「生きることは苦である」(またお釈迦様か!)
例えば、息をしないと苦しい。苦しいから息を吸う、では息を吸うことは「楽」かといえば、吸い続けるとまた苦しい。結局息を吸うことは「苦」である。でも吸うことを止めてしまうと苦しくなる。なら吸い続けず息を吐けばいい。息を吐くことは「楽」か?いや、吐き続ければ苦しくなる。ならば、息を吸うことも息を吐くことも「楽」であるとは言えない。どちらも「苦」である。息をしないのも苦。一つの「苦」を「次の苦」に変えるときに「楽」を感じるだけで(苦から解放される感じ)その繰り返し。しないのも苦。何かをしても苦。人生は「一切皆苦」。
(苦しいのが当たり前なんだから、何かあっても当たり前。むしろ、ラッキーと思えることが増える。「人生は楽しいはず」なんて思ってるから、くじけたりがっかりしたりするんです。)
とお釈迦様は教えてくれました。
一つのことを根気よく続けてモノにするのはいいことです。立派です。苦しんだ分だけ喜びも大きい。けれど、いろんなことを次々と幅広く(浅く?)楽しむのもありですよね。
・・・だって、飽きるんだもん (←これも苦)
ワタシは根気がないというか、気が多いというか、どうも一つのことをコツコツやるより新しいこと色んなことを次々とやってみたいタイプです。(呼吸をするように生きる?)
英語の勉強って面白くて、大西先生の本をけっこう読んでますが、その決定版『一億人の英文法』(かなり分厚い、けれど面白いのでどんどん読める、の、ですが)が最後まで読めてません。(これを言うための前振りだったのね)
いや、むっちゃ面白いんです、へ~、ほ~、な~るほど、そうだったのか~の連続で、読んでてとっても楽しいんですが、・・・400ページ辺りでストップしてます。買ったのは2年前。中味が濃いしね。(本ではなく英語学習自体、根気が続かない^^;)
で、この間、高2姪と英語の話をしたのをきっかけに、また『一億人…』のつづきを読んでます。久しぶりに読むと、いやぁ面白いです。
ただ、・・・英語は、使わないと意味がありません。分かっただけじゃ話せません。
英語がいつまでもしゃべれない日本人は、日本語に執着しているからだと『執着の捨て方』という本でスマナサーラ長老が言ってました。「ワタシハ~ニホンゴワッカリマセン」と日本語を捨てるぐらいの勢いで勉強しろと。すればしゃべれるようになると。
実際、大西先生も、ネイティブの感覚、気持ち、イメージが大事だと言われてます。その通りだと本を読んでて思いました。(でも、ネイティブのように英語で会話できるようになったら、日本語が上手く話せなくなりそうです。日本語と英語って発想も構造も全然違うから )
まあ、ペラペラ話せるようになってから言えよって感じですか?
とにかく、『一億人の英文法』をまず最後まで読んで、あと2,3回通りも読んだら、ちょっとはしゃべれるように・・・なるんだろか (しゃべれるようになる→映画も字幕なしで分かるようになる・・・遠いなあ~)
高校生なら、10日で読めと書いてあります。(全662ページ)
姪に1冊プレゼントしてあげようかな。
受験英語、知識としての英語。(という意識しかなかったな~残念^^;)
大西先生の本を読むと、話せないにしても、何となく聞き取れるようになるような気がしないでもなきにしもあらず^^;
プラス、単語を覚えればいつか話せる日がやってくるかもしれないし来ないかも知れないけど、希望はある^^;
けれど、日本語教育をしっかりしてないと、きっと日本語が崩壊します。
日本の教育は間違っていたのか?
まず話せるように教えてほしかった。
街に外国人も多くなったが、避けて通る^^
したっけ。