1年半ぶりに、このブログに日記を投稿している。
いろいろ忙しくしていて、ブログどころではなくなって、だったら、閉鎖してもいいのに、また戻ってきてしまった。
とほほ、である。
書きたいことが、出来てしまったからだろう。
この冬に息子が生まれた。
結婚して2年目に授かった子だ。
いわゆる、育児日記が書きたいわけではない。息子について書きたいというより、息子によって変化していく自分を残していきたい。
それにしても、育児とは、こういうものだったのだと実感する日々。これほどまでに、自分が主体となって、あくせくしたのはいつ以来だろう。いや、かつてないかもしれない。
死に物狂いで働いた時代はあったけれど、私がいなくても物事が進むことを後から思い知らされた。
でも、育児は違ったりする。
私がいないと、物事は進まない。
この両手の力を緩めれば彼は死ぬことだってあるし、おっぱいを与えなければ、彼は簡単に飢えたりもする。
息子の存在は、少なくとも乳児期の今は、私で成り立っている。そんな怖い世界が、育児。
息子の誕生によって、私の世界観は変えられてしまうだろうと覚悟していたけれど、その通りだった。
でも、育児バンザイ、親バカバンザイなのである。
いろいろ忙しくしていて、ブログどころではなくなって、だったら、閉鎖してもいいのに、また戻ってきてしまった。
とほほ、である。
書きたいことが、出来てしまったからだろう。
この冬に息子が生まれた。
結婚して2年目に授かった子だ。
いわゆる、育児日記が書きたいわけではない。息子について書きたいというより、息子によって変化していく自分を残していきたい。
それにしても、育児とは、こういうものだったのだと実感する日々。これほどまでに、自分が主体となって、あくせくしたのはいつ以来だろう。いや、かつてないかもしれない。
死に物狂いで働いた時代はあったけれど、私がいなくても物事が進むことを後から思い知らされた。
でも、育児は違ったりする。
私がいないと、物事は進まない。
この両手の力を緩めれば彼は死ぬことだってあるし、おっぱいを与えなければ、彼は簡単に飢えたりもする。
息子の存在は、少なくとも乳児期の今は、私で成り立っている。そんな怖い世界が、育児。
息子の誕生によって、私の世界観は変えられてしまうだろうと覚悟していたけれど、その通りだった。
でも、育児バンザイ、親バカバンザイなのである。