以下 http://mage8.com/magetan/roushi07.html より引用
第六十四章
原文
其安易持、其未兆易謀。其脆易泮、其微易散。
爲之於未有、治之於未亂。
合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下。
爲者敗之、執者失之。是以聖人、無爲故無敗、無執故無失。
民之從事、常於幾成而敗之。
愼終如始、則無敗事。是以聖人、欲不欲、不貴難得之貨。
學不學、復衆人之所過。以輔萬物之自然、而不敢爲。
書き下し文
その安きは持し易(やす)く、その未(いま)だ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易し。
その脆(もろ)きは泮(と)かし易く、その微(び)なるは散らし易し。
これを未だ有らざるに為(な)し、これを未だ乱れざるに治む。
合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、
九層の台も累土(るいど)より起こり、千里の行も足下(そっか)より始まる。
為す者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。
ここを以(も)って聖人は、為すこと無し、故に敗るることも無し。
執ること無し、故に失うことも無し。
民の事(こと)に従うは、常に幾(ほと)んど成るに於(お)いてこれを敗る。
終りを慎しむこと始めの如くなれば、則(すなわ)ち事を敗ること無し。
ここを以って聖人は、欲せざるを欲して、得難(えがた)きの貨を貴ばず。
学ばざるを学びて、衆人の過ぎたる所を復(かえ)す。
以って万物の自然を輔(たす)けて、而(しか)して敢えて為さず。
*******************************
(1/15追記)
それが安定している時は取扱うに容易く、未だ兆しがない時は対処し易い。
脆い物は溶かしやすく、微細なものは簡単に散らしてしまえる。
未だ問題となる前に着手し、混乱する前に収めてしまうのが良い。
一抱えもあるほどの大木も、小さくか細い芽から成長する。
九階建ての建物も基礎となる土の一盛りから始まり、
長距離の移動も最初の一歩から始まるのだ。
何かを成そうとする者は失敗し、執着する者はその対象を失う。
だから、聖人は無理に成そうとしないので失敗することがない。
何かに執着しないので、何も失うことがない。
人が何かに従事する時は、常にほとんど完成するというところで失敗する。
最終段階で始めと同じように慎重であれば、失敗することはないのだ。
だからこそ、聖人は無欲を欲し、高価な品を欲しがらない。
人が学ばないことを学び、人が興味を示さず素通りする箇所に注目する。
このように、聖人はあらゆる出来事を流れに任せて観察し、
無理に成そうとはしない。(自然に成してしまう。)
第六十四章
原文
其安易持、其未兆易謀。其脆易泮、其微易散。
爲之於未有、治之於未亂。
合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下。
爲者敗之、執者失之。是以聖人、無爲故無敗、無執故無失。
民之從事、常於幾成而敗之。
愼終如始、則無敗事。是以聖人、欲不欲、不貴難得之貨。
學不學、復衆人之所過。以輔萬物之自然、而不敢爲。
書き下し文
その安きは持し易(やす)く、その未(いま)だ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易し。
その脆(もろ)きは泮(と)かし易く、その微(び)なるは散らし易し。
これを未だ有らざるに為(な)し、これを未だ乱れざるに治む。
合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、
九層の台も累土(るいど)より起こり、千里の行も足下(そっか)より始まる。
為す者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。
ここを以(も)って聖人は、為すこと無し、故に敗るることも無し。
執ること無し、故に失うことも無し。
民の事(こと)に従うは、常に幾(ほと)んど成るに於(お)いてこれを敗る。
終りを慎しむこと始めの如くなれば、則(すなわ)ち事を敗ること無し。
ここを以って聖人は、欲せざるを欲して、得難(えがた)きの貨を貴ばず。
学ばざるを学びて、衆人の過ぎたる所を復(かえ)す。
以って万物の自然を輔(たす)けて、而(しか)して敢えて為さず。
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(1/15追記)
それが安定している時は取扱うに容易く、未だ兆しがない時は対処し易い。
脆い物は溶かしやすく、微細なものは簡単に散らしてしまえる。
未だ問題となる前に着手し、混乱する前に収めてしまうのが良い。
一抱えもあるほどの大木も、小さくか細い芽から成長する。
九階建ての建物も基礎となる土の一盛りから始まり、
長距離の移動も最初の一歩から始まるのだ。
何かを成そうとする者は失敗し、執着する者はその対象を失う。
だから、聖人は無理に成そうとしないので失敗することがない。
何かに執着しないので、何も失うことがない。
人が何かに従事する時は、常にほとんど完成するというところで失敗する。
最終段階で始めと同じように慎重であれば、失敗することはないのだ。
だからこそ、聖人は無欲を欲し、高価な品を欲しがらない。
人が学ばないことを学び、人が興味を示さず素通りする箇所に注目する。
このように、聖人はあらゆる出来事を流れに任せて観察し、
無理に成そうとはしない。(自然に成してしまう。)