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「悟り」と「自分の見解」

2018年01月29日 | ちょっと思ったこと

わかりやすい喩え。(深いよ~)

>ある人がアンパンを食べたとしましょう。アンパンがとても美味しいと、その人は喜んでいる。そこで他の人が出てきて、「いいえ、アンパンは美味しくはない。あなたの経験は間違っている。アンパンは不味いはずです」といったとしても、その話は成り立ちません。食べた人にとって美味しかったことは事実です。(ですから、人の瞑想体験は否定できません。)

>その体験を自分の主観、自分の信仰、自分の哲学に合わせて解釈するところが疑問になります。お釈迦様は「修行者の解釈は見解(主観)である」と説くのです。(「なんのために瞑想するのか?」アルボムッレ・スマナサーラ著)

 

全てを知り尽くした者、つまり完璧に悟った者ではない私たちの(”脳みそ”で考えた)考えや見解はあまりあてになりません。各自が経験して気がつく以外ないのだけれど、経験してもそれを自分勝手に解釈しないこと

、、、ただ見えている、ただ気がついている、わかっている(悟っている)。でも、”ワタシはわかっている”とは言うことができない。なぜなら、それは自分の見解でしかないから。自分の(せまい)見解を乗り越えた境地。

難しいけれど、悟りの境地ってそういう境地なのね・・・。(想像でしかない

本当の学び(悟り)は、実際に経験してわかること。本などからの知識は経験を補う補助的なものでしかないし、読むだけで”わかる”なんてことは難しい。頭であれこれ考えるより、つべこべ言ってないで、やってみることだね。やらなきゃわからない。

当然、人は人、自分は自分(見解は人それぞれ)。人に”自分の見解”を押しつけることはできません、ありえません。あくまで、個人の一見解でしかない。気をつけようと思います。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
masamikeitasさん、こんにちは (まる)
2018-01-29 16:45:19
>謙虚に自分の経験を話せばいいのでしょうか

そうそう。普通はそういうことだと思いますよ^^
”悟りの境地の話”になると、お釈迦様以外何も言えなくなりますけどね。
話すなら「~じゃないかとワタシは(個人的には)”思う”んだけど、どうかなあ」くらいにしておいた方が無難かも^^
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都月さん、こんにちは (まる)
2018-01-29 16:35:47
考え、見解は人それぞれでいいってことですね。
押しつけることも押しつけられることもないですね。
迷惑にならないように気をつければ、あんまり気にすることないかも。^^
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難しいですね。 (masamikeitas)
2018-01-29 16:21:28
まるちゃん、こんにちわ。

>全てを知り尽くした者、つまり完璧に悟った者ではない私たちの(”脳みそ”で考えた)考えや見解はあまりあてになりません。各自が経験して気がつく以外ないのだけれど、経験してもそれを自分勝手に解釈しないこと

難しいですね。
経験しても、自分流に解釈してはいけない!
自分がお釈迦様のレベルに達していないといけないのですか?
まずは謙虚に自分の経験を話せばいいのでしょうか。
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見解 (都月満夫)
2018-01-29 16:04:26
どんな見解をしようと、それは自由だけど、他人に押し付けちゃいけませんね^^
したっけ。
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