「必要な時に必要な人はやってくる。」
昔、友だちが私への手紙の中に書いてくれた一文。
精神世界にちょっと傾倒していて、とってもセンシティブな友だちが好きそうなフレーズだな、
と思った。
でも、これって真実だな、と最近思う。
もちろん、いつもプラスの意味だとは限らない。
心に何らかの問題を抱えていれば、それを直面化させるような人がやってくることが多い。
そっちの実感は、20代の頃たくさんしたけど、
辛い体験につながる出会いだったから、
「必要な時に必要な人はやってくる」なんて悠長には思えなかった。
それと、昔は、出会いと言えば、異性との出会いに置き換えることが多かったけれど、
今は、どちらかというと同じ女性同士の出会いに置き換えることが多い。
今、最も身近な出会いは、ママ友という不思議な呼称の知り合いたちとのもの。
別に無理して作る必要なないし、必要がない人もいるだろうけど、
私には、いろんな意味で必要。同じ境遇で奮闘している仲間がいないと、
子育てなんて孤独すぎてやってられない。
でも、たぶん、私の中に無意識のうちにママ友の条件が出来上がっている。
その条件にはまらない人を意識して排除していなくても、
縁ができないから不思議た。
今、3人のママ友がいる。
求めて求めて、やっとできたという感じでできた友だちではない。
全部ではないけれど、似ている部分がある。
付き合い方のペースが合う。
マイペースであまりぶれない。
それと、
自分に足りないものを持っている。
その人たちは、
初回ある場所で出会って、その時は、メールアドレスなんかも交換せず、
「あぁ、あの人いい感じのひとだったなぁ。また会えるといいなぁ。」
と私が感じる人たちだった。
そうすると、時を待たずに、またその人たちと再会する機会ができるのだ。
再会した時には、打ち解けて会話も弾むし、連絡先も交換したりする。
1人目、2人目のママ友がそんな感じだったから、
3人目のときには、思うようになった。
あぁ、待ってればいいんだな、と。
そしたら、本当にまたひょんなところで再会した。
どの出会いも、私の人生を変えてしまうような激しいものではない。
たぶん、今の私にはそんな出会いは必要ないのだろう。
でも、激しくなくても、
彼女たちは、私を安らがせ、時には落ち込ませ、時には成長させてくれる人たち。
別に子育てという共通テーマがなくても、
十分に仲良くなれた人たちだ。
ところで、
「必要な時に必要な人はやってくる」と書いてくれた友人とは、
最近、少し距離ができた。
若かった頃にたくさんのものを共有した大切な友人であるけれど、
今は、お互い必要とするものを、それぞれ持ってないってことかもしれない。
また、いつか出会えるといいな、と思う。