あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第5章の37(聖人)

2016-01-27 21:51:59 | 老子
以下 http://mage8.com/magetan/roushi08.html より引用

第七十七章

原文
天之道其猶張弓與。者抑之、下者擧之。
有餘者損之、不足者補之。天之道損有餘而補不足。
人之道則不然、損不足以奉有餘。
孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、
爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

書き下し文
天の道はそれ猶(な)お弓を張るがごときか。
高き者はこれを抑え、下(ひく)き者はこれを挙(あ)ぐ。
余りある者はこれを損(そん)じ、足らざる者はこれを補う。
天の道は余り有るを損じて而(しか)して足らざるを補う。
人の道は則(すなわ)ち然(しか)らず、
足らざるを損じて以(も)って余り有るに奉(ほう)ず。
孰(た)れか能(よ)く余り有りて以って天下に奉ぜん。
唯(た)だ有道の者のみ。
ここを以って聖人は、為(な)して而も恃(たの)まず、
功成りて而も処(お)らず、
それ賢を見(あら)わす欲(ほっ)せず。

現代語訳
無為自然の天の道は、弓に弦を張るときと似ている。
上の部分は下に引き下げ、下の部分は上に引き上げる。
弦の長さが長すぎれば短くし、短すぎればつぎ足す。
この様に天の道は余った所を減らして足りない所を補っているのだ。
しかし人の世の道はそれとは逆で、
足りない所からさらに奪って余っている所に補っている。
自らに余るものを人々に分け与える者は誰であろうか。
それは「道」を知った者だけである。
そうして「道」を知った聖人は、
何かを成し遂げてもそれに頼らず、
過去の功績にいつまでもしがみつかず、
自分の賢さを人に誇る事も無い。

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1/28追記
聖人の見分け方は、とても簡単なのだ。
謙虚な人、素朴な人、公平なバランス感覚のある人、それが聖人だ。

第5章の36(柔弱)

2016-01-27 21:48:34 | 老子
以下 http://mage8.com/magetan/roushi08.html より引用

第七十六章

原文
人之生也柔弱、其死也堅強。
萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。
故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則不勝、木強則折。
強大處下、柔弱處上。

書き下し文
人の生まるるや柔弱(じゅうじゃく)、
その死するや堅強(けんきょう)なり。
万物草木(ばんぶつそうもく)の生まるるや柔脆(じゅうぜい)、
その死するや枯槁(ここう)なり。
故に堅強なる者は死の徒(と)にして、柔弱なる者は生の徒なり。
ここを以(も)って兵強ければ則(すなわ)ち勝たず、
木強ければ則ち折る。
強大なるは下(しも)に処(お)り、柔弱なるは上(かみ)に処る。

現代語訳
人の体は生まれてくるとき弱々しく柔らかいが、
死ぬと固く強ばってしまう。
草木やその他の生命も生まれてくるときは柔らかで脆くみえるが、
死ぬと固く干からびてぼろぼろになってしまう。
つまり固く強ばっている方が死に近く、
柔らかく弱々しい方が生に近いのだ。
だから軍隊がいくら強くとも力攻めでは勝てないし、
樹木に柔軟性がなければ簡単に折れてしまう。
このように強く大きなものこそ下にあり、
弱く柔らかいものこそが上にあるのだ。

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1/28追記
柔らかく、しなやかだと、折れにくい。
固く緊張していると、折れやすい。
人は弱い、簡単に壊れてしまう。心も体も柔軟性が大切だ。
自分が弱いと知っていればこそ、しなやかに乗り越えられる。
だから、弱いことは恥ずかしいことではない。
自分が強いと威張り大きな態度をとるものは下座となり、
一見弱くても人と争わず、柔和で謙虚な人が上座となる。
これは天の法則であり自然なことだ。弱さこそは強さなのだ。