさじ加減が難しかったりする。
今になって思うのは、
「自分にも他人にも、時に優しく、時に厳しく」
が本当だし、
この言い方のすわりが悪ければ、
「自分にも、他人にも、愛情をもつ」
と言うほうが胸にすっと降りる。
愛情は、とりもなおさず、
優しさであり、厳しさでもあるから。
揚げ足取りになってしまうかもしれないが、
「相手には優しく」が時に依存を生んだり、
「自分には厳しく」が時に自分を燃え尽き状態に陥れたりする。
言い切り型の言葉は聞いていて気持ちがいい。
だから、心に残ってなかなか抜けない。
親や先生に刷り込まれた“正しさ”が、
大人になってからも人を苦しめることは多かったりする。
あと、番組のなかで、
どこかの家族の家訓として紹介されていた
「働かざるもの食うべからず」というのも気になった。
古くから伝わる教えではあるけれども、
これもなかなかどうして。
この言葉を聞いて、
身につまされる思いをした人は、大勢いただろう。
言葉の意味を表面的にとれば、
これもずいぶん残酷な表現だ。
「他人にやさしく 自分に厳しく」も、
「働かざるもの食うべからず」も、
目くじらを立てるほどの話ではないのかもしれないが、
自分に厳しくしすぎた結果、病気になってしまった人、
働くことのできない現実に後ろめたさを感じている人。
そんな人々と日々関わっている者としては、
どうしてもこだわりたくなってしまう。