以下 http://mage8.com/magetan/roushi06.html より引用
第五十二章
原文
天下有始、可以爲天下母。
既得其母、以知其子。
既知其子、復守其母、没身不殆。
塞其兌、閉其門、終身不勤。
開其兌、濟其事、終身不救。
見小曰明、守柔曰強。
用其光、復歸其明、無遺身殃。
是謂襲常。
書き下し文
天下に始(はじめ)有り、以(も)って天下の母と為(な)すべし。
既にその母を得て、以ってその子を知る。
既にその子を知り、またその母を守らば、
身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。
その兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ざせば、
終身勤(つか)れず。
その兌を開き、その事を済(な)せば、終身救われず。
小を見るを明と曰(い)い、柔を守るを強と曰う。
その光を用いて、その明に復帰すれば、
身の殃(わざわい)を遺(のこ)す無し。
これを常に襲(よ)ると謂(い)う。
***************************
この世には始まりがある。始まりの存在を天下の母と呼ぼう。
その母のことが分かれば、子である天下を知ることができる。
天下を知り、偉大なる天下の母を大切にするならば、
人生を無事に過ごすことができる。
人体の穴(目鼻口耳 性器 肛門)を無駄に使わず節制すれば、
一生、運気を使い果たすことがない。
もし、人体の穴を無駄に使い、暴飲・暴食・姦淫し、
快楽に溺れるならば、その人は一生救われないのだ。
繊細でよく気が付くことを明(大いなる知恵)と言い、
素直で柔軟であることを強と言う。
(もし、僅かでも肉体の欲に心を支配されそうになった時は)
その光(良心)に照らして、その明知に復帰(素直に反省)すれば、
身に災いは起こらない。
これを常に習うと言う。
(12/3上記後半を一部修正、以下加筆)
実は、最後の「是謂襲常」が難解で悩んでいた。
それまでの文と最後がつながらないような。。。
いろいろ調べると襲ではなく習の字の文献もある。
これだ!と思った。本当は習が正しいか、あるいは、
ここでは、襲=習の意味か、どちらかと思う。
だから、その母を守る(≒その門を閉ざす≒柔らを守る
≒明に復帰する)=良心を守るで意味がつながる。
自己満足かもしれないが、すっきりした。
常に習うとは、何度でも良心に立ち返り身を正すこと。
五感に惑わされず、良心の声に素直になろう!(五感<良心)
良心に従う節度ある人には、大安心の生涯が約束されている。
第五十二章
原文
天下有始、可以爲天下母。
既得其母、以知其子。
既知其子、復守其母、没身不殆。
塞其兌、閉其門、終身不勤。
開其兌、濟其事、終身不救。
見小曰明、守柔曰強。
用其光、復歸其明、無遺身殃。
是謂襲常。
書き下し文
天下に始(はじめ)有り、以(も)って天下の母と為(な)すべし。
既にその母を得て、以ってその子を知る。
既にその子を知り、またその母を守らば、
身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。
その兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ざせば、
終身勤(つか)れず。
その兌を開き、その事を済(な)せば、終身救われず。
小を見るを明と曰(い)い、柔を守るを強と曰う。
その光を用いて、その明に復帰すれば、
身の殃(わざわい)を遺(のこ)す無し。
これを常に襲(よ)ると謂(い)う。
***************************
この世には始まりがある。始まりの存在を天下の母と呼ぼう。
その母のことが分かれば、子である天下を知ることができる。
天下を知り、偉大なる天下の母を大切にするならば、
人生を無事に過ごすことができる。
人体の穴(目鼻口耳 性器 肛門)を無駄に使わず節制すれば、
一生、運気を使い果たすことがない。
もし、人体の穴を無駄に使い、暴飲・暴食・姦淫し、
快楽に溺れるならば、その人は一生救われないのだ。
繊細でよく気が付くことを明(大いなる知恵)と言い、
素直で柔軟であることを強と言う。
(もし、僅かでも肉体の欲に心を支配されそうになった時は)
その光(良心)に照らして、その明知に復帰(素直に反省)すれば、
身に災いは起こらない。
これを常に習うと言う。
(12/3上記後半を一部修正、以下加筆)
実は、最後の「是謂襲常」が難解で悩んでいた。
それまでの文と最後がつながらないような。。。
いろいろ調べると襲ではなく習の字の文献もある。
これだ!と思った。本当は習が正しいか、あるいは、
ここでは、襲=習の意味か、どちらかと思う。
だから、その母を守る(≒その門を閉ざす≒柔らを守る
≒明に復帰する)=良心を守るで意味がつながる。
自己満足かもしれないが、すっきりした。
常に習うとは、何度でも良心に立ち返り身を正すこと。
五感に惑わされず、良心の声に素直になろう!(五感<良心)
良心に従う節度ある人には、大安心の生涯が約束されている。